暴徒鎮圧のような、決して綺麗事ではいかない厳しい仕事は保守派に押し付け、自らは安全地帯から綺麗事を言うのがリベラル派の特徴である。評論家ならひたすら、「トランプが対立を煽っている」「力ではなく話し合いで」と嘯いていれば済む。
しかし警察や州兵を動かす権限と義務を与えられた市長や知事となれば、無政府内乱状態を避けるため、どこかの段階で動かざるを得ない。ところがその際にも、リベラル派内部で往々にして責任の押し付け合いが展開される。結果として、いたずらに対応が遅れる場合が多い。その典型を2020年のニューヨークに見ることができる。
6月初旬、左翼団体「Black Lives Matter」(以下、BLM)の活動家と警察の衝突や暴徒による略奪が続く中、リベラル中間派のアンドリュー・クオモ知事(民主党)とリベラル左派のビル・デブラシオ市長(民主党)の間で非難合戦が繰り広げられた。
「市長と市警は職責を果たさなかった。許しがたい怠慢だ」と糾弾したクオモに対し、デブラシオは、「知事の発言は、できるだけ穏やかな解決を図ろうとした現場の警官の努力を貶めるものだ」と言い返した。
この内紛には左傾メディアからも批判の声が上がった。なおトランプ大統領は、「警察に本来の仕事をさせ、州兵を、4日目ではなく初日に導入すべきだった」とデブラシオ、クオモ両者を厳しく批判している。
デブラシオは左からクオモを攻撃したわけだが、デブラシオ自身、さらに左からの攻撃を受けている。デモ隊に囲まれた警察車両が発進した行為を防御的と擁護したデブラシオに対し、「受け入れられない」と非難したアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員(民主党)がその代表格である。
デブラシオはニューヨーク市警の予算17%カットを打ち出したが、オカシオ=コルテスはこれも「巧妙なごまかし」に過ぎないと叩き、「警察の資金を断つとは、警察の資金を断つことだ」と強調している。
ニューヨーク以上の惨状を呈したのが、街の中心部にBLMがバリケードを築き「自治区」を宣言した西海岸のシアトルであった。
トランプは首謀者を「テロリスト」と呼び、直ちに警察力で強制排除するよう求めたが、ジェニー・ダーカン市長(民主党、白人女性)は占拠者を「愛国者」、占拠行為を「愛の夏」(summer of love)と呼び、話し合い解決を目指すとして警察を立ち入らせなかった。
しかし「自治区」内で消防隊が活動を妨げられたり、商店の営業に支障が出たりにとどまらず、家屋の破壊や強盗、殺人など凶悪犯罪も多発するに至った。それでも動かなかった市長がついに強制排除を決めたのは、自身の身に危険が迫ったためである。
「自治区」設置から約3週間後、BLMのメンバー多数が市長の自宅に押し掛け、警察解体を含む要求を飲ませようとした。検事時代に殺害予告を受けたことのある市長は、公人ながら自宅住所を非公開とする特別許可を得ていた。
ところが社会主義者を自認するある女性市会議員が、住所をBLMに教えたのである。その数日後に市長は、「自治区」を解体撤去し、武器を携行する者を逮捕するよう警察に命令を出した。
被害が一般庶民に留まる限り、話し合い路線を崩さないが、自身の身が危うくなった途端に警察力を発動する。いかにもリベラル派らしい立ち居振る舞いである。
強制排除の指揮を執ったカーメン・ベスト警察署長(黒人女性)は、「この地区で発生したことは、無法かつ野蛮でまったく容認できない。平和的なデモは支持する。黒人の命は大事だ。しかしもうたくさんだ。我々には地域社会を保護する責任がある」と述べている。
一口に黒人といっても、この警察署長とBLMの幹部では正義のとらえ方がまったく違う。BLMに迎合することイコール「黒人に寄り添う」ことという発想は黒人一般を貶めるものだろう。人種にかかわらず、理性的な人々の声に耳を傾けたい。
かつて1970年前後、日米欧で大学紛争が続いた時期、しばしば極左集団が構内を占拠し、無法地帯となった。シアトルのダーカン市長同様、警察は呼ばず話し合いでと左翼勢力に迎合した学長も多かった。そう考えれば、シアトルの「自治区」も大して目新しい現象ではない。
「黒人差別への抗議」とさえ叫べば、破壊行為に及んでもリベラル派の首長は警察や州兵に力の行使を控えるよう命じる。その限り、極左や犯罪分子による「黒人利用」は続くだろう。結果として最も被害を受けるのは黒人の商店主や従業員を含む善良な市民である。
しかし警察や州兵を動かす権限と義務を与えられた市長や知事となれば、無政府内乱状態を避けるため、どこかの段階で動かざるを得ない。ところがその際にも、リベラル派内部で往々にして責任の押し付け合いが展開される。結果として、いたずらに対応が遅れる場合が多い。その典型を2020年のニューヨークに見ることができる。
6月初旬、左翼団体「Black Lives Matter」(以下、BLM)の活動家と警察の衝突や暴徒による略奪が続く中、リベラル中間派のアンドリュー・クオモ知事(民主党)とリベラル左派のビル・デブラシオ市長(民主党)の間で非難合戦が繰り広げられた。
「市長と市警は職責を果たさなかった。許しがたい怠慢だ」と糾弾したクオモに対し、デブラシオは、「知事の発言は、できるだけ穏やかな解決を図ろうとした現場の警官の努力を貶めるものだ」と言い返した。
この内紛には左傾メディアからも批判の声が上がった。なおトランプ大統領は、「警察に本来の仕事をさせ、州兵を、4日目ではなく初日に導入すべきだった」とデブラシオ、クオモ両者を厳しく批判している。
デブラシオは左からクオモを攻撃したわけだが、デブラシオ自身、さらに左からの攻撃を受けている。デモ隊に囲まれた警察車両が発進した行為を防御的と擁護したデブラシオに対し、「受け入れられない」と非難したアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員(民主党)がその代表格である。
デブラシオはニューヨーク市警の予算17%カットを打ち出したが、オカシオ=コルテスはこれも「巧妙なごまかし」に過ぎないと叩き、「警察の資金を断つとは、警察の資金を断つことだ」と強調している。
ニューヨーク以上の惨状を呈したのが、街の中心部にBLMがバリケードを築き「自治区」を宣言した西海岸のシアトルであった。
トランプは首謀者を「テロリスト」と呼び、直ちに警察力で強制排除するよう求めたが、ジェニー・ダーカン市長(民主党、白人女性)は占拠者を「愛国者」、占拠行為を「愛の夏」(summer of love)と呼び、話し合い解決を目指すとして警察を立ち入らせなかった。
しかし「自治区」内で消防隊が活動を妨げられたり、商店の営業に支障が出たりにとどまらず、家屋の破壊や強盗、殺人など凶悪犯罪も多発するに至った。それでも動かなかった市長がついに強制排除を決めたのは、自身の身に危険が迫ったためである。
「自治区」設置から約3週間後、BLMのメンバー多数が市長の自宅に押し掛け、警察解体を含む要求を飲ませようとした。検事時代に殺害予告を受けたことのある市長は、公人ながら自宅住所を非公開とする特別許可を得ていた。
ところが社会主義者を自認するある女性市会議員が、住所をBLMに教えたのである。その数日後に市長は、「自治区」を解体撤去し、武器を携行する者を逮捕するよう警察に命令を出した。
被害が一般庶民に留まる限り、話し合い路線を崩さないが、自身の身が危うくなった途端に警察力を発動する。いかにもリベラル派らしい立ち居振る舞いである。
強制排除の指揮を執ったカーメン・ベスト警察署長(黒人女性)は、「この地区で発生したことは、無法かつ野蛮でまったく容認できない。平和的なデモは支持する。黒人の命は大事だ。しかしもうたくさんだ。我々には地域社会を保護する責任がある」と述べている。
一口に黒人といっても、この警察署長とBLMの幹部では正義のとらえ方がまったく違う。BLMに迎合することイコール「黒人に寄り添う」ことという発想は黒人一般を貶めるものだろう。人種にかかわらず、理性的な人々の声に耳を傾けたい。
かつて1970年前後、日米欧で大学紛争が続いた時期、しばしば極左集団が構内を占拠し、無法地帯となった。シアトルのダーカン市長同様、警察は呼ばず話し合いでと左翼勢力に迎合した学長も多かった。そう考えれば、シアトルの「自治区」も大して目新しい現象ではない。
「黒人差別への抗議」とさえ叫べば、破壊行為に及んでもリベラル派の首長は警察や州兵に力の行使を控えるよう命じる。その限り、極左や犯罪分子による「黒人利用」は続くだろう。結果として最も被害を受けるのは黒人の商店主や従業員を含む善良な市民である。
島田 洋一(しまだ よういち)
1957年、大阪府生まれ。福井県立大学教授(国際政治学)。国家基本問題研究所企画委員、拉致被害者を「救う会」全国協議会副会長。
1957年、大阪府生まれ。福井県立大学教授(国際政治学)。国家基本問題研究所企画委員、拉致被害者を「救う会」全国協議会副会長。