横田さん一家を悲しませた 朝日社説と政治家の実名

横田さん一家を悲しませた 朝日社説と政治家の実名

拉致解決を遠ざけてきた犯人

 拉致被害者、横田めぐみさんの父・滋さんが亡くなり、妻・早紀江さんら遺族が記者会見を開きました。ご家族が心底から発する言葉に、私は心を揺さぶられ、涙がこみ上げてきた。このまま拉致問題の傍観者でいいのか──改めて自問した人も多かったのではないでしょうか。

 めぐみさんの弟・拓也さんは、「マスコミもイデオロギーに関係なく、この問題を我がこととしてもっと取り上げてほしい」と訴えました。北朝鮮による国家犯罪を、主義主張という色眼鏡で見るなという当然の話です。しかし、残念ながらそうではなかった。イデオロギーや誤った贖罪史観に縛られて北朝鮮の肩を持ち、拉致問題解決を遠ざけたマスコミの責任は重い。
 
 産経新聞は1980年の「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」という記事を皮切りに、いち早く北朝鮮の拉致関与を疑ってきました。その一方で、他の新聞社・テレビ局はダンマリを決め込んでいた。
 かつて日本社会において、北朝鮮批判はタブーに等しかった。
 1つの例として、国名の表記が挙げられます。産経新聞が開き直って「北朝鮮」と書き始める前まで、各紙は揃って「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と表記していました。「北朝鮮」と省略すると、朝鮮総連から抗議が来るからです。

 北朝鮮を批判的に報じてきた産経新聞の社屋に、朝鮮総連の人たちが押し寄せることもあった。
 北朝鮮の肩を持ってきたマスコミの代表が朝日新聞です。彼らは、拉致被害者のことを「密出国者」「行方不明者」と表記し、金王朝をかばい続けました。社説で拉致問題を「日朝国交正常化の障害」(1999年8月31日付)と言ってのけ、家族会が抗議したこともあります。

 それどころか、国民の目を拉致問題から逸らさせるかのように、旧日本軍が朝鮮半島から若い女性を強制連行して性奴隷にしたという虚偽の慰安婦キャンペーンを展開していました。

どの口が言っているのか

 社会党の政治家たちも、拉致問題解決を懸命に妨害してきました。
 2002年に帰国を果たした地村保志さんの父親・保さんは、社会党党首だった土井たか子氏に「拉致などない」と言われたことを証言しています。社会党議員が拉致被害者の家族から拉致問題解明の請願や陳情を受けると、その情報を北朝鮮に知らせていたとも囁かれている。
 
 社民党の福島瑞穂参院議員はツイッターで、「滋さんが生きていらっしゃる間に拉致問題が解決せずに申し訳ありません。心からお悔やみを申し上げます」と呟いていた。騙されてはなりません。社民党は、「拉致は創作された物語」と書かれた社会党機関紙の論文を、北朝鮮が拉致の事実を認めた後もホームページに掲載していました。

 1989年、韓国の民主化運動で逮捕された政治犯の助命と釈放を求める嘆願書を、社会党が中心となって韓国政府に提出した。政治犯の中には、横田めぐみさんを拉致した実行犯と自分で述べている辛光洙元死刑囚をはじめ、北朝鮮スパイも複数含まれていた。驚くべきは、後に首相の座に就いた村山富市氏と菅直人氏も署名していたこと。安倍首相は官房副長官時代に国会で菅氏らを「極めて間抜けな政治家」と名指ししましたが、そんな政治家がリーダーになれる国が日本なのです。
 
 菅氏は首相時代、拉致被害者家族との懇談会で、「万が一の時に北朝鮮におられる拉致被害者をいかに救出できるか。準備というか、心構えというか、いろいろと考えておかなければいけない」「救出に直接、自衛隊が出ていって、向こうの国の中を通って行動できるか」と、北朝鮮への自衛隊の出動をほのめかしたことがある。しかし案の定、周囲には「オレが本気でそんなことを考えていると思うか?」と漏らしていたそうです。

人間として失格

 今の野党の源流となる勢力が拉致問題解決を阻んでいた一方、政府や自民党も決して問題解決に積極的ではなかった。

 1999年、外務省アジア局長に内定していた槙田邦彦氏が、「たった10人のことで日朝正常化交渉が止まっていいのか。拉致にこだわり、国交正常化が上手く行かないのは国益に反する」と発言したことがあります。私が別の外務省幹部に取材したところ、「河野洋平外相(当時)が日頃から話していることを代弁しているにすぎません」と告げられました。前述した朝日新聞の社説の論調に似ていますが、外務省も自民党幹部も所詮、朝日新聞と同じような認識だったのです。
 
 小泉政権時代にも、「拉致はもういいだろう。テレビで扱っても視聴率は取れないよ」と平気で言ってのける自民党の大物議員がいました。
 小泉訪朝時、官房長官を務めた福田康夫元首相も、拉致問題に消極的な政治家でした。有本恵子さんについて記者に尋ねられ、「北朝鮮の拉致事件ではない」と言ったことがあります。有本さんを拉致したのは赤軍派の八尾恵氏ですが、主体思想を信奉していた彼らは当然、北朝鮮と一体となって動いていた。福田氏は詭弁を弄してまで北朝鮮をかばおうとしたのです。
 
 小泉訪朝後、福田氏は拉致被害者家族を呼び出し、「あなたの子供は亡くなっています」と、被害者の安否について北朝鮮の発表をそのまま伝えた。他の家族の方が「何だその言い方は!」と怒ると、「あなたの子供は生きてるんだから、いいじゃないですか」と。政治家以前に、人間として失格です。

お前が言うな

 横田拓也さんの双子の弟・哲也さんは先日の記者会見で、父である滋さんの死を利用するようなメディアやジャーナリストの、次のような無責任な安倍首相批判についても言及しました。

「(安倍首相は)北朝鮮問題が一丁目一番地と考えていたのに、何も動いていないじゃないかというような発言を耳にする」

 これらの言動について、哲也さんはこう反論したのです。

「安倍総理・安倍政権が問題なのではなくて、40年以上も何もしてこなかった政治家や『北朝鮮が拉致なんかするはずないでしょ』と言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理・安倍政権が苦しんでいる」

 落ち着いた口調ながら、何もしてこなかった人たちの無責任な罵倒に、憤懣(ふんまん)やるかたない思いが滲んでいました。哲也さんは名指しこそ避けていたものの、ジャーナリストの青木理氏に釘を刺したものであることは明らかです。TBSの番組に出演した青木氏は安倍政権の外交政策を揶揄(やゆ)していました。

「拉致問題が、今の安倍政権のある意味、一丁目一番地」
「安倍さんが一気に政界の階段を駆け上がるきっかけになった」
「『何の結果も残せないんじゃないか』というようなことを言う人もいる」
 
 毎日新聞専門編集委員の牧太郎氏もブログで、

「安倍晋三は『横田めぐみ一家』を騙し、徹底的に『政治利用』しただけ。『拉致』を利用して総理大臣になっただけだった」

 などと、一切根拠を示さず書いていた。滋さんの死を安倍首相批判に利用するその姿勢は、まさに「お前が言うな」。安倍首相への誹謗中傷であると同時に、長年にわたり安倍首相とともに拉致問題解決に懸命に働いてきた拉致被害者家族に対する侮辱以外の何物でもありません。

【関連動画】拉致を黙殺した反日メディアと戦った安倍晋三【WiLL増刊号#215】

タブーの時代を経て

 2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)との初会談で、北朝鮮の金正日総書記が拉致の事実を認めました。ようやく日本人が北朝鮮の悪事を知ることになりましたが、あまりにも時間がかかりすぎた。誤った歴史認識に基づく朝鮮半島への贖罪意識なのか無関心なのか、日本人は拉致被害者家族に冷たく接してきたのです。

 1998年、横田滋さんは家族会を結成し代表に就任した。それ以来、早紀江さんとともに全国を回り、署名活動や講演を重ねてきました。めぐみさんを取り返すために立ち上がった横田家の苦労は、想像を絶するものだったでしょう。横田夫妻がビラ配りを始めた頃は、ビラを受け取らないどころか、叩き落とす人すらいた。

 そんな〝冬の時代〟にあっても、横田夫妻を支えていたのが安倍首相にほかなりません。
 哲也さんは、先日の記者会見でこうも述べています。

「私たち横田家をずっと長い間、そばにいて支援してくださった安倍総理。(中略)私たちはこれからは安倍総理とともに、この問題の解決を図っていきたいと思っております」

 安倍首相は、父の安倍晋太郎元外相の秘書官時代から拉致問題に取り組んできました。当時はメディアも政治家も、ほとんど誰も拉致自体を信じず、相手にしないような時代だった。安倍首相自身、国会で「当時は拉致問題は全く誰からも顧みられなかったし、私もずいぶん批判を受けた」と発言しています。

 小渕恵三政権時代、当時の野中広務官房長官(当時)と鈴木宗男官房副長官(同上)が、「北朝鮮を批判して跳びはねている安倍みたいなやつはけしからん」と話しているのを目撃したことがあります。票にも金にもならない拉致問題は、政治家にとって〝うまみ〟がありません。むしろ、北朝鮮とつながりのある野党政治家から睨まれ、自民党幹部から煙たがられる。
 実際、安倍首相は当選同期の中で政府のポストに就くのは最も遅かった。それでも安倍首相は、政治家人生をかけて拉致問題に取り組んできたのです。

 第1次安倍政権で首相秘書官を務めた井上義行氏(現・衆議院議員)にインタビューしたことがあります。秘密裏に安倍首相の代理人として北朝鮮を訪れたこともある井上氏は、「安倍政権がもっと続いていたら拉致問題は解決した」と断言していました。第1次政権時代、昭恵夫人が各国の在京大使館の公使夫人たちを招いて拉致問題の啓発ビデオを見せたこともあった。
 安倍首相は何もやっていないと簡単に言い切る人がいますが、あれこれたくさんのことをやってきても、なかなか動かないところに問題の難しさがある。

安倍・トランプの本気

 第2次安倍政権が発足すると、安倍首相は北朝鮮との水面下での交渉と並行して、世界中の首脳に拉致問題を訴えてきました。実際にトランプ大統領は、二度にわたって金正恩に「マイベストフレンド、シンゾー」と言って、安倍首相に会い拉致問題を解決するよう言い含めている。習近平も金正恩に拉致問題解決を促しているし、文在寅でさえ南北会談で拉致問題に言及したとされる。安倍首相は対北包囲網をつくり上げようと働きかけてきたのです。

 オバマ政権まで、アメリカは人権を大切にするというタテマエもあり、拉致問題に関心があるフリをしていた。ところが、具体的に何かをするわけではなかった。内心では、核・ミサイル問題を解決するうえで、拉致はジャマだとすら思っていたはずです。

 それがトランプ政権に代わると、安倍首相の必死の訴えもあってアメリカの対北政策に拉致がガッチリと組み込まれた。安倍政権と歩調を合わせるトランプ大統領が再選すれば、いよいよ金正恩も追いつめられるでしょう。腹をくくって拉致問題を前に進めるしかありません。
 小泉初訪朝が実現した背景には、ブッシュ政権による強い圧力がありました。北朝鮮をイランとイラクに並べて「悪の枢軸」と名指しし、金融・経済制裁を発動した。追い込まれた金正日が、助けを求めて日本に泣きついた格好です。武力で拉致被害者を奪還するという選択肢を持たない日本は、米国をはじめ世界各国を巻き込んで北が動かざるを得ない状況をつくるしかない。

 拉致問題を解決して国交正常化を果たした暁には、日本が巨額の資金援助を行う用意があるということも、トランプ政権を通じてすでに伝えてあります。
 北朝鮮にとって、まとまった金の援助は日本しか期待できません。韓国の経済状況は良いとは言えず、1兆円規模の支援は難しい。日本は韓国との国交正常化にともない莫大な経済支援を行った前例があるので、金正恩も同額かそれ以上を狙っているのだと思います。
 いま北朝鮮は、小泉訪朝時より厳しい状況に置かれています。新型コロナウイルスの影響で、相当な経済的打撃を受けたともいわれている。拉致問題解決へ、あと一歩のところで足踏みしている状態ではないでしょうか。

 事態が動いているからこそ、制裁を続けている。安倍首相の拉致問題への本気は、関係各所に配置する人物からも明らかです。小泉訪朝時、北村滋国家安全保障局(NSS)局長は警察庁外事課長、秋葉剛男外務次官は条約課長だった。この布陣を見ても、安倍政権が拉致問題を疎かにしているとは口が裂けても言えないはずです。

戦後日本の象徴

 初めて日朝首脳会談が行われた日の夕方、家族会は記者会見を開き、横田夫妻ら被害者家族が涙ながらに被害者の帰国を訴えた。私はテレビで会見をみながら、日本人が覚醒の第一歩を踏み出したと思ったものです。我が国が外交や国際関係、ひいては戦後日本そのものを見直すキッカケになるのではないかと。
 しかし、問題が大きな進展を見せない中で、拉致被害者家族は高齢化し、今では拉致問題の存在すら知らない若者も多い。若年層への啓発として政府がつくったアニメーションビデオ「めぐみ」を学校に配ろうとしても、韓国人・朝鮮人差別につながるという理由にもならない理由で、生徒に見せない学校がたくさんあります。

 様々な妨害がありながら、それでも次の世代にバトンを渡し、北朝鮮の国家犯罪を糾弾し続けなければなりません。

 横田家の記者会見を受け、元AKB48の指原莉乃さんは涙をぬぐいながら、「この問題は、もっと若い人たちも知らなきゃいけない」とワイドショー番組で発言した。その後、彼女はツイッターで会見のフル動画を紹介していました。幹部検察官定年延長などという他の省庁でも当たり前に行われている取りに足りない話題で安倍政権にケチをつけていた芸能人たちは指原さんを見習い、いま本当に論じるべきは何かを考えてはどうか。

 安倍総理の著書には、「日本の戦後体制、憲法9条は13歳の少女の人生を守れなかった」と明記されています。私は有本恵子さんの父親・明弘さんから手紙をもらったことがありますが、そこにも「憲法改正を含めて法律を整備しないと、北朝鮮のような国には対峙できない」と書かれていました。

目に見える侵略

 拉致問題は戦後日本を象徴しています。憲法9条のおかげで平和だったと呑気に言う人がいる。しかし、自国民が他国に連れ去られ、40年経っても取り返せない国のどこが平和なのか。
 憲法前文と9条は、世界には優しい人たちしかいない、良い国しかないという幻想を前提としています。拉致問題とともに、その幻想を破壊するのが中国の膨張主義です。
 
 コロナウイルス禍における日本の危機対応能力を試すかのように、60日以上にわたって中国船が尖閣周辺を航行している。5月上旬には、人民解放軍の指揮下に置かれる「海警」が、領海侵犯を繰り返した挙句、日本漁船を3日間も追い回した。しかも、中国外務省の報道官は開き直って、「日本の漁船が中国の海で違法操業している」と言い放ちました。完全にナメられています。
 産経新聞台北支局長の矢板明夫さんによると、民主党政権の末期、習政権は尖閣諸島を奪おうと本気で計画していたそうです。習政権は、安全保障面における日本の法整備の問題、準備不足、領土をいかに守るかについて、日本の国内世論がまとまらないことを利用しようとした。
 
 そんななか、日本では政権交代が起こり、第2次安倍政権が発足して「中国包囲網外交」を展開するようになった。さらに、東日本大震災2周年の追悼式では、中国の申し入れを無視し、それまで一般参列者扱いだった台湾代表を外交使節として扱いました。これが決定打となり、日本と対峙し続けることはできないと判断したのです。

 ただ、習近平は尖閣諸島について「核心的利益」と明言している。つまり、共産党政権が倒れない限り、中国は尖閣を絶対に譲らないということです。それを踏まえて、いったい日本は何ができるか。憲法改正がベストですが、それが無理なら外交センスに優れた安倍首相を支えるしかありません。

「共同通信は本気でヤバい」

 にもかかわらず、野党とメディアは相も変わらず安倍政権の足を引っ張ることしか考えていない。政府を批判するためならロクに裏も取らずに騒ぎ立てる──そんな報道が目立ちます。
 6月7日、共同通信が「日本、中国批判声明に参加拒否──香港安全法巡り、欧米は失望も」という記事を配信しました。香港の反政府活動を強く取り締まるための「国家安全法」が全人代で成立し、アメリカやイギリスなど各国が非難声明を発表した。そんななか、日本政府は参加を打診されていたのに拒否し、他国から失望されたと。

 サッカー元日本代表の本田圭佑選手は、「この記事が本当なら日本は本気でヤバい。この記事がフェイクなら共同通信は本気でヤバい」とツイートした。
 菅官房長官は即刻、記事の内容を否定しました。それもそのはず、国家安全法について、日本政府は世界に先駆けて中国大使を呼びつけ、深い憂慮を伝えています。「深い憂慮」は、外交コードでいえば最も強い言葉にほかならない。アメリカやイギリスから失望されたなど、あり得ません。結果的に、「共同通信がヤバかった」わけです。

 共同通信は黒川弘務前検事長の処分についても、「黒川氏『懲戒』の判断、官邸が『訓告』に」という記事を流し、法務省が決めた「懲戒」を官邸が軽い「訓告」にしたかのように報じた。しかし、私が取材で聞いた話では真逆です。法務省から杉田和博官房副長官に「厳重注意」が提案され、それを官邸側が一段重い「訓告」で押し返したのが真相なのです。
 憶測ですが、官邸にダメージを与えたい検察か法務官僚が、共同通信にガセネタを摑ませたのかもしれない。朝日新聞も、検察OBの意見まで大々的に報じ、検察官の定年延長を「政権による検察の私物化」であるかのように印象操作していました。

 しかし、これも拉致問題と同様、イデオロギーに影響された報道ではないかと疑ってしまいます。民主党の菅直人政権時代、尖閣周辺で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした漁船衝突事件が起こり、中国人船長が逮捕されました。その後、菅官邸が超法規的措置として釈放したことがあった。戦後最大の政治介入といえるでしょう。あれほど、政治家が法の手続きを捻じ曲げたことはありませんでした。にもかかわらず、現役・OB問わず、検察から声が上がることはなかった


 海上保安庁では、保安官だった一色正春さんが義憤にかられ、ユーチューブ上に映像を公開しました。もともと海保が即時公開する予定だったものを、官邸が中国におもねってストップをかけていたのです。当時、民主党政権の対応に憤った検察官がゼロだったとは思えません。おそらく、都合の悪いことは報じないマスコミは扱わなかったのでしょう。お得意の「報道しない自由」です。

 横田家の記者会見を扱うニュースやワイドショーで、マスコミ批判と安倍首相を擁護する発言はVTRですべてカットされ、新聞各紙も伝えなかった。「何もやってない方が政権を批判するのは卑怯だと思います」という哲也さんの言葉を聞いてもなお、メディアは「卑怯の上塗り」をしたのです。
 たとえ大手メディアが報道しなくても、ネットでは動画が拡散されている。そんなことも知らないのか、知っていながらムダな抵抗を続けるのか。

 いずれにせよ、ほとんどのマスコミは世の中の変化に対応できないまま国民の信用を失い続け、時代に取り残されてしまうのでしょう。
阿比留瑠比 (あびる るい) 
1966年生まれ、福岡県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。90年、産経新聞社入社。仙台総局、文化部、社会部を経て、98年から政治部。首相官邸、自由党、防衛庁(現防衛省)、自民党、外務省などを担当し、第一次安倍内閣、鳩山内閣、菅内閣、第二次以降の安倍内閣で首相官邸キャップを務める。
『総理の誕生』(文藝春秋)、『安倍晋三の闘い』(ワック)など著書多数。

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