ネットに潜む中国の影

ネットに潜む中国の影

 数年前、中国の警察に一時拘束された北京の民主化活動家から聞いた話だ。深夜、自宅から警察施設に連れ出され、取り調べ室らしき部屋に入ると、壁にスクリーンがあり、そこには自分の携帯電話に入っているメッセージアプリケーション「微信」(WeChat)の画面が映し出されていた。

 その約半年前に、複数の友人らと交わしたやり取りが大きく表示され、「政府批判」にあたる部分は赤線でチェックされていた。「これだけの証拠があれば、あなたを今すぐでも国家転覆罪で逮捕できる」と警察官に脅迫された。携帯電話のアプリを通じて自分の言動が監視されていたことをはじめて知ったこの活動家は、とても恐ろしく感じたという。微信は中国企業が開発、運営しているアプリなので、そこでやり取りされる情報を中国の治安当局に把握されることは、当然と言えば当然だ。

 今、中国とビジネスを展開する日本人の企業関係者の携帯電話には、ほとんどが「微信」をダウンロードしている。「使いやすい」と絶賛する日本人も少なくない。彼らは自分の個人情報が中国当局に筒抜けになり、場合によって企業秘密が盗まれるかもしれないことをあまり意識していないようだ。

 微信よりもっと厄介だと言われるのが、同じく中国企業が開発したティックトック(TikTok)というショートムービープラットフォームアプリだ。誰でも音楽に合わせて簡単に魅力的な動画をつくることができるため、アジアを中心とした若い世代から人気を集めている。愛用者の年齢は低く、日本では中高生を中心に使っている人が多い。台湾のIT専門家によれば、ティックトックをダウンロードすれば、携帯電話の中のデータが盗まれる可能性があり、使用者の現在の居場所も特定できる。ここ数年、ものすごい勢いで世界中に普及し、ユーザーはすでに15億人を超えた。「中国がティックトックを利用して、さまざまなデータを集めているはずだ」と言った。

 危険なのは中国の製品だけではない。日本の企業がオンライン会議などで愛用している米ビデオ会議サービス「ズーム(Zoom)」も、中国の治安当局の影響下にあることが明らかになった。6月4日。米国在住の民主化活動家らが、ズームを使って、31年前の1989年のこの日に起きた民主化運動が弾圧された天安門事件の犠牲者を追悼するオンライン集会を開き、米国や欧州、香港、中国国内の活動家ら数百人が参加した。しかし、この会議は中断してしまった。世界各地在住の元天安門事件の学生リーダーや、人権派弁護士らのズームのアカウントが急に使えなくなったのだ。

 後にズームの広報担当者はメディアの取材に対し「中国当局から圧力を受けて通信サービスを中断した」と認めた。「会議は中国の国内法に違反した可能性があるからだ」というのが理由で、「当社は事業を行っている国や地域の法律に従わなければならない」と釈明したが、中国の言論弾圧に加担したことで、ズーム社に対し世界中から批判が殺到した。また、今回の事件で明らかになったのは、中国の治安当局はズーム社のオンライン会議の内容を監視しているということだ。同社を利用している世界中の企業の内部会議を中国当局が、その気になればすべて把握できるかもしれない。

「中国に進出していないソーシャルメディアを利用すればよい」といった声も聞かれるが、実はそれも安心できない。米ソーシャルメディア大手のツイッター社は6月中旬、言論操作したとして中国共産党に関連しているとされる17万余りのアカウントを削除したと発表した。17万余りのアカウントのうち、約2万が中国政府の政策などを称賛する書き込みを投稿し、残る約15万のアカウントは、投稿を拡散させたという。実はツイッター社は、昨年夏も同じ理由で約20万アカウントのうち936のアカウントを削除していた。今回の17万アカウントは、その後に新たに登録したものだ。グーグルやフェイスブックにも同じように、中国による言論操作アカウントが数多く登録されていることは言うまでもない。

 私たちが日ごろ、インターネットで接する情報は、こうした中国側の「人海戦術」によってつくられたフェイクニュースの可能性がある。欧米や台湾では最近、インターネットから中国当局による浸透を一掃する「浄化作戦」を開始し、中国の影響下にあるソフトやアプリの使用禁止などの対策を取り始めたが、日本政府と社会はまだ問題の深刻さを全く認識していないのが実態だ。
矢板 明夫(やいた あきお)
1972年、中国天津市生まれ。15歳の時に残留孤児二世として日本に引き揚げ、1997年、慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社に入社。2007年から2016年まで産経新聞中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『習近平 なぜ暴走するのか』などがある。

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