【橋本琴絵】精神の高潔 安倍総理はなぜ硫黄島の地に伏したのか

【橋本琴絵】精神の高潔 安倍総理はなぜ硫黄島の地に伏したのか

via youtube

国民に信頼された安倍総理

 憲政史上最長政権が突然幕を閉じたことは日本中に衝撃を走らせた。深い悲しみと共に善政への感謝の声が上がる中、安倍政権を振り返るにあたって、私が安倍総理の国を思う心に感銘を受けた経緯を説明したい。

 平成25年4月14日、安倍総理は小笠原諸島硫黄島の航空基地を訪れた。硫黄島は昭和32年に米国から返還された後、自衛隊の基地として使用され、島内には米軍が戦時中に敷設した長さ26,510メートル、幅60メートルの滑走路と予備滑走路がある。騒音が問題となりやすい夜間発着訓練に使われ、また民間機の緊急着陸先として活躍する。島内では今も多くの不発弾が見つかるため、爆弾処理を専門とする陸上自衛隊員が常駐している。

 昭和20年2月、栗林忠道率いる硫黄島守備隊に対し、リッチモンド・ターナー率いる米軍11万人が強襲した「硫黄島の戦い」は、守備隊総員数を上回る米軍死傷者2万8,000人超という結果となり、大東亜戦争の激戦地として知られる。

 このように世界最強の米海兵隊に対して出血を強いた硫黄島の戦いとは何か。沖縄戦の八原博通と硫黄島の栗林忠道は共に米国留学経験があり、日本軍の島嶼部防衛戦術である水際作戦では、米軍の火力を前にして壊滅すると悟り、敵軍を内部に引きつけてから肉薄攻撃を加える作戦を展開した。

 島全体にコンクリート要塞を構築し、わが将兵は空気の薄い壕内で灼熱と渇き、そして有毒の硫黄に耐えながら、今日の私たちのために戦い、散華された。硫黄島が落とされたならば、この飛行場から東京にある宮城を狙う敵重爆に護衛戦闘機がつくようになり、戦略爆撃によって多くの日本人殺傷が予期されたからである。

 この歴史の中、硫黄島を落とした米軍は、わが将兵の遺体をブルドーザーで押しつぶし、そのまま滑走路を敷設した。

 つまり、今も硬い飛行場の下に英霊のご遺骨が眠る。この事実に対し、安倍総理は御身の立つ両足の下にあるご遺骨を、まるでコンクリート越しに撫でるように跪き手をそっと重ねられ、言葉をかけられた。いまだご家族のもとに返すことができない事実に対して、一国の宰相ともあろう方が跪かれた。そして、内閣府の予算を使い、大東亜各地で散華された英霊のご遺骨を最後の一柱まで収集する決意を固められた。

 このように高潔な精神を宿されていることに、私は深く感動し、この事実を知って以降、安倍総理を心から信頼するようになったのである。

 世論の中には、安倍総理が終戦記念日に靖國神社参拝をしなかったことを批判する声もある。だが、この事実は安倍総理の信仰の自由が外圧によって弾圧されている事実を表すことであり、日本がより強い国力を獲得しなければならない理由の1つとして考えるべきであって、玉串料を私費でおさめられている安倍総理個人の問題であると矮小化してとらえることはできない。臥薪嘗胆のときである。

 では、どうしたら「強い国」になることができるのか。安倍政権の功績は膨大である。日米同盟の強化、特定秘密保護法の制定、日経平均の2倍以上の高まりなど、安倍内閣によって私たち国民が享受した計り知れない利益の数々は誰もが知るところだ。これらの功績は多くの方が称賛するところであるから、個別具体的な実績の紹介は譲ることとし、本論は日本をより強い国にするため、「ポスト安倍」に何を期待すべきかを論じたく思う。

踏襲すべき「安倍路線」

 安倍政権の基本骨子である拉致問題解決、憲法改正、領土問題解決の踏襲は大前提の上で、継続すべき政策は次の3つに大別することができる。

 第1に金融緩和の継続(日銀によるETF買い増し)、第2に日米同盟の強化維持、第3にサプライチェーン(供給連鎖)の中国依存脱却(リスク分散)。

 この第3の政策こそ、日本の未来を決定づける重要性がある。新型コロナウイルスの流行まで、日本が必要とする物資の大部分を中国からの輸入に依存していた。ところが、感染症が発生した上、中国は初動を防疫ではなく隠蔽に費やしたことが明らかにされた。商行為とは、安定した秩序の上に成り立つものであり、一極集中化した上でのリスク発生は、わが国に深刻な損害をもたらすことから、安倍総理は日本企業の撤退費用に多額の補助金を交付して支援した。この政策を踏襲しなければならない。

 中国大陸に多くの日本企業が進出したのは21世紀が初めてではなく、実は20世紀初頭にも多くの会社が大陸で営業していた。時は昭和2年3月、大陸に現在と同じく日本企業が進出し、漢冶萍煤鉄公司は大量の鉄鉱石を日本に供給していた。この情勢の中、南京に多くの日本企業の会社員と、その家族が生活していた。そこに、中国軍の一派が乱入し、略奪と強姦をはじめたのである。日本人の少女たちはことごとく凌辱され、外務省から赴任した領事の妻は27人の中国兵の一派によって輪姦された。この惨状に対し、英米仏は艦砲射撃をして自国民の保護を図った一方で、日本政府は「誰も強姦されなかったことにすれば波風も立たない」として報道管制を敷いたが、責任者の一人であった荒木亀雄海軍大尉が女性たちを守ることができなかった事実に対して切腹をするなど、大変な損失が発生した(『ある軍人の自伝』佐々木到一著/勁草書房/昭和42年)。

 その後も、中国大陸における日本人女性に対する大規模な性犯罪は増加し、翌年の昭和三年五月には済南という都市で猟奇殺人事件が中国軍の一派によって発生した。中でも最大の日本人を対象にしたヘイトクライムは、昭和12年7月に発生した通州事件である。女性を含む日本人2百数十数名が強姦、殺害されたのである。この一連の猟奇的な大量強姦殺人事件によって、日本の国民は激昂し、「暴支膺懲」の掛け声とともに皇軍の大陸進出を支持する世論が形成された歴史を持つ。

 このような20世紀の歴史があった一方、かの大陸における商行為には常に多大なリスクが伴う事実を、現在多くの日本人が忘却しているように思える。そこにきて、今般の新型コロナウイルスの流行と隠蔽は、まさに歴史の再現ではないか。

 ポスト安倍を担うリーダーは、必ずリスクマネジメント能力がなければならない。すなわち、欲に駆られて中国大陸に伴うリスクを忘れた商売人をいさめ、親中路線から脱却し、アメリカと外交路線を一致させることである。特に、基本的人権の擁護、法の支配といった普遍的価値観をアメリカとは共有できるが、現在の中国とは全く共有できないことは、現在進行形でなされているチベット・ウイグル民族に対する極悪非道の所業から一目瞭然である。

 ここにきて、特定の民族の強制労働によって生産された「血に汚れた製品」を売買するなど、人倫に悖る行為である。菅義偉新総裁におかれては、贓物(他人の権利を侵害した犯罪によって不正に領得された物)を取り扱うような非法を決して犯すことがないように請願する。

米中2股外交は許されない

 17世紀に活躍したフランスの外交官フランソワ・ド・カリエールの主著『外交談判法』(坂野正高訳)は、今日でも世界各国の外交官必読の教科書として扱われている。この教えは、外交のあり方について重要な指摘をしている。

 それは、外交とは「常に公正かつ謙虚に振る舞う」こと、「決して相手国の政治形態を非難してはならない」ことの2点である。言うまでもなく、この2つの基準は場合によっては成立しない。自国と相手国の政治形態の違いには、明らかに許容できる差異と許容できない差異があるからだ。

 例えば昭和15年に、日本はナチス・ドイツと同盟となる条約を締結した。

 ナチスの基本政策であるユダヤ人迫害について、日本の外交方針として何ら非難を加えなかったのは、カリエールの教えを教条主義的に遵守したからではないかと推認できる。

 しかし、これによって日本は虐殺者の友人と見なされ、数多くのユダヤ人救済の実績があるにもかかわらず、今日に至るまでいわれなき非難を受けている。つまり、外交の基礎である「相手国を非難しない」とは、普遍的価値観の共有ができる国家間において成立することであり、特定の民族を強制労働に使役し、虐殺を許容する価値観を持つ相手とは、決して成立しないのである。

 おそらく多くの日本人が考えているであろう「アメリカとも中国とも仲良くすればいい」といった話は、あくまで価値観の共有が可能である場合であり、現実ではその前提を欠く。

 ここで、米中どちらにも良い顔をすることは、2人の男性が1人の女性を妻にすることが不可能であるように、全くもって不可能であることを強く主張する。

 米中2股外交に舵を切ることは亡国の選択である。新総理は迷うことなく親米方針を採用し、米国と歩調を合わせなければならない。姦婦が斬り捨てられても文句は言えないことを1女性として申し上げる。

国家はなぜ存在するのか

 ここで、改めて国家の存在意義について論じたく思う。アリストテレスの『政治学』(山本光雄訳)によれば、国家とは複数の家族の集合体であると定義される。ではなぜ、衣食住の確保のみを目的とするのであれば人間の集団単位は家族で事足りるのに、さらに家族を集合させて国家を建てなければならなかったのか。それは、「最高善」(より良い状態)を実現するためであり、ただ人々が集合して生活するために国家があるのではないことを論じている。では、国家の〝最高善〟とは何か。それは、生活水準の向上と、これを支える人口増加の確保である。そして、これらの防衛である。

 しかるに、戦後日本は戦前に教育を受けた世代が加齢によって統治行為から引退した平成以降、人口は減少し、現在も毎年15万人(最盛期年間114万人)の胎児を中絶で殺処分するという、江戸時代とは比べ物にならない数の間引きがされている。文明の発展といえば外国で発明された利器をただ輸入するのみとなり、世界を圧倒していた日本企業の株価は軒並み外国資本に取って代わられた。

 衰退の一途をたどる祖国を見て、尋常ならざる憂いを覚えるのは、すべての愛国者に共通することだと感じる。この衰退の元凶は何か。それこそ、「日本国憲法」なのである。この憲法は、平和を愛する諸国民の公正と信義といったフィクションに立脚しており、かつ、最高善を求めることが存在理由である国家をただの生活共同体に成り下げた。それでも戦後40年以上発展し続けたのは、ひとえに戦前に教育を受けた世代の精神へ日本国憲法が影響していなかったからに他ならない。

 しかし、戦後に教育を受けた世代は日本国憲法をその精神の容器に受け入れ、国家の最高善を否定し、自国の防衛といった根本さえ忘却してしまったのである。現在の愛国者とは、公教育の教師よりも信頼できる自らの父祖から直接教育を受けた者と、英国の政治思想である保守主義の知識を自ら率先して取得した者に限られる有様となった。

 この腐敗の連鎖を止める唯一の手法が、安倍政権の主張した「戦後レジームからの脱却」の1文に込められていたため、国を憂うほぼすべての者が歓呼の声で安倍内閣を迎えたのである。

 以上の過程から、政権与党の権力の源泉は安倍総理の行政手腕に由来し、国民はその政策路線によって自由民主党を信任したのである。従って、後任がだれであっても、その路線変更は道義上許されることではないことを申し添えたく思う。

 安倍内閣の功績を端的に述べると、自治体に過ぎなかった日本を国家に戻したことにある。一般に自治体とは、住民の安全を保障することなく、また経済をよくすることもしない。単に生活の細部を担うのみである。それが、民主党政権以前の日本の姿だった。だが、安倍内閣の行った安全保障体制と経済政策は、本来あるべき国家としての日本に大きく近づけたのである。

 ただ惜しむらくは、憲法改正が達成できなかったことである。しかし、これは安倍晋三議員に帰責することではない。憲法改正は両院の賛成に加えて、国民投票を要する。帝国憲法改正時は国民投票を要しなかったのに対して、日本国憲法改正時のみ国民投票を要するのは不合理だとは思うが、現実として制度上必要とされている。従って、私たち国民の憲法改正に対する熱意が足りなかったことの反省がまず必要であり、安倍内閣によって盛り上がったこの改正を求める意志の力を絶やすことなく今後ももり立てなければならない。

 私が思うに、日本国憲法とは柔らかい草のようだ。硬い大木は暴風や落雷によって倒れることがあるが、草はどのような強風にもなびくだけで決して裂けない。だが、草は動物の一嚙みによって容易にちぎられてしまう。確かに戦後日本は大戦争を経験することなく、大国の軋轢を上手くかわし続けたが、その内部に入り込んだ魑魅魍魎によって喰い荒らされている。このような現状は、日本国憲法制定当時に決して想定され得なかった女子中学生などの拉致事件が、いまだ解決されていないといった異常事態1つとってみても理解できる。

 憲法を改正して国防軍を設置すれば武の道へ日本を誘うが、武とは戈を止めると書き、不正な侵害を止める受動的な抑止力であることを意味する。

 安倍総理の「治に居て乱を忘れず」といった憲法改正への意欲を国民が正しく理解し、引き継いでいくことが大切である。

再び総理になる日まで

 わが国の憲政史上最長の安倍政権は、2つの要因で強く支えられた。優れた数々の政策と、野党の異常性である。

 例えば、安倍総理は現職総理大臣として娯楽を主体とした人気テレビショーへ積極的に出演された。バジョットの『イギリス憲政論』(小松春雄訳)では、庶民とは高貴な人物が自らと同じ興味や娯楽を共有していることを知ると最大の喜びを覚えると指摘する。

 一方で、野党が示したものはコロナ対策より「桜を見る会」や「モリカケ」など、国民の興味関心からことごとく乖離したものを連日の国会中継を通じて追及し続けたのである。このような姿に、いったい誰が共感できるというのだろうか。多くの有権者は政治家を無機的に評価することなく、血の通った情緒の尺度でみることがある。

 そこで、英霊に対して跪かれた安倍総理に対し、かの野党議員らは靖國神社に参拝しない上、皇族ご臨席で執り行われる千鳥ケ淵戦没者墓苑慰霊祭に、ほとんど参加しなかった対照性が目立つ。こうした弔意のあらわれの有無は、人間性を最大限に印象づける。

 人は誰しも弔意を欠く行為に非人間性を覚え、生来的な嫌悪感を抱く。この様子は、人以外の多くの動物が同胞の死体を野晒しにし、埋葬しない様子をみて「人間との境界線」を覚えることと全く同じであるといえよう。

 いま、国民が持つ最大の不安は、「安倍政治」が終わってしまうことに集中している。辞任発表がリークされた直後の日経平均株価の下げ幅は、その不安を表徴している。

 菅新総理がこの不安を第1に払拭されることを期待するとともに、安倍総理がご健康を回復された暁には、第3次安倍内閣を正義凛たる日章旗の下に見たいとの思いをつづり、本論を終える。安倍総理大臣閣下、私たち日本人のため本当にありがとうございました。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第5区より立候補。日本会議会員。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く