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岸田文雄首相は「防衛力の抜本的強化」に挑戦しているのか?
 海の警察である海上保安庁の経費を、防衛費に加算して水増しをすれば、岸田文雄首相が「防衛力の抜本的強化」に挑戦しているように見える。しかも、それが安倍晋三元首相の時に決めた方針であるかのように見せかければ、国内の保守派を黙らせ、同盟国アメリカも納得させられるに違いない。

 だが、この動きに真正面から異議を唱える剛毅(ごうき)な防衛官僚が登場する。前防衛事務次官で現内閣官房参与の島田和久氏だ。岸田首相のブレーンとして官邸に籍を置きながらも、10月21日付の産経新聞に檄文を寄稿する非常手段をとっていた。

 島田氏の論文はまず、ロシアと対峙する北大西洋条約機構(NATO)が国内総生産(GDP)の2%以上の防衛費を支出すると合意をしており、日本もこれを念頭に5年以内に防衛力の抜本的強化を図る方針であることを高く評価する。

 ところが日本は、そのロシアを含む中国、北朝鮮という3正面と向き合う過酷な国際環境にある。いずれも軍事優先の独裁国家である。だからこそ、岸田首相はNATO首脳会議に出席して、「(今日の)ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と述べたはずだ。したがって政府方針は、この「防衛力の抜本的強化」を宣言したうえで、「その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する」ことにした。


 ところが島田氏に言わせると、そうではないらしい。彼は「ここにきて、風向きが怪しい」と政府部内の動きに警告を発し、海保予算を防衛費に組み込むことに関連し、「政府関係者が、海保の上乗せは、安倍晋三元首相の時に決めた方針だと説明している」といぶかる。

「ちょっと待ってほしい。安倍政権において、そのような方針を決めた事実はない」

 島田氏は岸田政権発足時の防衛事務次官でもあるが、安倍元首相の秘書官を六年半も務めていたから、その辺の事情を知る唯一無二の存在だ。

 NATOが沿岸警備隊予算を国防予算に組み込んでいるのは、彼らが軍事訓練を受け、軍事組織として装備しており、直接的に軍の指揮下で活動できるからだ。ところが、日本の「海上保安庁法25条」は、海保について「軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」と規定し、国家防衛への参入を阻止しているのだ。それを安倍元首相が、法改正もなしに認めるはずがないとの島田氏の思いだ。

 ましてこの悪法は、連合国軍総司令部(GHQ)の諮問機関である対日理事会のソ連代表、デレビヤンコ中将が、海保創設時の1948年に25条を強硬に主張して挿入させたもの。日本を弱体化させたままにしておきたいソ連の思惑にかなった条項なのだ。
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海保予算を防衛費に上乗せする愚
 島田論文は実態として、
 
①日本有事を想定した自衛隊と海保の連携訓練は一度も実施されていない
②有事に防衛大臣が海保を統制できることになってはいるが、その政令もなく、そのための「統制の要領」も存在しない

 
 ──と、その欠陥を突いた。
 
 この「安倍政権で決めた事実はない」と主張した島田氏の一撃は、千里を走って自民党国防族を動かし、政権中枢を慌てさせたようだ。政府は、これらの批判をかわすかのように、日本が攻撃を受けた「武力攻撃事態」を想定し、海自と海保による初の共同訓練を年度内にも実施する方針であることを、一部新聞(11月9日付)にリークした。この共同訓練を検証したうえで、武力攻撃事態に防衛大臣が海保を統制下におく際の手順を定める「統制要領」の策定を進めるのだという。島田論文の追認である。その前日には同じ新聞に、政府が防衛力の強化だという「総合防衛費」なる言葉を編み出し、研究開発費、公共インフラ整備費、さらに海上保安庁予算を計上する方針が報じられた。防衛費の水増し批判をかわすあからさまな弥縫(びほう)策だ。

 この総合防衛費にしても、海自と海保の「有事」を想定した共同訓練にしても、肝心の海上保安庁法25条を廃棄せずに、形だけ整えようとしている。防衛費の大幅増額に慎重な公明党への配慮との観測もある。
 それに比べると、沖縄県の尖閣諸島で領海侵犯を繰り返す中国の海警局は、新たに海警法施行によって、海警局が名実ともに中国の第2海軍であることが内外に宣言された。

 政府方針の「防衛力の抜本的強化」は、目の前の巨大軍事国家・中国を抑止するためのものだ。「その裏付けとなる防衛費の相当な増額」でしか戦争を回避する手立てがない現実を直視すべきであろう。島田氏の乾坤一擲(けんこんいってき)の檄文を決して軽んじてはならない。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、産経新聞特別記者。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。

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