共同通信の報道に注意

 私は『WiLL』2020年2月号で、拉致問題の現状について書く中で、情報工作の一環として田中実さんらの情報が意図的にリークされていると警告した。2月号が発売された直後、私が警戒を呼びかけた「田中実さん生存情報」に関する報道があった。共同通信が12月27日、「北朝鮮拉致情報、政府高官が封印 田中実さんら2人生存、首相了承」という記事を配信したのだ。テレビや全国紙はほとんど報じなかったが、地方紙では一面トップ扱いしたところもあった。

 共同報道の背後には、北朝鮮の工作機関と、それに呼応する日本国内の拉致棚上げ勢力の工作がある。繰り返し警告してきたように、彼らは「再調査の結果」として、2002年に金正日が「死亡」と通報するよう命じた横田めぐみさん、田口八重子さんら8人については再度死亡という偽情報を出し、8人以外の数人の被害者が発見されたが本人は帰国を望んでいないと通報し、日本側が納得できないなら国交正常化交渉と並行して日朝合同調査委員会をつくって調査を続けようという謀略を準備している。それを日本世論に納得させるため、田中実さんらの生存情報をリークし、工作を繰り広げているのだ。

 そこで私は、共同報道の直後に「共同通信の拉致報道に注意せよ」という短文を書き、家族会のメンバーや支援者らに伝えた。その分析を敷衍させ、来たるべき日朝協議で「全被害者の即時一括帰国」という絶対に譲れない目標を実現するための備えとしたい。

 共同記事の冒頭にはこうある──。
〈北朝鮮が2014年、日本が被害者に認定している田中実さんら2人の「生存情報」を非公式に日本政府に伝えた際、政府高官が「(2人の情報だけでは内容が少なく)国民の理解を得るのは難しい」として非公表にすると決めていたことが26日、分かった。安倍晋三首相も了承していた。複数の日本政府関係者が明らかにした。もう1人は「拉致の可能性が排除できない」とされている金田龍光さん。
「平壌に妻子がいて帰国の意思はない」とも伝えられ、他の被害者についての新たな情報は寄せられなかった。被害者全員の帰国を求める日本政府にとって「到底納得できる話ではなく、国民の理解も得られない」(高官)と判断した〉

 共同通信は2018年3月からこれまで通算4回、2人に関する生存情報を日本政府が入手している、と報じてきた。5回目にあたる今回の記事で新しい点は、日本政府の高官が安倍首相の了承の下でその情報を公開しないと決めた、という点だけだ。見出しで〈拉致情報、政府高官が封印 首相了承〉と書いたことからも、安倍政権批判が記事の狙いであることが透けて見える。記事は、安倍政権の対応を次のように厳しく批判している。
〈2人の生存情報を日本政府が入手して5年余り。日朝交渉に進展がない中、拉致問題解決を「最重要課題」と位置付ける安倍政権が非公表を続けている判断が適切かどうかが問われる〉。

 その上、たたみかけるように同級生の政府批判を紹介した〈「見捨てるのか」批判 田中さん同級生、帰国期待〉というサイド記事も添えられていた。
 事情を知らない国民が読むと、あたかも安倍首相が拉致被害者の生存情報を隠蔽しているかのように読める。しかし、この記事に書かれていない重大な事実がある。それは北朝鮮当局が今に至るまで、公式に2人の生存情報を公開していないということだ。北朝鮮がなぜこの情報を公開しないのか、その理由に関する考察なしに日本政府の非公開決定だけを取り出して批判していては、全体像は見えてこない。

 北朝鮮は新たな情報を提供するにあたり、必ず見返り条件を出しているはずだ。彼らが見返りなしに情報提供することはこれまでの経験上、絶対にあり得ない。安倍政権は全ての被害者の一括帰国と核ミサイル問題の解決がなされたあと、国交正常化をして経済協力をするという大原則を固守しており、数人の被害者の曖昧な生存情報に対して見返りを与えることはしない。北朝鮮が田中さんらの生存を公開してしまえば、安倍政権は隠しようがないし、むしろそれを歓迎して田中さんらの帰国を強力に要求するだろう。拉致は犯罪だから、認めた瞬間に見返りなしの帰国を求められる。北朝鮮はそれが嫌なのだ。
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 交渉には様々な駆け引きがある。密室の中で、曖昧な表現で生存情報があるかのような発言を北朝鮮側がしていたとしても、非公開を前提にした発言で確認も取れていない一方的な情報を日本側から公開することはできない。それをすれば信頼がなくなり、交渉で不利に働く可能性が大きい。

リベラル官僚の暗躍

 ここまでの考察で、今回の記事の問題点が浮かび上がってくる。それは、一体誰がこの情報を共同通信にリークしたのか、ということだ。記事を読むと、北朝鮮関係者のコメントは全く引用されず、日本側の匿名の「政府高官」のコメントが明記されている。情報源としては「複数の日本政府関係者が明らかにした」とされている。

 記事冒頭部分を再び見てみよう──。
〈北朝鮮が2014年、日本が被害者に認定している田中実さんら2人の「生存情報」を非公式に日本政府に伝えた際、政府高官が「(2人の情報だけでは内容が少なく)国民の理解を得るのは難しい」として非公表にすると決めていたことが26日、分かった。安倍晋三首相も了承していた。複数の日本政府関係者が明らかにした〉

 ここで、非公開決定を下した「政府高官」は安倍首相とは別人物とされている。また、記事の情報源は「政府高官」ではなく「複数の日本政府関係者」とされている。当時、北朝鮮との交渉は外務省が行っていた。当然、情報を得たのも外務省だ。そう考えると、「政府高官」は外務省高官、すなわち外務大臣か外務次官である可能性が高まる。そして、情報をリークした「政府関係者」は、外務省の機密情報に接することができた人物と想定される。

 ここで過去4回の田中さんら生存記事の情報源を確認してみよう。前述の通り、共同通信が田中実さんらの生存情報を報じたのは今回で5回目だからだ。

1回目 2018年3月16日〈田中実さんについて、北朝鮮が2014年、日本側との接触で「入国していた」と伝えていたことが16日、分かった。日本政府関係者が明らかにした。(傍線西岡、以下同)〉
2回目 同年3月25日〈金田龍光さんについて、北朝鮮が2014年の日本側との接触で、「入国していた」と伝えていたことが25日、分かった。日本政府関係者が明らかにした〉
3回目 同年7月21日〈北朝鮮が日本側との最近の接触で、4年前に入国を認めた神戸市の元ラーメン店員田中実さんと、同じ店の元店員金田龍光さん以外に「新たな入国者はいない」と伝えていたことが21日分かった。日本政府関係者が明らかにした。伝達時期は、米朝首脳会談が開かれた(2018年・西岡補)6月12日前後とみられる〉

 共同はここで新しく、2018年6月12日前後に日朝秘密接触があり、北朝鮮が田中、金田以外に新たな入国者はいないと伝えていた、と書いた。日本政府関係者は6月12日前後に行われた日朝秘密接触の内容を、わずか10日ほど後の6月21日までに共同通信にリークしていたことになる。

4回目 2019年2月15日 〈田中実さんが結婚し平壌で妻子と共に生活していると、北朝鮮が日本側に伝えていたことが15日、分かった。2014年以降の両国の接触で複数回、伝えてきた。日本政府関係者が明らかにした。(中略)金田龍光さんにも「妻子がいる」と伝達。田中さんと金田さんの帰国意思は「ない」と説明した〉

 通読して分かるのは、すべて「日本政府関係者」から得た情報ということだ。また、この4本は全て米朝首脳会談と関連して出されている、と見ることができる。2018年3月8日にトランプ大統領が金正恩と会談すると発表された。1回目と2回目はその直後に配信されている。米朝首脳会談が順調に進展すれば日朝首脳会談も近くあり得るという見通しのなかで、「政府関係者」が2014年の日朝協議の内容をリークしたのではないか。

 同年6月12日に1回目の米朝首脳会談がシンガポールで開催された。3回目は、米朝首脳会談の前後に行われたという日朝秘密接触の内容のリークだ。翌年2月27、8日に2回目の米朝首脳会談がハノイでもたれた。4回目はその直前に配信されている。「2014年以降の両国の接触で複数回、伝えてきた」とされているから、1回目と2回目の記事のときにはリークされなかった2014年以降の秘密接触の内容がこのときリークされたと見るべきだ。やはり、2回目の米朝首脳会談が順調に進むと日朝首脳会談につながるかもしれないという見通しがあったときに、リークされたことになる。このように見ると、4本の記事は、日朝協議が進む可能性が高まったときに「全被害者の即時一括帰国」ではなく、数人の被害者の生存情報の公開とそれ以外についての日朝合同調査という、北朝鮮が狙う謀略に乗ろうという政府内勢力のリークと見ることができる。

 今回の5回目の報道は、日朝協議が膠着状態の中でなされた。その背景について、政治評論家の石橋文登氏は「安倍政権が残り二年を切ったことで、今まで身を潜めていたリベラル官僚が蠢き出した、と見るべきではないか」と分析している。なお、共同以外のメディアは後追い報道をしていない。つまり、確認が取れていないのだ。だから現段階では誤報の可能性もゼロではないが、一連の共同報道が正しいなら、責められるべきは密室で行われた交渉の内容をリークした「政府関係者」だ。

 情報管理の徹底をすでに2018年8月、当時の北村滋内閣情報官が極秘で北朝鮮の工作機関の要人とベトナムで接触していたことが、ワシントンポストにすっぱ抜かれたことがあった。そのときも、情報源は北朝鮮ではなく我が国政府関係者ではないかと専門家の間でささやかれていた。
 
 家族会は政府に対して、自分たちの肉親について情報があれば教えてほしいと繰り返し要請してきた。しかし、その前提は、全被害者の即時一括帰国という大目標の妨げにならない範囲で教えてほしいということだ。密室の交渉ごとをすべて明らかにできないことは、家族会もよく分かっている。愛する肉親がどこで何をさせられているのか知りたいと切望しながらも、政府が集めた情報を全被害者の即時一括帰国に活用するなら、公開しなくても我慢する。家族は、必死に耐えているのだ。
 
 それなのに、なぜマスコミに交渉の内容が日本政府内からリークされるのか。北朝鮮の交渉担当者が、秘密を守れないような相手とは機微に触れる話はできないと判断し、交渉が難航することは十分起こり得る。そうなったら一体、誰が責任をとるのか。政府にはより一層の厳しい情報管理を求めたい。

 繰り返しになるが、私は共同通信の一連の報道の背景に北朝鮮の工作の陰を見る。北朝鮮の工作機関である統一戦線部は、数年前から日本の政治家、学者、マスコミに執拗に働きかけを行っている。彼らは、横田めぐみさんら2002年に死亡と一方的に通報された8人は死亡しており、その後の調査で数人の被害者が発見されたが、本人は北朝鮮での永住を求めているなどという謀略情報を拡散している。

 今回の記事に〈北朝鮮は、被害者全員が生きている前提に立つ日本との対話に応じようとしない。安倍晋三首相に打開策はなく、交渉は袋小路に陥っている〉という一節がある。 安倍政権と家族会・救う会の「被害者全員が生きている前提に立って行動する」という方針に対して統一戦線部は、「それでは永久に話し合いに応じない。
 何人かを返してもらい、その後、日朝共同調査委員会をつくって調査を続けながら、国交正常化交渉を並行して進めよう」という意見を広めようとしてきた。すでに、元外交官、日朝国交正常化促進議員連盟の役員ら、著名な学者らがそのような主張を公然と語り始めた。

 家族会・救う会・拉致議連は、拉致問題解決の定義は「全被害者の即時一括帰国」であり、部分帰国や五月雨式の帰国、日朝合同調査委員会の設置などは絶対に認められないと、繰り返し主張してきた。安倍首相や菅官房長官もぶれていない。
 
 しかし、日本国内には異なるゴールを想定し、機密情報をリークまでして世論を誘導する勢力が存在するのだ。戦いは正念場だが、助けを待っている被害者がいる以上、ぶれずに「全被害者の即時一括帰国」を求め続けていくしかない。
西岡 力(にしおか つとむ)
1956年、東京生まれ。国際基督教大学卒業、筑波大学大学院地域研究科修了。延世大学留学。外務省専門調査員、月刊『現代コリア』編集長を歴任。2016年、髙橋史朗氏とともに「歴史認識問題研究会」を発足。正論大賞受賞。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」会長。朝鮮問題、慰安婦問題に関する著書多数。

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