【橋本琴絵】憲法上も問題ナシ――いますぐ台湾に日本人義...

【橋本琴絵】憲法上も問題ナシ――いますぐ台湾に日本人義勇軍を送れ

迫る台湾有事

 令和3年3月23日、アメリカ合衆国上院軍事委員会公聴会にて、新たにインド太平洋軍総司令官に任命されたジョン・アキリーノ大将は、「台湾侵攻は多くの人々の予想よりも差し迫っている」と証言し、共産軍の侵略戦争が目前であると警告するとともに、前任者のフィリップ・デービッドソン大将が主張した「台湾侵攻作戦は今後6年以内に起きる可能性が高い」という戦争開始まで時間的にゆとりがあるとの分析を批判した。

 これに呼応するかのように、3日後の同月26日には、核攻撃に使用する戦略爆撃機ツボレフ16のコピー機「轟炸六型」など20機を中国共産党軍(以下共産軍)は台湾防空識別圏内で飛行させ、軍事的に威嚇した。

 また、尖閣諸島周辺の日本領海侵入を繰り返す共産軍は、日米軍から探知されないようにレーダーを切って航行し、いつでも戦闘に入れる状態であるという。日米軍はこうした共産軍の動きに偵察衛星を駆使して注視しているが、軌道周回の問題から東シナ海に展開中の共産軍戦闘艦艇を補足できない時間帯があり、このタイミングに合わせた行動と、時には日本の商船用レーダーを搭載して使用し、擬装工作を行っているという。(産経新聞・令和3年3月30日付)

 このように、戦争は目前に差し迫っている現実を直視せざるを得ない情況にある。もし、台湾が陥落したならば、次は沖縄に爆弾が落ちる。それだけにとどまらず、マラッカ海峡を通過する日本行きタンカーの海上補給路は遮断され、わが国の経済と国民生活は多大な損害を受けることが明らかだといえる。

 残念ながら、台湾侵攻作戦までわが国の憲法改正が間に合う保証はない。では、私たちはこのまま傍観すべきなのか。そこで本論は、過去の内閣法制局(政府)の見解を基礎にし、台湾有事におけるわが国の在り方についての私見を述べたく思う。

憲法上も問題ナシ

 2009年10月、台湾国防部の黄奕炳中将が日本人を台湾に招いた。共産軍の侵攻を撃退した古寧頭戦役から60周年を記念しての招聘であった。ここに、かつて台湾で共産軍を撃退した日本人の英雄らの子息が招かれたのである。その理由は何か。

 台湾は1895年から日本領に編入されたが、1945年の大東亜戦争終結以降、中華民国(国民党)が駐留していた。翌年から大陸内で共産党と国民党が戦争をはじめ、国民党が戦術的敗北をすると、国民党は台湾に臨時首都を設置したため、共産党は台湾占領作戦を開始したのである。

 ここで共産軍上陸阻止作戦の指揮をとったのが根本博氏という日本人であった。根本氏は台湾侵攻作戦が近いことを予想すると、東京の町田市の自宅を抜け出し、宮崎県沿岸から密航船に乗って台湾に上陸した。そして、中華民国陸軍に協力を申し出て、司令官に任官し、見事な作戦指揮を行い共産軍上陸部隊の撃滅に成功した。

 ここで本論が注目するのは、現在と同じ日本国憲法下におけるわが国政府の見解である。実は、根本氏の指揮で共産軍を撃破して台湾の赤化が阻止されたことは当時の日本社会を騒がせた。そこで、第6回国会(昭和24年11月25日)で、政府は日本人による軍事指揮について次のように答弁した。

 「日本国内において日本人義勇軍が組織された事実は発見されない」
  (当該答弁はこちら

 つまり、日本の施政下でなければ、日本人義勇軍の編成と実戦参加については黙諾するとの方針を示したのである。
wikipedia (5393)

根本博・陸軍中将
via wikipedia
 この政府答弁の後、日本陸軍歴戦の勇士たちが台湾に参集し、日本人軍事顧問団の「白団(パイダン)」を結成した。日本人軍事顧問団は以後20年近くにわたって台湾の中華民国国防軍の軍事的エリートを養成・教育し続けたのである。

 繰り返すが、現在と同じ憲法下である。したがって、自衛官らが一時的に離職し、日本国外で武器調達をして台湾に集結し、軍事活動をした後に帰国することは、憲法上の問題があるとする理由がない。

 領海線が明確ではない海域においては、わが国が自主的に防衛線を認定し、至厳なる警戒と周到なる用意をし、万一衝突したならば兵力の多寡ならびに領海線の如何にかかわらず必勝を期さなければならない。

対岸の火事ではない

 台湾の陥落は対岸の火事ではなく、切実な問題である。戦争を望む意思が相手方にある以上、たとえ自らになかったとしても、戦いは不可避なのだ。もはや、甘えた戦争観が許される時局ではない。

 そこで戦争史を俯瞰することで、一層の覚悟を促したく思う。

 古来、戦争とはその土地が養える以上の人間が生まれたときに発生するものであった。原始時代の狩猟採集であっても、その土地にある果実と獲物は定量であり、人が増えれば餓死者が出るため必然的に殺し合いをして人口削減をしなければならなかった。稲作が始まっても、高地性集落や環濠集落の遺跡が示すように、人口が増えればそれを養うために水耕面積を増やさなければならないが、水源の水量は一定であるため、これもまた戦争をしてその水源で維持できるだけの人口に減らさなければならなかった。

 こうした事実から、マルサスが「人口論」(1798年)で主張したように、人口増加が貧困を生み出し、それが戦争によって解決される旨が理解されるようになった。しかし、この戦争観を変えたのが、1906年に発明されたハーバー・ボッシュ法である。

 ハーバー・ボッシュ法は空気中から化学肥料の原料を生成することに成功した。これにより、植物に窒素を供給することができ、「土地が枯れる」という現象がなくなった。作物の収穫量は飛躍的に増加し、結果として増えた穀物を家畜に与えることで畜産も増加、人類は食糧問題を解決したのである。すなわち、20世紀初頭に人類は空気中からパンと肉をつくることに成功し、ボッシュらはノーベル賞を受賞した。

 よって、いま食糧難が起きている地域は、「食糧生産よりも優先したいこと」をしている地域に限られる。では、食糧生産よりも優先すべきこととは何か。それは、憎悪の観念である。
wikipedia (5395)

日本に向けられている「東風」
via wikipedia
 観念とは人の内面世界であるため、対話によって変更させることは難しい。単に空腹を理由にした戦争ならば空腹状態の解決が戦争の解決を意味したが、観念は対話や交渉によって変更される余地がない場合がほとんどだ。

 したがって、貧しい暴力愛好者を支援して豊かにすれば、富める暴力愛好者となるだけである。この点、わが国が半世紀以上にわたって国民の血税を吸い上げて行い続けてきた対中ODAは無残な結果に終わったといえよう。日本を射程にとらえている「東風」などの弾道ミサイルは、日本人の税金でつくられたと評価しても過言ではない。

 話し合いや対話の余地が一切ない戦争観をもって、来たる台湾有事に私たちは備えなければならないことを強く本論は主張する。
 (5390)

橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。

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