ノーベル平和賞とトランプ

ノーベル平和賞とトランプ


 9月9日、トランプ米大統領がノーベル平和賞にノミネートされたというニュースが流れた。トランプ自身、繰り返しその事実をアピールした。今年度の受賞者は10月9日に発表される。

 トランプがノミネートされたのは、今回ではなく、来年10月に発表される次回、すなわち2021年度分である(推薦の締め切りは来年の1月末)。

 基本的事実を整理すれば、ノーベル平和賞は創設者アルフレッド・ノーベルの遺言に基づき、ノルウェー議会が選ぶ5人の選考委員の合議で決定される。

 推薦人の資格は緩やかで、各国国会議員や政府閣僚、各種国際裁判所の判事、社会科学系の大学教授、研究機関の長、過去の受賞者など広範囲に及ぶ。今年度は317人がノミネートされたという。

 トランプが推薦された理由は、「イスラエルとアラブ首長国連邦の和平を仲介した」外交的功績で、ノルウェーの保守派議員が選考委員会に届け出た。立派に成り立つ理由である。

 もっとも授賞主体のノルウェー政府は、欧州一般の例に漏れず、リベラル派主体の組織で、議会が選ぶ選考委員会も当然その傾向を持つ。したがって左派リベラルを戦闘的にバカにしてきたトランプが栄冠に輝く可能性はまずない。

 賞の創設者ノーベル自身は、平和賞の受賞資格を、常備軍廃止に向けて功績があり、国際的な友愛に尽くした人、としている。これは、少なくとも、国際政治の現実を冷徹に見据えていた人の言葉とは思えない。

 「力を通じた平和」を掲げ、アメリカは世界最強の軍を維持すると公言するレーガンやトランプは、いかに紛争解決や独裁政権打倒に実際的に貢献しても、そもそもノーベル平和賞流の「平和」概念にはそぐわない存在と言える。

 それは賞の側の視野の狭さに起因するもので、決して彼らの不名誉ではない。

 といって、ノーベル平和賞にまったく意味がないわけではない。国連や国際原子力機関(IAEA)、欧州連合(EU)といった肥大した、非効率な官僚組織に与えられた事例については無意味という他ないが、国家権力の悪辣な抑圧と闘う自由の闘士に与えられる場合には、国際世論の喚起という点で、その「つくられた権威」が有意義な効果を発揮し得る。

 中国民主化に生涯を捧げた劉暁波への授賞(2010年)は意味あるケースの典型である。このときノルウェー政府は、魚介類の輸入停止など中国共産党政権(以下、中共)の脅しを受けつつ屈しなかった。

 もっとも当時は、アメリカ政府(オバマ政権)を含めまだ自由主義圏全体が中共に宥和的で、国際世論が大きく喚起されることもなく、劉暁波は獄中で無念の死を遂げた(2017年。病死とされているが、実態に照らせば「病殺」がより正確。まだ61歳だった)。

 トランプの平和賞受賞は、賞の主旨および選考委員会の性格に照らしてあり得ないと先に書いたが、また実際問題、特に必要でもない。アメリカ政府には、自力で中東和平プロセスを推進していく力がある。

 受賞を通じて支援すべきは、たとえば中共の弾圧強化と闘う香港市民であり、新疆ウイグル「自治区」の強制収容所で呻吟するイスラム教徒たちだろう。

 具体的な人名を挙げるなら、香港の若き女性闘士である周庭や国家分裂罪で無期懲役とされ2014年以来、中国で収監中されているウイグル人経済学者のイリハム・トフティらがまさにふさわしい。

 トランプを推薦したノルウェー議員は自らその事実を公表したが、誰が誰を推薦したかは50年間公表されないルールになっている。

 各国の有志国会議員や大学教員が連携して、中共と戦う自由の闘士を推薦する運動を展開すべきだろう。

 左翼系の環境保護主義団体や人権団体は従来から推薦運動を組織的に繰り広げてきた。日本軍による慰安婦「強制連行」フィクションを鼓吹してきた反日諸グループも動いている。

 当然中共も水面下で工作活動に勤しんでいよう。

 アメリカ大統領選でトランプ再選となれば、米国は中共への締め付けを全方面で強めていくはずである。その時、周庭やイリハム・トフティらにノーベル平和賞が与えられれば、大きな戦略的武器となる。今度こそ劉暁波を見殺しにした轍を踏んではならない。

 ノルウェー政府に失礼を承知で言えば、同政府がもし「トランプと中共の対立」に関わりたくないと、半端な国際機関などに授賞してお茶を濁そうとするようなら、文明に対する歴史的な背信行為となる。国際的に強く自覚を促していかねばならない。
島田洋一(しまだ よういち)
1957年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。同大学院法学研究科政治学専攻博士課程(修了)を経て、85年、同大学法学部助手。88年、文部省に入省し、教科書調査官を務める。92年、福井県立大学助教授、2003年、同教授。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会副会長。櫻井よしこ氏が代表の国家基本問題研究所評議員兼企画委員も務める。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』(文春新書)など。

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