【山口敬之】「逆ギレ」小池都知事が消す 江戸~東京文化の灯

【山口敬之】「逆ギレ」小池都知事が消す 江戸~東京文化の灯

かけがえのない老舗が閉店

 「解除の話はやめて下さいよ。今まだ(7割減をお願いしている)この段階なんですよ?」

 小池百合子東京都知事のこの言葉に、私は耳を疑った。2月10日、緊急事態宣言の解除見通しについて尋ねた記者に対し、怒りを露わにして回答を拒絶したのだ。

 緊急事態宣言の延長により、多くの飲食店と関連産業が存亡の機に立たされている。昨年来の外食自粛ムード、大人数での会合への忌避感、さらに度重なる時短要請で、あらゆる飲食店が壊滅的収入減に見舞われている。

 中でも、時短要請協力店に支払われる1日6万円の公的支援では赤字を補填し切れない、比較的規模の大きい単独経営の飲食店、いわば「地元の名店」のダメージは計り知れない。

 江戸後期の創業以来230年にわたって葛飾・柴又で川魚料理を提供してきた名店「川甚」が先月末静かに店を閉じた。

『男はつらいよ』シリーズ第1作で寅次郎とさくらが結婚披露宴を営んだことで有名で、この店目当てに柴又にやってくる遠来の客も少なくなかった。私も幼い頃から幾度となくお邪魔したが、川魚料理の旨さといい、店の風情といい、掛け値なしの「下町の名店」だった。
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その長い歴史に終止符を打った「川甚」
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 昨年12月、私は久しぶりに川甚で食事をする機会があった。鯉の洗いや鯉こく、鰻の蒲焼など数々の名物料理が私と客人を存分に楽しませた。そして、江戸川の畔(ほとり)に佇む大店だけに、川べりを渡る冬の風が店内にもそこはかとなく流れ込んで、江戸前の凛とした風情が贅沢な時間を紡いでいた。

 川甚を訪問するのはおよそ30年ぶりだったが、職人の矜持を感じる丁寧な仕事も、伝統と文化を醸す店のつくりも、昔の記憶そのままだった。

 1つだけ違っていたのは、客の入りだった。この堂々たる名店にもコロナ禍は容赦なかった。いつ行っても満席で、多くの客が順番待ちをしていたはずの人気店が、休日の昼時にもかかわらず、広い店内に私たちを含めて3組しかいなかった。小春日和の柔らかな日差しが降り注ぐ心地よい空間は物音1つせず、賑わいを忘れてすっかり静まり返っていた。

 年が明けると、川甚閉店のニュースが届いた。最盛期には1日700人ほどの客数があった川甚もコロナ禍で客足が激減。本館・別館を構え、また多くの従業員をかかえるため、1日6万円の協力金は日々の固定費にすら遠く及ばなかったという。店主はメディアの取材に対し「いくらシミュレーションしても先が見えなかった」と語っていた。

 緊急事態宣言の解除見通しは、コロナ禍においてギリギリの経営が続く飲食店にとっては、死活的に重要な情報だ。

 小池知事は「ステイホーム」「宴会自粛」「3密回避」などを声高に求める一方で、時短要請に応じた中規模以上の飲食店には十分な補償を与えず、多くのかけがえのない名店を存亡の機に晒してきた。

 挙げ句の果てには「解除の見通し」というごく真っ当な質問をも、恫喝(どうかつ)をもって排除したのだ。

 都知事だろうと誰だろうと、いかなる理由があろうと、必死の経営が続く飲食店経営者を愚弄し、翻弄する権利はない。

 それどころか、都民・国民を必要以上に追い詰めた元凶こそが、ほかならぬ小池百合子なのである。

病床逼迫を招いたのは誰か―都知事の責任転嫁を問う

 前稿でも指摘した通り、昨年末に始まった第3波は1月10日にピークを迎え現在は完全な収束局面に入っている。

 例えば、東京都の「陽性率」は、1月7日に14.5%という最高値を記録して以降一貫して下がり続け、2月9日にはピーク時の3分の1程度の5.2%まで下がった。陽性率とは、PCR検査を受けた人の中の陽性反応が出た割合だから、感染の拡大状況を推し量る際に最も信頼できる指標の1つである。

「新規陽性反応者」も、小池知事自ら目安とした500人を下回る日が続き、前の週との比較である「実効再生産数」も、収束を示す1未満の数値がずっと続いている。要するに第3波は1月上旬にヤマ場を過ぎ、ほぼ収束したと言っていい。

 それではなぜ、緊急事態宣言を解除できないのか。それはただ1点、「医療体制の逼迫状況」が続いているからだ。

 東京都のコロナ対応病床数は現在4,900床、人工心肺装置ECMOが使える重症者対応病床は315床。
 
これに対して、2月10日段階での入院患者数が2,553人、重症者は103人。それぞれの病床使用率は52.1%と32.6%。この数字を、緊急事態宣言を解除できないほどの逼迫状況と判断するかどうかは、意見が分かれるところだろう。

 しかし、大前提として「4,900/315」というコロナ対応病床数がまずあって、実際の入院者と重症者がこの数値に迫れば、「医療体制が逼迫している」ということになる。

 この「必要なコロナ対応病床数」を決めるのは、本連載第11回の記事でも指摘した通り、自治体と医師会である。東京都の場合は「東京都新型コロナウイルス感染症対策本部」が「パンデミックのピーク時に対応病床がどの位必要となるか」を決めている。対策本部長は都知事の小池百合子だ。

 対策本部の下には審議会やモニタリング会議が置かれ、東京都医師会からは猪口正孝副会長ら多くの幹部が出席して東京都と連携し、必要病床数を検討した。

 昨年夏の段階では「冬のパンデミックピーク時には『最大で』4,000床が必要になる」と試算された。その後この数字は泥縄式に少しずつ上げられ、現在は「4,900/315」になった。

 要するに小池知事は、自らが本部長を務める対策本部で「最大で4,900床が必要となる」=「4,900床あれば感染拡大を乗り切れる」と決めた張本人なのだ。
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なぜ病床数が逼迫しているのか?(写真は都立墨東病院-本文には関係ありません)
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8割オジサンの重用にもかかわらず―矛盾する都知事の判断

 ところが小池知事の判断と発信は、しばしば相矛盾し、大いにダッチロールした。

 昨年4月9日には、当時北海道大学の教授だった西浦博氏と並んで会見し、感染爆発のリスクに触れた上で、「飲食店など感染ハイリスクの職種で営業停止要請も含めて対応することが必要だ」と述べだ。さらに10月には「東京感染症対策センター(東京iCDC)」をスタートさせ、西浦氏を検討チームの中核に据えた。

 連載第18回でも触れたが、西浦氏は昨年の第1波の際に「感染拡大を減らすには人間の接触を8割減らすことが絶対必要」「できなければ最悪42万人が死ぬ」と予測した人物だ。

 今年1月初旬にも「飲食店の22時閉店などを維持したとしても、このまま行けば(東京都の)1日の新規感染者は2月末に3,500人、3月末には7,200人になる」と予測した。これを前提に、西浦氏は「飲食店の閉店時刻の繰り上げなどに早急に踏み切る必要がある」と訴えた。
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8割オジサンこと西浦博氏
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 東京だけで毎日3,000人以上の新規感染者が発生するなら、コロナ対応病床が4,000床で足りるはずがない。

 一緒に会見するほど信用していた学者の深刻な予測に対して、小池知事はどう対応したのか。

 (西浦氏の予測の是非はともかく)本来であれば西浦氏の予測に従い、

 ①時短要請を午後8時までに繰り上げる
 ②コロナ対応病床の目標値を大幅に増やす

 という、自らの権限で実施できる対策を即座に実施するのが、知事としての最低限の責務だろう。
 
 ところが、小池知事は一切動かなかった。政府から何度も要請された「時短繰り上げ」は頑強に拒絶し、代わりに緊急事態宣言を出すよう政府に申し入れる政治パフォーマンスを選択したのだ。

 幸いなことに、西浦予測は完全に外れた。しかし、厳しい予測を前にしても、時短要請も、コロナ対応病床の増床も実施しなかった小池知事の不作為、無為無策は明白だった。そして、「行動自粛」という有権者にとって厳しいアナウンスを、菅総理に押し付ける狡猾さだけが、強く印象付けられた。

 その上で、第3波がやってきて、コロナ対応病床の余裕が覚束なくなると、「都民・国民はもっと行動を自粛しろ」「解除の見通しなどの質問すらするな」と上から目線で言い放ったのだ。

 都知事自ら設定した「必要病床数」が不十分だったから医療体制が逼迫したのに、その責任を都民に押し付ける。先の見えない自粛を強要した挙句、解除見通しの質問に怒りを露わにするとは、「責任放棄」「逆ギレ」の謗りは免れまい。

日米知事の「力量差」

 昨年6月の段階で、小池知事が必要病床数を、例えば9,000床と設定し半年かけて目標値に達していたとすれば、第3波のピークの3,427人という入院患者数を持ってしても占有率は4割に満たず、医療逼迫という今の事態は十分に避けられた。

 それでは東京でコロナ対応病床を9,000床用意することは、そんなに難しいのだろうか?
 類似の大都市を抱えるアメリカ・ニューヨーク州の例を見てみよう。

 アメリカでは2,730万人の陽性反応者と、47万人の死者という世界最大の感染者/死者数を数えているにもかかわらず、現在ほとんどの都市で医療リソースには余裕がある。

 事態改善を受けニューヨーク州のクオモ知事は、2月中旬にもマンハッタンなど繁華街でのレストランの屋内飲食を再開する方針を発表した。

 最悪の事態をくぐり抜け経済再建のステージにたどり着いたのは、知事が指導力を発揮し、徹底した「コロナ増床」に邁進したからだ。

 人口1,945万人のニューヨーク州の、コロナ前の一般病床数は5万3000床だった。1,396万人の東京は10万6000床だから、人口10万人当たりで比較すると東京の760床に対してニューヨークは270床。東京の3分の1程度しかなかった。

 ただでさえ病床数が少ないニューヨークを襲ったのは、東京の数十倍規模の陽性者反応者と重症者だ。当然、第一波の初期にはマンハッタンなど人口密集地の病院では大きな混乱も見られたが、昨年夏以降は持ち直し、医療逼迫状態は回避できている。

 第三波が緩慢だったわけでは決してない。1日当たり2万人という、東京の10倍もの新規感染者が連日発生していたのに、ニューヨーク州は余裕を持って対応出来た。

 それは、クオモ知事が第一波以降、あらゆる手段を講じてコロナ対応病床を増やすと同時に、医療従事者の増員に全力を挙げたからに他ならない。

 クオモ知事は第1波が急拡大した昨年3月、州内の病院に最低でも50%以上ベッド数を増床させるよう要請。各病院は駐車場やロビーにテントを設営するるなどして対応した。

 また州内8カ所の公有地に臨時病院を設置。セントラルパークには仮設テントを建て、軽症や中等症だけでなく重症者にも対応できるようにした。市内の大型展示場には、1,000床ものベッドが運び込まれ、わずか5日間でコロナ専用の臨時病院を完成させた。

 また、犬猿の仲だったトランプ大統領政府に頭を下げ、海軍の病院船をニューヨーク州に派遣してもらうなど、わずか3~5週間ほどで4万床もの新規病床を確保したのだ。

 病床増床と並行して、医療従事者の確保にも努めた。元医師や元看護師、看護学校など、あらゆる方面に声を掛け、様々な助成制度でインセンティブを与えて職場復帰を促した。

 第1波の段階で、電光石火の病床増と、病床数に見合う医療従事者拡充を断行したからこそ、冬の第3波では医療体制逼迫という東京のような事態には陥らず、今では飲食店の営業再開まで視野に入ってきたのである。
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クオモ・ニューヨーク州知事

東京都の無策すぎる「準備」

 もちろん、ロックダウンなど強制力を伴う行政命令を出せるアメリカの知事と東京の知事を単純比較することはできまい。

 しかし、ニューヨークの知事が3週間で4万床もの増床に成功した一方、小池知事は1年かけて何をしていたのか。ニューヨークの10分の1の、4,000床でも積み増していれば、第3波で医療体制の逼迫は起きず、緊急事態宣言の延長も不要だっただろう。

 実際政府は、昨年春以降、各自治体がコロナ増床に踏み切ると判断し、3回にわたって補正予算を組んだ。そして10兆円を超すフリーハンドのコロナ対策費を計上して都道府県からの要請を待った。

 政府側が想定していたのが、

 ・公営病院の敷地内でのプレハブ病棟の増設
 ・病棟や病院フロアのコロナ対応化のための改装費用
 ・クルーズ船やホテル借り上げなどによる軽症・中等症対応施設の拡充

 などだ。
 クルーズ船の利用はニューヨークの病院船にヒントを得たアイデアだ。政府は都道府県側にも、こうした様々な施策を内々に提案したという。

 ところが、肝心の東京都からは、感染の再拡大に備えた具体策は一切示されなかった。それどころか、第1波の感染拡大が一段落する前に、軽症者用に借り上げていたホテルを早々と解約していた事実も発覚した。

 都民には過剰な感染予測を示して恐怖を植え付ける一方、東京都のコロナ対応姿勢には積極性も能動性も感じられなかった。結果として医療体制拡充は遅々として進まず、深刻な予測に対して桁違いに貧弱な状態のまま放置された。これが、緊急事態宣言延長の決定的要因となった。

無為無策で消えゆく「江戸文化」

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江戸の名残はこのまま消えゆくのか―
「敬太郎は久し振りに晴々とした良い気分になって、水だの岡だの帆かけ舟などを見廻した。 二人は柴又の帝釈天の傍まで来て『川甚』という家に這入って飯を食った」(夏目漱石著『彼岸過迄』より)

『彼岸過迄』は、漱石晩年の3部作の第1幕だ。漱石が「修善寺の大患」という、死線を彷徨う大病を経験した直後の作品だけに、鬱々とした心境に陥りやすい主人公・敬太郎の内面が克明に描かれている。そしてある日、ひょんなことから珍しく清々しい気持ちになった敬太郎の心境を象徴する舞台として選ばれたのが「川甚」だった。

 そもそも、婚礼や慶事などめでたいハレの日に「川沿いの料亭で、川面を借景に一献傾ける」という江戸っ子の寿ぎ(ことほぎ)の原風景は、この店が発祥とも言われている。

 江戸・明治・大正・昭和と、日本の食文化を脈々と伝承し、内外の観光客を魅了し、東京・下町の地域経済を支えてきたのが川甚だった。こうした老舗の名店は、ひとたび暖簾を下ろしてしまえば、2度と再生できないからこそ、かけがえがない。

 小池知事は宣言解除の質問に対して、こう開き直った。

「解除の話が出ますと、その情報が結果として、人の出を進めてしまうようなことにつながっている」
 
 小池知事が言うような「外出しただけで感染拡大する」というエビデンスは1つもない。
 その一方で、外出すら非難されるような空気がつくり出されたことで、地域経済は深刻なダメージを受け、街中の商店や飲食店が次々と廃業している。

 繰り返すが、感染拡大が収束しても緊急事態宣言を解除できないのは、東京都を始めとする自治体が、十分なコロナ対応病床を準備してこなかったからだ。

 その主犯たる知事に、都民を恫喝し、自粛継続を命令する資格はあるのか。病床数比で東京の30倍もの感染者に見舞われたニューヨークですら、レストランの営業再開に踏み切る段階に入っているというのに。

 外出しなければ、外食も買い物もできない。東京で、そして日本全国で、国民の生活と歴史と文化を担ってきたかけがえのない飲食店や商店の多くが、一部の無能な政治家の無為無策によって、今日も窒息死させられている。
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山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)がある

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この記事へのコメント

いつも読んでます 2021/2/13 23:02

山口さんの指摘にとても共感しました。小池さんは自らの責任で決断し、結果を引き受ける覚悟が無い事がよく分かります。次回の記事も楽しみにしています(^^)

マリステル 2021/2/13 09:02

「佐賀県では2月8日から時短要請が解除されたから、もう飲みに行けるんだー(^^)❤️❤️❤️ 精神的な解放感が半端ない!」と言うと、他県の友達に「いいなぁ…うちなんて仕事終わったら帰り道真っ暗よ?」「19時でオーダーストップとか、全然酔う暇ない」「あーもー!いつ解除されるんだろ?」という話になる。

そんな「解除の見通しは?」という真っ当な質問をした記者が小池百合子知事に恫喝されたことを、いったいどれくらいの国民・都民がご存知だろうか。

東京都は日本の縮図で、影響は日本中に波及する。パフォーマンスではなく実務に努めてほしい。

的確な記事をいつもありがとうございます。

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