日本のコロナ死亡者数はなぜ少ない

 外国人特派員は、そもそも日本のことをよく書かないBBCやABC、ロイターから派遣され、給料をもらっているわけだが、「日本はPCR検査をほとんどやらないから、感染者数が意図的に低く抑えられている」と海外で報道している。確かにPCR検査は海外諸国と比べると日本はほとんどやっていないと言ってもよいレベルである。しかし死者数だけはPCR検査を増やそうが増やすまいが、ほとんど正確に出てくるコロナウイルスによる死者数を反映する数字である。

 例えば風邪だと思い自宅で寝込んでいた人間が、そのまま自宅で死亡した場合、変死として警察に通報される。この時に、コロナウイルスによる死亡かどうかは、死後検査のPCRで調べる警察と検死官次第ということになる。そこで変死の数が2020年4月5月の時点で非常に多ければ、コロナウイルスによる日本の死亡者数が少ないという統計もあてにならないことになるが、日本の全国の警察が集めた変死者数は4月5月を合わせてもコロナウイルスの死亡者数の統計を変更する必要があるほどの実数には到達していない。

 欧米諸国と日本とのコロナウイルスによる死亡者数の比較をすると、日本は圧倒的に少ないという動かしがたい事実が存在している。いずれ大型連休が終わった頃には日本も欧米と同じくらいの酷い状況に到達するのではないかと、手ぐすねを引いて待っていた欧米のメインメディアは不意打ちを食らわされた格好になり、やむを得ず日本の摩訶不思議だとか、不思議の国日本など、という皮肉めいた報道で日本のコロナウイルス感染死亡者数の少なさを報道している。だが、海外メディアの報道は表層的すぎる。若い特派員が育ってきた欧米の虫眼鏡でしか見ていない、極めて偏った見方の分析を展開するものが多い。

 そこで筆者は欧米メディアの勉強不足、なかんずく日本の歴史と文化に対する勉強もせずに、日本のことを非科学的に論評する欧米メディアに対し、日本のコロナウイルスの死亡者数の異常な少なさにつき、ここに科学的な論証と科学的根拠を提供しよう。ひと言言っておくが、ある民族の歴史的習慣や文化が公衆衛生にどう関係するかはMedical Anthropology(医療人類学)またはSocial and Behavioural Science for Public Health(公衆衛生における社会的行動学)という立派な科学なのである。欧米の公衆衛生大学院には、そういう学科が存在している。欧米メディアの連中はそれを勉強してこい、と言いたい。

日本人はなぜマスクをするのか

 1番目の理由は、そしてこれが最も日本のコロナウイルによる死亡者数の欧米諸国に比べて極端に少ない理由、そしておそらく最大の理由は、日本のマスク文化である。日本はコロナウイル云々といわれる以前から、マスクを着用する文化習慣生活態度がそれこそ“はびこっており”、社会の隅々に渡るまでマスク文化が浸透している。

 私は日系ユダヤ人として欧米と日本の間を行き来しているが、欧米でマスクを日常的に常用するという人は、コロナウイル以前、皆無であった。しかし日本に帰ってくると、やたらと皆がマスクを着用している。私の会社の社員もなぜそんなにマスクを着用しているのかと思うほど、花粉の時でもないのにマスクを着用している。欧米人にはこの理由がわかるまい。

 筆者なりに分析すると、日本のマスク着用の文化は、
①花粉症対策
②日焼け対策
③口臭対策
④見てくれ対策(唇や歯、いわゆる口元をあまり他人に見せたくないという日本の文化)
⑤スッピン美容術
 である。

 花粉症対策というのは、2月と3月、異常な量の杉花粉が大都会の東京、大阪等の都市部に襲い掛かってくる。その花粉を少しでも吸い込まないために、かなり目のつまった高性能のマスクをつける。かくしてマスクはこの時期になると、あらゆるドラッグストアやコンビニエンスストアで大量に安く売られている。4月、5月、6月と、いよいよ紫外線が強くなってくる時にも、女性はマスクをつけ続けている。これは4月5月に急激に増えてくる紫外線による日焼け対策である。そして日本人は口臭を異常に気にする。自分の口臭が相手の鼻もとに到達しないため、口臭対策としてマスクをするのは男女を問わずビジネスマンのエチケットと言われている。従って、オフィスに通勤するビジネスマンはほとんどがマスクをしている。

 さらに食べたり笑ったり喋ったりする時に、開いたり閉じたりする口元は、もともとあまり人に見せるものではないという日本文化がある。大きな口を開けて喋りなさんな、とか、欧米のようにナイフとフォークでステーキの大きなカケラを口に運ぶという下品な食べ方をしなさんな、小さく切って口に運びなさいという、いわゆる“おちょぼ口文化”なのである。口は人前に晒すところではないという日本の文化から、それを隠すためにマスクを着用している。

 欧米では逆に口は皆に見せるところ、特に白い歯は金持ちの象徴としている(白くて歯並びがいいのは、小さいころから親がお金を出して矯正しているから。白い歯は常に歯医者に行ってホワイトニングをしてもらっている費用が出せる人の証拠)。そこで欧米の白人はとにかく口を開けて白い歯を見せたがる。マスクで隠すのはとんでもないという文化なのである。日本とは正反対である。

 また、最近の若い女性はすっぴん美容術としてマスクをする。できるだけ大きなマスクをして、目元だけが出るくらいのマスクをすれば、そのあたりだけ化粧すればいいというわけだ。このように色々な理由があって日本にはマスク着用の習慣が定着し、コロナが流行る前から、マスク着用は日本の文化といってよいレベルにまで浸透していたのである。

お辞儀はコロナを防ぐ

 2番目の理由は日本のお辞儀文化である。欧米の握手文化と根本的に違うのは日本のお辞儀習慣だ。しかも日本のお辞儀は欧米のお互いに接近した上で、ちょこっと頭を下げる会釈と違い、深々とお辞儀することが正しいとされている点だ。よく入社式後の新入社員訓練でも90度に腰を曲げてお辞儀することを教えられる。
 
 この90度というのが実はミソなのである。対面し合った2人がそれぞれ90度の角度で腰を曲げると、頭と頭がぶつからない距離の確保がいるから、それぞれの人間の上半身の長さの2倍だけソーシャルディスタンスが保たれる。単純計算するとそれが2メートルなのである。従って日本人同士、初対面の人とは2メートル離れてお辞儀をすることになる。見事にソーシャルディスタンスが保たれている。

 しかも、お辞儀をしながら挨拶の口上を述べるから、喋ったツバは相手にはかからないで地面に落ちる。感染防止のため、日本の伝統と文化が役立っている。深いお辞儀をして挨拶の口上を喋るから、ツバは地面に飛び相手にはかからず、しかもそれぞれの上半身の二倍の距離が保たれ、2メートルのソーシャルディスタンスが保たれる。

 この日本のお辞儀の文化もコロナウイルスが伝染することを防止するのに、極めて役立っている。欧米人はこのことがわからないというか、お辞儀というものが存在しない西洋からきている欧米特派員はそのことに気付かない。従って、上っ面な報告しか本国に打電しないというわけだ。もともと欧米の文化は握手・ハグ・ キスの文化である。握手をするために、2メートルのソーシャルディスタンスはまったくとれない。しかも握手をすることで、手の平についたウイルスが相手に移る。しかも欧米人同士は、男同士でもハグをするのが親しい者の嗜みだ。

 イタリア等は男同士がハグをするのみならず、両方のほっぺたにチュッチュという音を立てながらほっぺたとほっぺたをすり合わせるのが、親しみを込めた表現行動とされている。私もイタリアにいるときはそれを普通にしていた。顔のまわりについたコロナウイルスが相手に完全に移っていく。握手をすれば手の平についたコロナウイルスが相手に移る。欧米式挨拶はコロナウイルス伝染文化なのだ。それが今になってやっと欧米で理解されてきたのである。

日本人は人見知り

 3番目の理由は、知らない人に話しかけないという日本文化である。これに対して欧米、特にアメリカでは知らない人に、めったやたら旧来の友人であるかのように話しかける文化がある。アメリカのニューヨーク等のオフィスビルのエレベータに乗ると、エレベータの中でまったく見ず知らずの人間同士が大声でぺちゃくちゃと喋り出す。飛行機の搭乗口で並んでいる時でも、前後のアメリカ人同士が他人同士であるのにぺちゃくちゃぺちゃくちゃ家族のことを話す。エコノミークラスで、隣同士で座った他人同士のアメリカ人が着席するやいなや喋り出して、着陸までの数時間喋りっぱなしというのも珍しくない。

 喋れば飛沫が飛び散り感染する。アメリカでは、かくして知らない人間にコロナウイルスを撒き散らしていたのだ。これこそまさに感染源不明の共同感染だ。日本では知らない人同士が話しかけるのは嫌われる。否、むしろ警戒される。日本のオフィスビルのエレベータの中で、他人に話かけようものなら変な目でにらみ返されるのが落ちというものだ。

 つまり知らない人間に話しかけないので、コロナウイルスを飛ばすことがない。唾液ウイルスを知らない人間に飛ばさないという文化が日本にはあるということだ。これに対して、欧米では知らない人間に唾液飛沫、すなわちコロナウイルス飛沫を飛ばすという社会習慣がある。この違いも大きい。

声が小さい日本人

 4番目は欧米の大声文化と日本のヒソヒソ話文化の違いである。アメリカのニューヨークのレストランや喫茶店に入ると恐ろしく大きな声で喋っているアメリカ人のために、耳をつんざくばかりの大騒音の中に放り出される感じがする。パリのレストランでも席と席が異常にくっついており、パリ人たちが大声で話している。

 アメリカのビジネスパーソンはホームパーティをよく開くが、声が大きくないと出世ができないといわれている。そこでアメリカ人の声はキンキン声に必然的になっていく。声が遠くまで通るキンキン声で話すのがアメリカでは出世する条件なのだ。人前、あるいは雑踏のパーティの中で喋ることで注目を集めようとする。特に上司に聞こえる必要があるわけだ。

 声が大きいということは、ツバをまき散らすことになる。飛沫感染のスーパースプレッター(super-spreader)は大声で喋るアメリカ人の一人ひとりだといっても過言ではない。それに対して、日本人は大声で話すのは下品という文化であるから、基本的にヒソヒソ声である。飛沫があまり飛ばないという喋り方をするのが日本の文化である。

日本人のホームパーティー

 5番目の理由として挙げられるのは、ホームパーティをやらないという文化である。これは正直言ってあまり自慢できる点ではないが、筆者が働いていた経産省では、橋本龍太郎が通産大臣としていたころに、日米構造協議というのがあって、橋本龍太郎とアメリカ通商代表のミッキー・カンターが激しくやり合っていた。その時に言われたのは、日本の内需を拡大しろ、あの小さい家を大きな家につくり替えて内需を拡大しろ、日本人の家を見てみろ、ラビットハッチ(ウサギ小屋)だ、とアメリカから非難されたのである。

 ラビットハッチというのは、日本人の小さくて貧しい家を象徴する言葉として当時のアメリカで人口に膾炙(かいしゃ)された言葉である。日本人の家がアメリカのそれと比べて小さいという状況は、橋本対カンターの日米構造協議から30年程経った今でもあまり変わっていない。アメリカ人の大豪邸で(日本人から見れば)広大なリビングルームで数十人を招いてホームパーティをするのは、日本のビジネスマンの家ではおよそ不可能である。アメリカでは出世のために上司や同僚をホームパーティに招くのは必要不可欠なビジネスパーソンのツールとされている。

 それはイギリスやイタリアでも同じだ。大勢を家に招くという文化は欧米の文化であり、日本にはその文化がない。アメリカでホームパーティに招かれた際、日本文化に慣れ親しんできた私たち夫婦は30分で声がかすれてしまうほど、大声でないと隣の人とも会話ができないような喧噪の中に置かれる。30人もの人間がワイングラスを持ちながら広大なリビングルームをうろうろうろうろし、大声で話をしている。ワインの飛沫とコロナウイルスの飛沫が部屋中に充満するわけだ。しかも出世を狙う若いビジネスマンは目立つ必要があるから、なおさら大声で話すので飛沫感染は極限にまで達する。

 幸いなことにラビットハッチである、日本のサラリーマンの家ではそういう展開にはならない。これも日本でホームパーティを通じたクラスター感染の発生率が少なかった理由の一つである。日本では逆にカラオケハウスや居酒屋がそのホームパーティの代替物として登場するわけだが、何十人もの人間がホームパーティをやるのを居酒屋やカラオケボックスにそのまま移し替えるのは無理があるので、せいぜい4~5人のグループで居酒屋かカラオケに行くことになるから、クラスター感染の規模が欧米と日本では一桁違ってくる。

口元を見せない日本人

 6番目の理由として、日本古来の習慣であるお歯黒という習慣がある。お歯黒は平安時代にピークを迎えたが、歯を黒く染めるという習慣は飛鳥時代から存在している。その証拠に古墳で発掘される人骨の歯が黒く染まっている人骨も発見されている。

 このお歯黒の文化は江戸時代を通じて存在し、しかも明治に入っても存在していた。江戸時代では社会的に地位の高い人間ほど、お歯黒を行っていた。これは、武士は二君に仕えずという意味合いを込めて歯を黒く染めたといわれている。

 お歯黒は女性の間でもよく行われ、結果として黒い歯をわざわざ人に見せない、つまり自分の忠誠を誓っている証拠をわざわざ人に見せない、女性であるならば既婚者であることをわざわざ人に見せるものではない、という控えめな文化がお歯黒のベースにある。そのため、お歯黒をしている人間は男女を問わず口元を押さえて話し、あるいは笑う時にも口元を押さえるという生活習慣になって表れている。

 これに対して、欧米では白い歯を見せるのが文化だから、日本とは正反対の文化だったのである。お歯黒もツバによる飛沫感染を防ぐことに役立っているのだ。

扇子は日本人のユニフォーム

 7番目に挙げられるのは扇文化である。平安時代が発祥といわれる扇子は、日本の発明品であり世界に広まった日本が誇るべき生活芸術品である。この扇子は室町江戸時代を通じて庶民武士の隅々にまで広がり、江戸時代では庶民や町人ですら1人10本、20本は扇を持っていた。夫人に至っては夏扇、冬扇、春扇、お茶扇等々、40~50本も扇子を持っており、常備して持ち歩いていた。

 今の携帯と同じであり、外に出る時に扇子を持っていかない町民や町衆はいなかったし、武士もいない。武士は小刀を脇差にさし、扇子は帯紐にさす。それこそがユニフォームであったのである。そして喋る時には口元を見せないために扇子を開いて、口元を隠すが日本の扇文化における習慣である。

 芸者衆は江戸時代では扇子でなく丸団扇を好んで使い、旦那衆と秘話をする時にもそれで口元を隠すのみならず、旦那衆の顔を隠してどこの旦那が遊びに来ているのかを分からないようにするためにも扇子が使われた。すなわち、口元や顔を覆うための扇子であり団扇であったのである。

 現代日本でこそ団扇はほとんど消滅したが、扇子は丸の内大手町のビジネスマンでも暑い夏の常備品である。これで顔に風を当てると同時に、口元を隠すという所作をする現代サラリーマンも少なくはない。扇は飛沫感染防止に一役役立っているのである。

ラッピング包装は日本独自の衛生意識

 8番目の理由はコンビニやスーパーでの食品陳列の違いである。イタリアのスーパーマーケットでは、野菜という野菜は包装されずにそのまま陳列される。フランスではフランスパンはそのままバスケットに10本20本突き刺さっており、品定めをする時に手で持って、あれやこれやと抜き差しする。買わない時にはまたバスケットに戻す。
 イギリスでも、イギリス人の好きなスコーンはそのまま裸で陳列されており、その上を覗き込むようにして、ぺちゃくちゃイギリス人が喋ってツバを飛ばす。そしてこれと指さしてスコーンを買っていくから、他人のツバが飛び散ったスコーンを買うハメになる。裸陳列こそコロナ感染の原因の1つなのだ。

 これに対して日本では裸陳列は、むしろ極めてマイナーであり、野菜に至るまでラッピングがされている。日本のコンビニではあらゆる食品が完全にラッピング包装されている。これは世界でも稀にみる徹底したラッピング、陳列方式である。その分だけ経費がかかっているのだが、コロナ感染の防止には役立っているというわけだ。

靴を脱ぐ文化も防疫に役立つ?

 外国特派員の中には日本の感染者死亡者が少ない理由の1つとして、土足禁止の家庭生活をあげる。日本の家では土足のまま入るところがないことを理由の1つにあげているが、それは感染症学の科学から見ると間違いと言える。
 
 新型コロナウイルスの唾の中に含まれる飛沫は確かに患者の口から地面に落ちる。その地面を靴で踏んでそのまま自宅に持ち込み、それが床に付いて部屋中にウイルスが空中浮遊するということはない。あくまでも靴の底に付いたウイルスを、直接、手で触れるなどして、その手を口や目、鼻のまわりに触れると感染するのである。
 
 問題は、街中の道路に新型コロナウイルスの飛沫、いわゆる唾がどれほど落ちているかということである。
 
 America CDC の調査によると、確かに新型コロナウイルスの患者を収容している病院 のICU(集中治療室)の床には新型コロナウイルス が活性を保ったまま付着していると報告されている。

 しかし、コロナウイルスにとり生存が脅かされる太陽光紫外線や雨風にさらされる一般の市中の道路にそのような活性ウイルスが含まれる飛沫が病院の ICU の部屋の床ほどに付着していることは、ほとんどあり得ないのではないか。

 つまり、土足厳禁の日本の習慣が新型コロナウイルスの感染を防止していることに役立っているとは断言できないのだ。
石角 完爾(いしずみ かんじ)
1947年、京都府出身。通商産業省(現・経済産業省)を経て、ハーバード・ロースクール、ペンシルベニア大学ロースクールを卒業。米国証券取引委員会 General Counsel's Office Trainee、ニューヨークの法律事務所シャーマン・アンド・スターリングを経て、1981年に千代田国際経営法律事務所を開設。現在はイギリスおよびアメリカを中心に教育コンサルタントとして、世界中のボーディングスクールの調査・研究を行っている。著書に『ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!』(朝日新聞出版)、『ファイナル・カウントダウン 円安で日本経済はクラッシュする』(角川書店)等著書多数。

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