日台は〝運命共同体〟

 台湾総統選で、蔡英文総統が勝利しました。米国とチャイナ、世界が「自由」と「野蛮」に二極化する冷戦構造のなかで、米国陣営の最前線で戦っているのが台湾です。彼女の再選は日本だけでなく、世界にとって明るいニュースといえるでしょう。

 台湾でも大ヒットした『進撃の巨人』というマンガがあります。台湾人は、このマンガに登場する人間を食らう巨人にチャイナをなぞらえました。このままでは、巨人に食い殺されてしまうぞ、と。かつてのチャイナは、手づかみで人間を食らう食人族でしたが、いまは正装し、ナイフとフォークで人間を食らうようになりました。米国をはじめ、西側諸国がチャイナに文明人になってもらうべく支援したものの、経済発展を経ても本質は変わらず、文明人になることはありませんでした。

 日本と台湾には、チャイナという共通の敵が存在します。いや、チャイナにとって台湾は敵ではなく、ただの獲物にすぎないでしょう。チャイナの真の敵は日本であり、日本を食らうために、まず台湾という獲物を食らう必要があるのです。今回の総統選で、台湾は巨人に食べられる直前で踏みとどまることができました。

 先日、テレビのインタビューで「台湾と日本は同盟国になるか」と質問を受けました。私は、「同盟国にならなければ、両国は生存できない」と答えました。台湾を奪われたら、日本は数千年経験したことのない、国の南側に敵が存在する状況に置かれます。おそらく、日本は自国を守り切ることができないでしょう。私はどれほどの日本国民が危機感を持っているのか、心配でなりません。

 1985年、日清戦争のあと、下関条約で清から台湾を割譲したときも同じ構図です。台湾を取らなければ琉球を守れない、九州を守れないという危機感がありました。日本が化外の地である台湾と出会って以来、両国は〝運命共同体〟なのです。

〝先生〟に対する尊敬

 台湾人は世界一、親日的です。台湾国民2300万人のうち、毎年500万人が日本を訪れ、台湾ではどんな日本人でもモテまくる(笑)。ここで一つの疑問が生じます。同じ日本統治時代がありながら、どうして台湾は親日で、韓国は反日なのか──。

 韓国と同じように、インフラ整備、教育制度の確立、法治主義など、日本が施した政策は、今日の台湾の礎となっています。私の通っていた小学校の机には「明治小学校」という焼き印が押され、通学路にあった図書館も日本統治時代の建物でした。家も畳が敷かれ、食事をするのも、宿題をするのも「ちゃぶ台」で、五右衛門風呂もありました。庭にある池では父が錦鯉、ではなく、すっぽんを飼っていた(笑)。何はともあれ、台湾人は日本を感じながら生活を送ってきたのです。

 しかし台湾にいた頃、後藤新平や児玉源太郎、新渡戸稲造、八田與一……台湾に貢献した日本の偉人の名前を聞いたことがありません。戦後、国民党が行った反日教育は私が大学卒業まで続いていたからです。親から日本統治時代の話を聞くことも、ほとんどありませんでした。子どもが外で話すと、思想犯で捕まる可能性があったのです。ただ、そのなかでもよく聞かされていたのは、「日本人の教師と警察官は厳しくて、怖かった」という話でした。

 教師はともかく、「警察官が怖い」とはどういうことか。日本人は親しみを込めて「お巡りさん」と呼んでいますが、悪いことをしない限り、警察官は市民の味方です。しかし、日本統治時代の台湾人は警察官のことを「大人(タイジン)」と呼んだのです。というのも、警察官はパトロールだけでなく、家のなかに入って衛生検査を行ったり、子どもが学校に行っているかをチェックしたり、読み書きをできない親に教えたり、ありとあらゆる〝教育〟を行ったからです。

 台湾人は後藤新平を知らなくても、学校の先生と警察官から日本を知ったのです。彼らは厳しかったけれど、台湾人に清潔感・規律・正義感・冒険心──〝日本精神(リップンチェンシン)〟を教え込みました。日本精神という言葉は、いまも台湾で誉め言葉として使われています。
 清潔感とは、身だしなみや部屋を綺麗にすることだけではありません。心のなかも常に清潔でいることです。賄賂をもらわない、あらゆるものに感謝し、清らな心で穢れのない生活を送る……そのように教え込まれました。

 規律とは、ルール・約束を守ることです。みんなで協調し合い、平和的に暮らす。日本人にとっては当たり前のことかもしれませんが、当時の台湾、そして今のチャイナには根付いていません。
 正義感とは、「弱きを助け、強きをくじく」という武士道の原点でもあります。日本人は、身の危険を省みずに台湾人を感化しました。芝山巌学堂という小学校では、抗日暴動で六人の教師と用務員が惨殺されました。彼らは治安が悪化し、周辺住民から避難を勧められながらも、「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」と教育に殉じる覚悟を示し、その場に残りました。日本精神がよくわかる史実です。そして、冒険心。台湾の3分の2は険しい山々です。標高3500メートル以上の山が、20山もある。そんななか、どんな辺境にも必ず警察官はいました。山を登り、調査し、原住民を感化させ、教育する。日本人の正義感と冒険心が成した業でしょう。

 台湾人の親日感情の原点は、このような日本人に対する「尊敬」なのです。台湾人は今でも、日本のことを〝先生〟だと思っています。1972年の日台断交以来、日本の対台政策は、台湾人にとって辛いものでした。しかし、台湾は日本統治時代を念頭に「謝罪しろ」「賠償しろ」「反省しろ」と言ったことはありません。それが先生に対する「礼節」だからです。

日本を想い続ける台湾人

 戦後、先生に冷たくされてもなお、感謝の気持ちが消えることはありません。これが弟子の情というものでしょう。尊敬に裏付けされた強い親日感情は、台湾が世界一です。2008年、台湾で『海角七號』という映画が大ヒットし、日本でも『海角七号 君想う、国境の南』というタイトルで上映されました。台湾に赴任した日本人教師と台湾人の教え子・友子が恋に落ち、駆け落ちを約束。しかし終戦となり、日本人教師は教え子を置いて引き揚げ、引揚船で航行中に書いた手紙が60年後に発見されるというストーリーです。

 友子は日本人の恋人に裏切られながらも、彼のことを想い続けていました。多くの台湾人は、友子に戦後の台湾人の日本に対する想いを重ね合わせ、涙したのです。この映画は低迷を続けていた台湾映画界で、『タイタニック』に次ぐ歴代興行収入で第2位になるほどの盛況を呼びました。6年後には、『KANO 1931海の向こうの甲子園』という映画が話題になります。日本統治時代、台湾の弱小高校が日本人監督の教えのもと、日本人・台湾人・漢人・砂族、それぞれの長所を生かしたチームをつくり上げ、甲子園で準優勝した実話です。ここでも台湾人は、日本人が台湾人に厳しく野球を教える姿にかつての日台関係を投影させ、想いを馳せたのです。

 同じ年、台湾では中国とのサービス貿易協定の批准を阻止するため、学生が24日間立法院を占拠した「ひまわり学生運動」が起こりました。そのとき、占拠した立法院内で放映されていたのがこの映画です。学生は台湾の自由のため、日本を思いながら戦ったのです。日本統治時代を経験していなくても、台湾人のなかに日本は生き続けている。こんな台湾人の気持ちを、日本人は理解しているのでしょうか。

日米台三国同盟

 断交以来、日本政府はチャイナの主張を理解し、尊重し、台湾が中国の一部であるかのように付き合ってきました。反対に断交後の48年間、台湾人の気持ちを理解し、尊重するという発言は聞いたことがありません。

 日本の皆さん、かつて台湾を統治していながら、なぜ「台湾の将来は台湾人が決めるべきだ」と言ってくれないのですか。自由と民主は、日本の普遍的価値なのではないですか。なぜ育てた弟子に、その価値を与えようとしないのですか。それでも、日本を信じています。私は1987年に来日し、在留カードを申請しました。しかし、国籍欄には「中国」と書かれ、それがベースとなり、運転免許証や医師免許、大学院の卒業証書……どれも出身は中国になっています。

 私は「台湾人」です。独立を守り続けてきた日本人は想像できないかもしれませんが、台湾人は「台湾人」と呼ばれたいのです。かつての先生が、弟子に敵国の国籍を押し付けている。残念で、悔しくてたまりませんでした。私はこれを是正するため、「台湾正名運動」と名付け、11年間、街頭署名、デモ行進、政治家・議会へのアピールを行いました。その結果、1998年、難民法が改正され、国籍欄に「台湾」と表記されるようになったのです。日本人の正義感は失われていない!そう確信しました。

 長く生きると、ある一つのことがわかってきます。人生を大きく左右するのは、出身でも、学歴でもない。〝出会い〟であると──。人との出会い、本との出会い、映画との出会い。一つの運命的な出会いによって、幸福になることもあれば、不幸になることもある。これは人間だけでなく、国家にも当てはまります。

 私には、日本と台湾の出会いが運命的に思えてなりません。かつて苦楽をともにし、いまも師弟の絆で結ばれている。自然災害の経験を共有し、互いを思いやる。そして、凶悪なチャイナに立ち向かう。米国は台湾関係法(注)に基づき、武器を積極的に売却し、両国の政府関係者の往来を促進させる台湾旅行法を成立させ、着実に台湾独立擁護へと方針転換しました。日本も日米台の三国同盟を視野に台湾関係法のような法律をつくり、安全保障面での交流を推し進めるべきです。

 チャイナとの関係悪化が怖いですか? よく考えてください。家の戸締りをしたいけど、泥棒を怒らせると怖いから戸締りしないでおこう──こんな愚かな話がありますか。でも、これが日本の現状です。先生、かつての先生のように、もう一度台湾を見てください。一緒に戦ってください。これは私だけではなく、一般台湾人の切なる願いです。

(注)米国の台湾に対する基本政策について規定した法律。1979年の米台断交後も台湾との同盟関係を維持するため、米議会が制定。米国は台湾を国家と同様に扱い、防衛兵器を供与できるとしている。
林 建良(りん けんりょう)
1958年、台湾生まれ。94年、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年に林一洋医師記念賞、17年に二等華光専業奨章を受章。現在は在日台湾同郷会顧問、メールマガジン「台湾の声」編集長、台湾独立建国連盟日本本部国際部長、日本李登輝友の会常務理事、日米台関係研究所理事。

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