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ウクライナ東部戦争の最前線

北京五輪からウクライナ侵攻へ

 この2年続いたコロナ感染拡大とその対応で、コロナ前とコロナ中・後の世界が一変した、とみんな思ってたはずなんですよ。

 でも、フタを開けてみたら昨年暮れからロシア方面がきな臭くなって、アメリカから「どうもウクライナ侵攻がありそうだ」という情報が展開され始めると、平和の祭典のはずの北京冬季オリンピックという微妙に偽善くさい素敵イベントを経て、本格的にロシアがウクライナに攻め込んでしまいました。

 もちろん、いろんな言説は出ています。ロシア大統領のプーチンさんは昔から強権主義的で200年以上前の帝政ロシア時代と変わらんようなメンタリティの持ち主だぞとか。あるいは、戦争の口実すら満足に下ごしらえしないで、いきなりウクライナ国境に19万人ものロシア軍を展開していたのに当の軍人さんたちには、ちゃんと「ウクライナ攻め込むんや」という説明もなしに実戦を始めちゃったなど、お前、もうちょっと現代には現代にふさわしい戦争のやり方があるんじゃなかったのか、と見ているこちら側が心配になるような話ばかりが流れてきました。

 こんなんで適当に攻め込まれたのではウクライナも浮かばれないですが、この記事を執筆している3月4日現在、まだ首都キーフ(キエフ)は陥落していないものの、時間の問題なのかなと思います。

 果ては、停戦に向かわせるべき国連も例の常任理事国問題で、なにぶん当事者のロシアが拒否権を使うので機能しません。ウクライナも中国にロシアとの停戦交渉の行方を託したり、あれだけ軍拡に慎重だったドイツも危機感を覚えてキーマンが動き始めて一気にロシアの脅威に対抗するために軍事費拡大へと舵を切っていきました。

日本も完全に巻き込まれている

 思い返すと、2014年に勃発(ぼっぱつ)したクリミア危機・ウクライナ東部紛争後、前アメリカ大統領であったトランプさんの判断で、アメリカはこれらの国際紛争に介入しない(ただしディールはする)方針で、プーチンさんともそれなりの信頼関係をもって対処していたように見えていました。

 いま思えば、それは誤解というか、結果的にあれを国際社会が受け入れてしまったのでエスカレートした面もあるのでしょうが、プーチンさんに「軍事による現状変更は容認され得るのだ」という間違った認識を持たせてしまったかもしれません。
 今回の一連のプーチン演説からウクライナ開戦までの流れを見る限りでは、プーチンさん自身がクレムリンからあまりお出かけしたり友達とあれこれ話すこともないものだから、部下から上がってくる「やー、大統領! ロシア軍って超最強でウクライナなんて数日で制圧できますよ!」みたいな調子のよい報告ばかりされてうっかり信じて甘く見たようです。楽観的に攻め込んでみたものの、国際社会が一部の面白国家やれいわ新選組以外はロシアに対して非難決議をするほどには風評が悪いことに気づかなかったようでもあります。

 そこには国際社会に対する厳粛な認識はもちろん、この武力行使をウクライナに対して行うことが、どれだけ非合理で大損であるのか判断する能力さえもクレムリンになかったのだ、という話になりかねません。

 そういう日本から遠いはずの露宇紛争ですが、実のところ、日本は今回の戦争では完全に巻き込まれ始めている面があります。

 まず、2月下旬からウクライナ紛争が始まるタイミングで日本に対しても社会インフラ、政府、自治体、企業などに対するサイバー攻撃が激化しています。電力系インフラに関しては従前の8倍から10倍という規模の攻撃を受けている状態であるばかりか、先日も大手製造業トヨタ自動車の関連会社や子会社がサイバー攻撃を受け、そのうちの樹脂部品メーカーの小島プレス工業システムダウンし、短期間とはいえ全面的にトヨタ自動車が操業停止に追い込まれるという事件が発生しました。

 また、一時期鎮静化していたマルウェア「emotet」が再び拡散して猛威を奮っており、ロシア系のハッキンググループの関与が疑われている一方、「FoxBlade」と名付けられた新しいマルウェアが発見され、ロシア政府の関与があるかどうかはともかくロシア系民間組織によるサイバー攻撃激化の可能性は強く示唆されるところです。

マイクロソフト、ウクライナに対するロシアのサイバー攻撃や情報戦への対応を発表(ZDNet Japan)
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トランプが米大統領だったら、ウクライナ侵攻はなかったのか

中国系と見られるハッキンググループの活発化

 一方、ウクライナ紛争に便乗して中国系と見られるハッキンググループの活発化も報告されており、全体的にきな臭い動きになっていることはご理解いただけることでしょう。

 なにぶんウクライナ紛争を機に世界的に政府や企業に対する攻撃が激化しただけでなく、その矛先は明確に日本にも向かっており、電力系や水道などインフラ系企業で一朝時あれば大変なことになるのは言うまでもありません。

「なんで日本も」と思う人たちも少なくないかもしれませんが、実のところ、ウクライナはロシアにとって族弟ともいえる親密な隣国において事実上の併合を狙った軍事作戦を行使したものである一方、日本もロシアにとっては領土問題を抱えている隣国であることには変わりありません。
 また、アメリカやイギリス、フランスなどが主導しているSWIFTからの排除など対ロシア経済制裁に対して加担している国でもあり、ロシア側からすれば報復の対象とされる相手にはなるのでしょう。

 そう考えられる一端として、日本語圏においても親露派が独自で行っているだけとは思えないディスインフォメーション(フェイクニュース)がインターネット上で数多くみられるようになりました。
 およそ、いままでウクライナのことに言及したことのないアカウントが、親露的な発言を行う有識者・著名人アカウントに賛同するコメントを寄せたり、拡散のためにリツイートをしたりといった形で影響力が行使されている非常にロシア的なやり方で日本語圏のネット社会に介入している事例が見て取れます。

 これらの話題は、一面的にはストレートにロシアを支持し、支援する内容ばかりがクローズアップされているものではありません。ロシアによるウクライナへの武力行使は望ましくないことを認めながらも、一方で、ロシアにはそのような侵攻を行う理由はあった、ウクライナにも非があるというような「どっちもどっち」論を取り、中間派を装って世論を動揺させようとするアプローチが特徴的です。
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ロシア・中国系のサイバー攻撃が活発化している

ウクライナ侵攻は非合理で、受け入れられない

 図らずも、これらの動きとロジック上ほぼ同じステートメントを出しているのは中国中南海のこの内容です。ロシア政府の情報部門、あるいはこれらの委託を受けて日本語圏でディスインフォメーションを流していると見られるアカウントの発言趣旨と極めて近いのが特徴的ですが、これはロシアと中国が協調して日本語圏での影響力工作を日本で行っているというよりは、いまのロシアのやっているウクライナ侵攻を正当化するロジックは中国が言っていることぐらいしか成立しないということの証左ではないかと思います。

Wang Yi Expounds China's Five-Point Position on the Current Ukraine Issue

王外交部長、ウクライナ問題に関する中国の5つの基本的立場を表明(中国、ロシア、ウクライナ)

 詳しく見ていくと、中国もまた、ロシアによるウクライナ侵攻についての状況を認識し、そのうえで、ウクライナだけでなくすべての国々の主権は守られていなければならないという大前提を述べたうえで、旧態的な冷戦思考からの脱却を訴えます。

 そして、ロシアが侵攻にいたった背景にNATOの東方拡大の約束を一方的に保護にしたロシア側からすれば無視できない安全保障上の危機感や問題意識に寄り添う文章が続きます。
 つまり、中国はウクライナの国家としての主権の存在は認めつつも、2014年のクリミア半島の事実上の併合後の国境線などを定めたミンスク議定書(ミンスク合意)を破ってロシアがウクライナに侵攻した外交的背景はウクライナNATO加盟申請というNATO東方拡大否定の約束を破られたもの、とロシアの侵攻にも合理的な開戦理由があると中国は認めているわけです。

 しかしながら、国連でのロシア非難決議が141カ国の賛成(ベラルーシ、北朝鮮など5カ国が反対)という状況が示すように、非難決議を棄権した中国の言い分を妥当とする国は少数であるのが現実です。2014年に続く2022年のロシアによるウクライナ侵攻が、国際社会的には非合理で、受け入れられないという大前提に立つのはある程度自明のことと言えます。

 この問題にあたって、サッカー選手の本田圭佑さんがNATO加盟申請に踏み込んだウクライナ大統領ゼレンスキーさんの決断に対して否定的なツイートをしたところ、当初、問題のあるアカウントが一斉にこれをリツイートして拡散し始めました。その数十分後には、本田圭佑さんの発言のあまりの頓珍漢さに批判や反論も殺到することになるのですが、本田圭佑さんはあくまでこのウクライナ問題に対する無知や非見識が理由で書いたこととはいえ、かなりの速度で日本語圏のSNSでの議論をサーチし、対応する集団がいるということもまた明らかなことではないかと思います。
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サッカー選手、本田圭佑氏のツイート

ディスインフォメーションの代表格

 そして、一連のウクライナ大統領の言動を批判したり、ロシアとウクライナの開戦はどっちもどっちというディスインフォメーションに対して親和的な反応をしたり、拡散させているクラスターは、少なくとも中国系と見られるアカウント群とはかなり距離があります。また、いままでほとんど社会的、時事的な記事に対して反応してこなかったアカウント群が掘り起こされ、TwitterやInstagramで情報拡散しているのは特筆されるべきことです。古典的な言い方をすれば、有事になったので指令が降りたスリーパーが活動を開始するようなものです。

 些末ながら、ロシアに親和的な発言の類型の一つに、戦争を早く終わらせる、そのためにはウクライナ「も」武器を置くべきだ、という内容があります。英語圏でも特に、この論法でディスインフォメーションを流そうという動きは活発ですが、この論法は日本語圏だけでなくドイツ語圏でも、特に女性の利用者が多いSNSや影響力を持つアカウントでは一定の現象が見られます。

 当り前のことですが、侵攻したのがロシア側である以上、ロシアが攻撃をやめない限り、防衛しているウクライナ軍が武器を置くことはできません。すなわち、この戦争を終結させようというのは一見人道主義的に見えて、実際にはウクライナに無条件降伏を促すようなディスインフォメーションの代表格であると言えます。

 そして、このような情報工作をすると「そんなことを誰が信じるのか」という反応がくることも多くありますが、実際には、まず短期的に、ロシアに限らず情報工作というものは相手の価値観を揺さぶることだけでなく、すでに自分たちと考えを等しくしている人たちを踏み固める効果があります。

 一方的に、ロシアがウクライナに侵攻したという話を聞かされると、詳しくない人は「ウクライナ可哀想」となりますが、同様に「でもウクライナにも攻められる理由があるんですよ」と言われるとそうなのかと素直に思う、揺れる人たちが一定の割合います。詳しくない人に「ウクライナにも攻められる理由がある」という情報をインプットしただけで、それまでの一方的な戦争に対する先入観を改めてもらえる確率があるのです。

 同様に、ネットでも国際社会でも劣勢の、ロシアが正しいのだと考える人たちは一定の割合でいます。少数派ですが、確実にそういう人は存在するのですけれども、この人たちは公然と「ロシアは正しい」と思っていながらも、SNSだけでなく職場や学校で「ロシアは正しいのではないか」と言うと変わった人だと思われ自分の立場が危うくなることを恐れて黙っている傾向があります。
 同様に、ロシア云々は関係なく、いま自分の置かれている状況に満足できないため、戦争は起きるべきだ、戦争によって社会は変わるべきだと考えている人たちも、少数ながら一定の割合います。

 そういう人たちが、劣勢でも「ロシアは正しい」という発言を目にすることで、自分の考えていることは正しかったのだ、戦争は起きるべきだと自分の意見を確信することができます。陰謀論者であれ権威主義者であれ、巷で語られていることは正しくなく、ネットの中に正義があると信じ込みたい人たちほど、叩かれがちな少数意見でも流布していて目に入ることそのものが彼らにとって存在証明になるのです。

https://www.spf.org/global-data/user172/cyber_security_2021_abstract_web.pdf

「制脳戦」が始まっている

 また、笹川平和財団でのディスインフォメーション関連の政策提言でも議論しましたが、これらの偽情報はより長期的な人間の記憶に作用することが分かっています。

 人間、あまり専門としておらず、詳しくない分野においては、かなりあやふやな知識でも「そういえば」と思い出し、判断の材料にすることがあります。ここで課題となるのは、ネットで聞きかじりの知識とともに、
「そういえば、ウクライナが攻め込まれたのはNATOに加盟しようとしたからじゃなかったか」
「確かネットでそういう話があったな」
「ウクライナが攻め込まれたのはそれが理由だよな」
 と思い返す人が一定の割合で出ることを期待して、めちゃくちゃでもなんでも、厚顔無恥(こうがんむち)でもいいので臆面もなく堂々と間違った情報を流すことに価値があるということになります。

 これらのディスインフォメーションの起点は、往々にして、マスコミや有識者の言っていることとオルタナティブになることで情報の信頼度が増し、ソースロンダリングされることになります。
 最近では、外交評論家や元大使などが、あまり確かではない未来予測をし、ロシア関連で親露的な発言や、果てはロシア正規軍ではなくベラルーシ軍がウクライナに侵攻するなどの与太話を始めると、あのテレビにも出ている著名な専門家が忖度(そんたく)なく発言しているのだからという受け取り方をする人たちが一定の割合で出て、明らかに落ち度のないウクライナに対して非難を始めたり、プーチンロシアには既存の西側秩序に公然と抵抗するもっともな理由があったなどの発言を始めることになります。

 これらのディスインフォメーションを駆使した情報戦は、インターネット空間を使った直接のサイバー攻撃も加えて中国では「制脳戦」、すなわち人間の認知を巡る戦いであると位置づけられています。これらが、ひいては民主主義の日本において私たちの代表である議員を選ぶ公職選挙にも影響をする危険性があり、いま日本はまさにその最前線にいるといっても過言ではないぐらい大変なことになっているのが実態です。

 ここまで社会にネットが浸透していると、ちょっと前まで米中対立に伴う経済安全保障をどうにかしなければならないとか、脱コロナ社会は一層のネット依存が避けられないのでプラットフォーム規制をこれからどうするか考えるなどというような緩い時代観では、もはや太刀打ちできないぐらい滅茶苦茶なことになりつつあることを、ぜひ皆さん認識していただければと存じます。

 その最たるものは、イギリス人にとって必ずしも合理的ではなかったEU離脱(ブレグジット:BREXIT)や、ロシアからの選挙介入をされて誕生したアメリカ大統領ドナルド・トランプさんのような問題を、海外からの介入によって日本も起こしかねないのだということで。
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ネット社会の浸透によって、偽情報もまかり通ることに
山本 一郎(やまもと いちろう)
1973年、東京都生まれ。個人投資家、作家。慶應義塾大学法学部政治学科卒。一般財団法人情報法制研究所上席研究員。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も行なっている。

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この記事へのコメント

あふぉ 2022/3/9 05:03

地政学的にも隣国の反対正面で起きていることは自国に大きな影響が有りますね
今の政界には陸奥宗光元外相のように直接交渉出来る人材は居ないし戦後一世紀近く経過していますが交渉材料の構築も出来ていないのが戦後生まれである我々の不明でしょうね

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