"小池劇場"健在なりー
まさに「小池劇場」だった。
東京都の小池百合子知事は、6月の都議選挙期間中に「過度の疲労」で入院しているが、それに続いて、同じ「過度の疲労」で10月27日に入院した。11月2日には退院したが、その後もリモートワークを続けて、実に1か月ものあいだ、都庁を留守にし続けることになった。
6月末の入院劇は実にみごとなものだった。1週間ほどの検査入院などを経て、7月4日の都議選の投票日直前である7月2日に復帰会見をおこない、健在ぶりをアピール。ときどき咳をしながらも、「都にとって今ほど重要な時期はない。どこかでバタッと倒れるかもしれないが、それも本望だと思ってやり抜く」と、都政に穴を空けた知事と思えないようなことを語った。
開票の結果は、自民党が前回を大きく上回る33議席をとって第1党となる一方で、小池知事の都民ファーストの会(以下、都民ファ)は前回の45議席から大きく減らし、31議席だった。
だが、事前の予想では都民ファは20議席を割るだろうと予想されていたので、その逆境を吹き飛ばす逆転劇を演じたと言っても過言ではない。
小池知事は、その華麗な復活会見と、酸素ボンベを携えて乗り込んだ激戦区での演説で、現状をあっさりとひっくり返してしまったのである。
自己演出力の高さにかけては、小池知事ほどの政治家はまれである。まさに天才だ。ただ、小池知事の天才は実務には全く反映されていない。小池都政で都のインフラ計画は遅れに遅れ、東京五輪も小池知事が「火消しのパフォーマンスを入れろ」と強要した開会式が不評、新型コロナウィルス禍でも人気取りのためか不必要に緊急事態宣言を繰り返して、東京都だけではなく、日本経済にまでダメージを与えた。
都政を客観的に評価すれば「厄害」としか言いようがないのだが、なぜか高い人気を保ち続けているのである。
東京都の小池百合子知事は、6月の都議選挙期間中に「過度の疲労」で入院しているが、それに続いて、同じ「過度の疲労」で10月27日に入院した。11月2日には退院したが、その後もリモートワークを続けて、実に1か月ものあいだ、都庁を留守にし続けることになった。
6月末の入院劇は実にみごとなものだった。1週間ほどの検査入院などを経て、7月4日の都議選の投票日直前である7月2日に復帰会見をおこない、健在ぶりをアピール。ときどき咳をしながらも、「都にとって今ほど重要な時期はない。どこかでバタッと倒れるかもしれないが、それも本望だと思ってやり抜く」と、都政に穴を空けた知事と思えないようなことを語った。
開票の結果は、自民党が前回を大きく上回る33議席をとって第1党となる一方で、小池知事の都民ファーストの会(以下、都民ファ)は前回の45議席から大きく減らし、31議席だった。
だが、事前の予想では都民ファは20議席を割るだろうと予想されていたので、その逆境を吹き飛ばす逆転劇を演じたと言っても過言ではない。
小池知事は、その華麗な復活会見と、酸素ボンベを携えて乗り込んだ激戦区での演説で、現状をあっさりとひっくり返してしまったのである。
自己演出力の高さにかけては、小池知事ほどの政治家はまれである。まさに天才だ。ただ、小池知事の天才は実務には全く反映されていない。小池都政で都のインフラ計画は遅れに遅れ、東京五輪も小池知事が「火消しのパフォーマンスを入れろ」と強要した開会式が不評、新型コロナウィルス禍でも人気取りのためか不必要に緊急事態宣言を繰り返して、東京都だけではなく、日本経済にまでダメージを与えた。
都政を客観的に評価すれば「厄害」としか言いようがないのだが、なぜか高い人気を保ち続けているのである。
10月再入院の狙い
その小池知事が10月27日に2度目の入院をした。前回と同じく「過度の過労」ということだった。
前回は新型コロナウィルス禍で緊急事態宣言をするかどうかで国との駆け引きをやっていたのに加えて、都議選挙まであったので、過労になるのもわからないではない。だが、今回の過労はそれほど多忙を極めていたとも思えず不可思議なものだった。
だが、その謎を解くヒントが翌日の10月28日にある。
その日に、無免許運転で当て逃げしていたことが発覚して、都議会で二度の辞職勧告を出されていた木下富美子氏がホームページで、「これからの議員活動で答えを導き出しながら、ご奉仕させて頂きたいとの思いは、今も持ち続けております」として議員の続投宣言をしたのである。
木下都議は小池知事とは2003年に博報堂社員として小池環境大臣(当時)が手がけた「クールビズ」キャンペーンを担当しており、長いつきあいがある。政治素人集団といわれる都民ファの中では、小池氏にとって数少ない「使える」議員だったのであろう。
だが、そのことに気づく者は少なかったようで、その後、小池知事に関する報道はばったりと減って、都民ファを除名され、辞職勧告を受け、世間から非難囂々の中、議員を続けようとする木下都議へのバッシング報道が過熱していく。
小池知事の再入院とテレワークは、そんな木下都議のバッシングの時期とみごとに重なるのである。
前回は新型コロナウィルス禍で緊急事態宣言をするかどうかで国との駆け引きをやっていたのに加えて、都議選挙まであったので、過労になるのもわからないではない。だが、今回の過労はそれほど多忙を極めていたとも思えず不可思議なものだった。
だが、その謎を解くヒントが翌日の10月28日にある。
その日に、無免許運転で当て逃げしていたことが発覚して、都議会で二度の辞職勧告を出されていた木下富美子氏がホームページで、「これからの議員活動で答えを導き出しながら、ご奉仕させて頂きたいとの思いは、今も持ち続けております」として議員の続投宣言をしたのである。
木下都議は小池知事とは2003年に博報堂社員として小池環境大臣(当時)が手がけた「クールビズ」キャンペーンを担当しており、長いつきあいがある。政治素人集団といわれる都民ファの中では、小池氏にとって数少ない「使える」議員だったのであろう。
だが、そのことに気づく者は少なかったようで、その後、小池知事に関する報道はばったりと減って、都民ファを除名され、辞職勧告を受け、世間から非難囂々の中、議員を続けようとする木下都議へのバッシング報道が過熱していく。
小池知事の再入院とテレワークは、そんな木下都議のバッシングの時期とみごとに重なるのである。
重病説→華麗な復活を演出
そんな中、11月18日にスポニチが「小池都知事が辞任検討、肺疾患の長期治療専念か 30日本会議の所信表明で進退語る?」と、小池知事の重病説と年内辞任説を報道し、世間が騒然となった。
小池知事本人はその報道を打ち消すこともなく、病名も肺ガンやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)など具体的な病名まで報道されるようになって、多くの者が小池知事の重病説を信じるようになった。
都知事側が重病説を否定するのは復帰会見をおこなった11月26日直前からであって、それまでは全く言及しなかったのである。小池知事は数多くの報道陣の前で「すごいね。ネタがない?」とうそぶき、「重病とかいいかげんなこと言うなよ」と述べた。
だが、再入院して、都知事が都庁を1か月も空けたのだから、重病説が流れるのは当然である。しかも、都知事側からは健康に関してほとんどまともな情報を発信しなかったのだから、これで「いいかげんなことを言うなよ」とは恐れ入る。心臓に毛が生えているとは、まさにこの人のことだろう。
小池知事本人はその報道を打ち消すこともなく、病名も肺ガンやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)など具体的な病名まで報道されるようになって、多くの者が小池知事の重病説を信じるようになった。
都知事側が重病説を否定するのは復帰会見をおこなった11月26日直前からであって、それまでは全く言及しなかったのである。小池知事は数多くの報道陣の前で「すごいね。ネタがない?」とうそぶき、「重病とかいいかげんなこと言うなよ」と述べた。
だが、再入院して、都知事が都庁を1か月も空けたのだから、重病説が流れるのは当然である。しかも、都知事側からは健康に関してほとんどまともな情報を発信しなかったのだから、これで「いいかげんなことを言うなよ」とは恐れ入る。心臓に毛が生えているとは、まさにこの人のことだろう。
だが、この1か月にわたる再入院とリモートワーク、そして、復帰会見の威力は前回にも増してみごとだった。というのは、木下都議に関する小池知事の責任論がすべて飛んでしまったからだ。
木下都議の無免許当て逃げが発覚したのは投票日の翌日だったが、警察が把握したのは選挙期間中である。木下都議の応援演説に行った小池知事も、その時点でそのことを知っていたはずだ。
とすれば、小池知事は木下都議の無免許当て逃げを選挙期間に隠蔽していたことになる。
木下都議が世間からの非難にもかかわらず都議を辞めないとすれば、その責任は当然、小池知事にも降りかかるはずだったが、都庁にいなかったのでそれを避けることができたのだ。
しかも復帰後に木下都議に辞職を勧告して、それまで粘りを見せていた同氏もそれに素直に応じるという、一連の騒動にみごとな幕の引き方を演じた。
責任を問われるどころか、「さすがは小池知事」と、ますます評価を上げることにすらなってしまった。
木下都議が辞めなかった裏には、1つには3か月以内に辞職すると、次点だった自民党議員が繰り上げ当然することになることが挙げられる。つまり、10月上旬までは小池知事にとっても辞められては困る状態だったわけである。
また、木下都議にとっても、月120万円の議員報酬は魅力だっただろう。もし彼女が12月1日の時点まで粘っていたら、200万円超の期末手当も満額が支払われたところだった。
小池知事の自己演出力が光った一ヶ月となったが、そのことが都民にとって何のプラスにもならないのが辛いところである。少しはその能力を都政に向けてほしいと願っているのは、私だけではあるまい。
木下都議の無免許当て逃げが発覚したのは投票日の翌日だったが、警察が把握したのは選挙期間中である。木下都議の応援演説に行った小池知事も、その時点でそのことを知っていたはずだ。
とすれば、小池知事は木下都議の無免許当て逃げを選挙期間に隠蔽していたことになる。
木下都議が世間からの非難にもかかわらず都議を辞めないとすれば、その責任は当然、小池知事にも降りかかるはずだったが、都庁にいなかったのでそれを避けることができたのだ。
しかも復帰後に木下都議に辞職を勧告して、それまで粘りを見せていた同氏もそれに素直に応じるという、一連の騒動にみごとな幕の引き方を演じた。
責任を問われるどころか、「さすがは小池知事」と、ますます評価を上げることにすらなってしまった。
木下都議が辞めなかった裏には、1つには3か月以内に辞職すると、次点だった自民党議員が繰り上げ当然することになることが挙げられる。つまり、10月上旬までは小池知事にとっても辞められては困る状態だったわけである。
また、木下都議にとっても、月120万円の議員報酬は魅力だっただろう。もし彼女が12月1日の時点まで粘っていたら、200万円超の期末手当も満額が支払われたところだった。
小池知事の自己演出力が光った一ヶ月となったが、そのことが都民にとって何のプラスにもならないのが辛いところである。少しはその能力を都政に向けてほしいと願っているのは、私だけではあるまい。
白川 司(しらかわ つかさ)
評論家・翻訳家。幅広いフィールドで活躍し、海外メディアや論文などの情報を駆使した国際情勢の分析に定評がある。また、foomii配信のメルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評を博している。
評論家・翻訳家。幅広いフィールドで活躍し、海外メディアや論文などの情報を駆使した国際情勢の分析に定評がある。また、foomii配信のメルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評を博している。