ナザレンコ・アンドリー:立憲共産党"惨敗"に見る「クレ...

ナザレンコ・アンドリー:立憲共産党"惨敗"に見る「クレーマー野党」の終焉

変えるべきは「自身」であったのでは…

不利な立場を戦い抜いた自民党

 衆議院選挙(第49回)は、またしても与党の≪圧勝≫で終わった。今回は自民党にとって不利な要素もたくさんあったため、この結果を「意外」として受け取っている人も多い。

 自民党に対し、最も不利に働いたのは、間違いなくコロナ危機だ。不可抗力とはいえ、パンデミックのような恐怖に直面する人間はどうしても確かな「安全と安心」を望み、それが保障されないとその期待に応えられなかった人に怒りを覚えてしまう。特に日本人は、完全な安全・安心を意味する「ゼロリスク」を求める傾向が強く、給付金を支給しても「足りない」と言い出し、感染が〝さざ波レベル〟まで収まっても「危険がまだ残っているから不十分」と不満を口にし、ワクチン接種率が欧米を上回っても「遅い」と批判する。いくら政府が対策を打っても、それらが完璧でなければ納得いかない。このような状況で政権が揺るがない方が不思議だろう。しかし選挙結果からすれば、自民党はこのマイナス面を跳ね返した。

 もう一つ、自民党にネガティブに働きかねなかったのが、例によって総選挙を通じて展開された「反自民的言論」だ。例えば、自民党内でも多様な考え方をする議員がいることを踏まえ、一方では「高市早苗は極右だ」、他方で「河野太郎は売国奴だ」というように、自民党内がまるで分裂しているような論じられ方が多くなされていた。無党派層の耳にこのような意見を届けて、「どっちも支持したくない」と思わせ、党全体の支持を下げる意図があったと思われる。しかし、この点もさほど効果がなかったということだ。

 なお、「総裁選で自民党が多いに注目されて、追い風が吹いた」との意見もあり、確かにその通りであろう。しかし、勝利の決定的な要因となったとはいえまい。なぜなら総裁に選ばれた岸田文雄氏は、知名度やメディアの言う「国民的人気」で河野氏に及ばず、保守層への好感度も高市氏よりは低いものであったからだ。能力があっても、岸田総裁は政治に無関心な層に最も響く「話題性」や「特徴」という面では、その二人より弱かったであろう。

なぜ野党共闘は失敗したのか

 私は、このような不利な立場だったはずの自民党が目標(自民・公明で過半数確保)を上回る結果を出し、単独で安定多数を獲得できた主因は、野党連合(いわゆる≪立憲共産党≫)が全く「ダメ」であったからと考える。

 それでは、メディアを味方につけて、候補者の一本化で反自民層を団結できたはずなのに、≪立憲共産党≫はなせ「惨敗」したのだろうか。

 第一の理由としては、立民と共産党が「似ている」とはいえ、政策の面では当然ながら相違があった(だからこそ別の政党であり続けている)ことが挙げられる。ところが野党のリーダーたちは、政策アピールよりも、自民党に対する憎悪を煽るほうが効果的であると考えたのであろう。「安倍のせいだ」「自民党に殺される」「モリカケがー!」……こうした主張は、もとから与党が嫌いな人に響いても、政策重視の中立的な有権者からすれば、まったく参考材料にならない。つまり、判断基準にキチンと政策を考慮している国民が多く、野党の目論見の様に「反自民なら誰でも良い」とはならなかったということだ。

 第二の理由は、共闘したのが「共産党」であったことだ。2017年に民進党が分裂した結果、やや保守的な主張を掲げる国民民主党と左翼の立憲民主党が誕生した。だが、支持者は同じように綺麗に分かれたわけではないだろう。立憲ほど左ではないが、国民が自民に勝つ可能性が低いと判断し、より強い野党を支持することに決めた層も一定数いたはず。そういう人々であってもは悪名高い共産党との共闘を受け入れることができなかったのであろう。今回の選挙ではそのような層は民主主義を尊重し、共産主義を否定的に見ている国民民主党に回帰したのではないかと思われる。

 最期に第三の理由として、特定野党の議員は「自民党は組織票で勝っているだけ」「本当は大半の国民はわれわれを支持している」という謎の自信を持ち続けていることだ。だから、彼らは往々にして「真の民意」という言葉を使ったりする。もちろん、これはひどい勘違いで、国民の3~4割が与党を支持しているのが現実なのだ。こうした状況のなかで選挙に勝つためには、与党支持者の不満を丁寧に拾い上げ、そのシンパシーを買う必要がある。つまり、政策面での「穴」を突く必要があるのだ。

 だが、特定野党とその支持者は自民党を全否定するだけで、政策はむしろ与党支持者が「より嫌な方」に行くばかり。その上自民党批判をしない人には「愚か者」や「権力の犬」とレッテルを貼る。これでは自民党に不満を持つ人たちも、そのような党に票を入れる気には絶対ならない。こうして常に上から目線であり、攻撃的であるせいで、≪立憲共産党≫は自ら支持者を増やす可能性を失ったのだ。
ナザレンコ・アンドリー:立憲共産党"惨敗"に見る「クレ...

ナザレンコ・アンドリー:立憲共産党"惨敗"に見る「クレーマー野党」の終焉

代表を辞任した枝野氏

「クレーマー野党」時代の終焉

 ≪立憲共産党≫の惨敗とは逆に、第三勢力(維新や国民)は健闘した。議席を4倍も増やした日本維新の会こそ、この選挙の真の勝者ではないかという声もあるほどだ。

 大阪での抜群の人気に加え、維新は岸田氏の「脱・新自由主義」方針に対抗する経済政策を志向するなど、「与党のいいところは認め、自らの主張と異なる部分はキッチリと主張する」という野党の役割を心得ていた。であればこそ、自民党の政策に不満は持ちつつも、≪立憲共産党≫は絶対にありえないという層の受け皿となりえたのだ。

 なお、維新は憲法改正の国民投票を行うべきと主張しており、国民民主党も「国会で建設的な憲法論議を行うべき」としてる。このことから、この選挙では、憲法改正もしくはそれに向けた議論をすべしとする国民が圧倒的に多いこという事実も明らかとなった。「憲法改正の議論すら許さない」とする≪立憲共産党≫はNOなのである。

 こうした国民の望みが選挙結果に現れているのに、文句しか言わないクレーマー政党に忖度して、いつまでも民意に応えないのは非民主的な行為に他ならない。この快勝により、進み具合が悪かった改憲を国会で実現する歴史的なチャンスが訪れたのだ。

 「クレーマー野党」時代が終わった今、岸田総理にはこの勝利に安住せずに、国民の期待に応える大きな一歩を期待したい。
ナザレンコ・アンドリー
1995年、ウクライナ東部のハリコフ市生まれ。ハリコフ・ラヂオ・エンジニアリング高等専門学校の「コンピューター・システムとネットワーク・メンテナンス学部」で準学士学位取得。2013年11月~14年2月、首都キエフと出身地のハリコフ市で、「新欧米側学生集団による国民運動に参加。2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするためのボランティア活動に参加。同年8月に来日。日本語学校を経て、大学で経営学を学ぶ。現在は政治評論家、外交評論家として活躍中。ウクライナ語、ロシア語のほか英語と日本語にも堪能。著書に『自由を守る戦い―日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』(明成社)がある。

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