政権交代のたびごとに前大統領が逮捕される隣国の二の舞になりそうだっただけに、心底安堵している。野党は相変わらず政治とカネの問題で国会をジャックして、自民党の力を削ごうとやっきになっている。離合集散を重ねる立憲民主党は衆参両院で157人の大所帯となったが、国民が望まぬことだけに全力を注ぎ党利党略目当てのこの野党第一党の支持率は、むべなるかな5%から3%へと下落(昨年12/26~27の読売新聞電話全国世論調査)して、もはや公党と言える代物ではなくなっている。
各種新聞報道によると、この桜問題の核心は、5年間で一人頭5,000円で2,800人分の食費1,400万円をホテルニューオータニに支払い、その不足分の800万円超を安倍晋三事務所が補填したというところにある。一人頭の補填額は2,857円で、36%の補填率だ。これは悪質とは言えない。私はこれまでの自らの8回の選挙と、ボランティアで手伝った20回以上の選挙を総合して勘案しても、この補填率は真面目な穏当なものと言える。
結果、東京地検特捜部はその実務を取り仕切った安倍前首相の公設第一秘書(後援会長)を政治資金規正法違反(収支報告書への不記載)で略式起訴し、安倍前首相は嫌疑不十分で不起訴処分とした。公職選挙法には連座制があるが、政治資金規正法にはない。
今回のケースの核心は、選挙区内の寄付行為を禁止した公職選挙法第百九十九条の二と、同法第二百二十一条の供応接待による買収に当たるか、そして政治資金規正法にある収支報告書への補填額の不記載は会計責任者の単独行為か否かということである。今時、費用の全額を政治家が補填することは明らかに買収なのでさすがにないが、各種パーティや会合ではその会費の半額くらいを主催者の政治家事務所が補填することは与野党を問わず日常化している。
「政治活動の公明と公正を確保し」「民主政治の健全な発達に寄与する」ための公職選挙法であり、また政治資金規正法というそれぞれ立派な大義名分がある。
だが本来自由であるべき政治活動を細かすぎる規制で雁字搦めにし、将来有為な候補者たちを悩みに悩ませ、その新規参入を拒んでいる。欧米諸国に比べて極めて厳しすぎる法律だ。金権政治を排するための法律だというのはわかる。補填率が半分を超えたらクロではないかという感覚は私にもある。だが半分未満は許容範囲だろう。
国政選挙における一票の格差問題で「2倍以内は合憲」とされたように、この補填率も「半分未満は合法」というルールを早急に作るべきだ。これにより透明性の確保を図るほうが得策だ。法の運用と実態の折り合いをつけるべきだ。こんな内向きの法律で政治家を縛っていったい国民にどんな得があるのか。日本以外では通用しない国家観も度胸も無い、単にカネにピリピリした小賢しい政治家しか生まれてこないのは、こんな仕組みのせいでもある。
だからチャイナマネーに群がりハニートラップにやられるのだ。
世界中に武漢ウィルスを撒き散らし、米大統領選挙を乗っ取ろうとまでした中共のデジタル全体主義の脅威を国民は感じている。これと比べると、日本の牧歌的な議会制民主主義の与野党対決は、国内で予定調和し完結するが、外に向かっては国力を低下させるのに資する脆い仕組みにさえ見えてくる。
選び抜かれた一族のDNA
何度危機に遭遇してもギリギリのところで復元するスーパーマリオのようにめっぽう強いのは、母方の祖父・岸信介の血統ゆえだ。
東條英機内閣で商工相などの重要閣僚だった岸信介は、A級戦犯被疑者として巣鴨拘置所に3年半拘置されたが、不起訴のまま、7名(東条など6名のA級戦犯とB・C級戦犯の松井石根)の処刑が執行された1948年12月23日の翌日、無罪放免された。
なぜだろう?
戦後日本の「アメリカ支配」に都合のいい指導者として育てるつもりで泳がせたという説もあるが、それは皮相な見方であると思う。
「名にかへて このみいくさの 正しさを 来世までも 語り残さむ」と歌まで作り、裁判に挑んだ岸信介は、満州国で実権を握った「二キ三スケ」と呼ばれた、「東條英機・星野直樹、松岡洋右・鮎川義介」の中の一人であった。東條らと同様の運命をたどると思いきや、同じく収監されていた木戸幸一・元内大臣(後に第一級資料となる「木戸日記」を提出する)の大弁明で救われた。
粟屋健太郎著『東京裁判への道』によると、木戸は検察官から岸が右翼かと問われた時、「彼は最も有能な官僚の一人です」と答え、また、「保守的グループに分類できるか」という問いにも、「彼は政府の役人としてはたいへん、進歩的でした」と答えている。彼はかつての部下であった岸をかばったのだ。木戸は内大臣として、東條を首班に推薦し、またその総辞職後に小磯国昭内閣、鈴木貫太郎内閣を誕生させた中心人物でもあり、岸もこの時、木戸と行動を共にし、東條と袂を分かったことが幸いした。
さらに満州時代の先輩・星野直樹は終身刑に処せられたが、同じようなキャリアを歩んだ岸は幸運にもここから漏れた。
A級戦犯の「平和に対する罪」(訴因のほとんどは侵略戦争)は、真珠湾攻撃時の全閣僚にあると、マッカーサー直属の首席検察官で「鬼検事」と呼ばれたジョセフ・キーナンは考えていたが、検察活動を集約し全体的方針を決定する執行委員会の議長は、英国人コミンズ・カーであり、考えが違っていた。
それは「執行委員会は、《平和に対する罪》を主要な訴追理由として裁判を開始するにあたって、なるべく多様な類型の被告を選ぶ方針をとった。」(粟屋)からだ。岸は文官であり、同じ文官で唯一絞首刑となった広田弘毅元首相が、その役割を果たしてくれたのだ。
岸は、52年にサンフランシスコ講和条約が発効すると復権を果たし、55年に保守合同で誕生した自由民主党初代幹事長に、56年には石橋湛山内閣の外務大臣、そして57年には病気による退陣の石橋の内閣を引き継ぐ「居抜き内閣」で首相となる。60年の左右両陣営がぶつかり合う剣が峰で安保改定を果たし、暴漢にも襲われたが一命を取り留め、「昭和の妖怪」とも「巨魁」とも呼ばれた。
また、晋三の大叔父の佐藤栄作元首相は、沖縄返還を果たしてノーベル平和賞を受賞し、晋三が昨年8月24日に破るまでは不倒の首相最長連続在任記録(2798日)を持っていた。やはりこの強運とタフネスぶりには、選び抜かれた「岸・佐藤・安倍一族」のDNAを感じないわけにはいかない。
岸信夫の茂木外相とは異なる胆力
自民党初代幹事長の時以来の岸信介の悲願であり、党綱領にまで書かれた憲法改正への強い思いと、「一国平和主義的観念論をとらない」現実主義路線を誰よりも忠実に受け継いでいるのは、この偉大なる祖父のオーラを一心に感じ続けてきた晋三・信夫兄弟だ。
昨年11月24日、王毅中国外相は茂木外相と会談し、その直後の共同記者会見で、「一部の真相がわかっていない日本の漁船が絶え間なく釣魚島(魚釣島)の周辺水域に入っている事態が発生している。中国側としてはやむを得ず非常的な反応をしなければならない。我々の立場は明確で、引き続き自国の主権を守っていく。敏感な水域における事態を複雑化させる行動を(日本側は)避けるべきだ」と述べた。これ以上傲慢な物言いはないだろうレベルで、人の家の床の間に乗り込んで来て言ってのけたのだ。
このアウェイに乗り込んでの尊大さに、腰砕けになった茂木外相の体たらくはホームにいながら目を覆うばかりだ。「大人の対応」とばかりニヤニヤして何も言い返せないどころか「謝謝(シェイシェイ)」と言う始末。政治家としての瞬発力、胆力が全くない。これを外相に戴く日本国民は誠に不憫だ。
一方、同年12月14日、岸信夫防衛大臣は魏鳳和中国国防大臣とテレビ会議方式の会談に臨んだ。この会談で岸氏は「尖閣諸島は日本領土である」と毅然たる態度をとり、「中国公船が尖閣諸島周辺の領海に侵入を繰り返すなど力を背景とした一方的な現状変更の試みに対して、強い懸念を表明した」と自信の公式ツイッターでも述べている。
岸氏は日本の政治家には珍しい身長190㌢ほどもある堂々たる体躯で、温厚ながらきっぱりと物を言い、日華議員懇談会の幹事長も務める親台派だ。中国も嫌な奴が防衛大臣になったと感じているであろう。
気骨のリベラル 祖父・安倍寛
寛は終戦の翌年、51歳で心臓麻痺でなくなったため、晋三も信夫も直接会ったことがないのだが、父親の晋太郎からその偉大さは常々聞かされていたはずだ。
東京帝大卒の長身でダンディな寛は肺を患っていたが、安倍家は村一番の素封家でもあったため村人に懇願され村長と県会議員を兼職していた。衆議院議員時代も村長を兼務しており、厳正中立で物静かな重厚感のある人だったという。そして、農民救済と労働者の権利を訴えていた。それは当時の42年翼賛選挙の寛の選挙公約ビラ「立候補の御挨拶」を見るとよくわかる。(以下、青木理著『安倍三代』抜粋)
「借金と公課に喘ぐ農村……薄給に泣く俸給生活者……大資本に圧迫されてまさに没落せむとする中小商工業者等々……世相は陰惨を極めて居る状態であります。」「或ひは今期議会に於ける国民健康保険法案を巡る流会騒ぎの如きは、国民大衆の利益は少しも考へない、財閥特権階級の御先棒である事を如実に物語るものであります。」「私は時局を憂憤する余り、病身を顧みず最後の血の一滴を捧げて戦ふべく、敢て立候補を決意した次第であります。」このように至誠無私の烈々たる反政府の訴えである。
何か思い出さないだろうか。そう、最低賃金を毎年3%ずつ引き上げたり、保育士の給与2%引き上げや、返済不要の給付型奨学金の導入等々…いわゆるリベラル的政策を野党に代わり実現してきた安倍政権の政策だ。これは理念で突っ走って1年で瓦解した第1次安倍政権の教訓を学んだためでもあるが、元々安倍氏には祖父から受け継いだリベラル体質があったからではないだろうか。「リベラル」と言うと日本では左翼的なイメージもあるものの、もともと「リベラル」の原義は「気前良い、寛大な、偏見がない」で、祖父の寛共々、この原義に則った政策を実現しようとしたと考えれば自然に腑に落ちる。
この「気前良い、寛大な、偏見がない」という性質は、安倍氏が成蹊学園で小学校から大学までの16年間を過ごしたことにも求められるのではないか。例えば同様の性質を有している盟友の麻生太郎は学習院でやはり16年間を過ごしているが、この両校は旧制七年制高校の流れを汲む対校戦である「三大戦」(両校に成城大学を加えた三校対抗戦)を現在も行っている。この三校は一流企業への就職率が極めて高いことでも知られていることから遊び心があってガツガツしない人当たりの良さが受けていると考えられるであろう。
言い替えれば、安倍・麻生の二人は根っからのリベラルというより、良い意味でのノンポリ的な余裕派のお坊ちゃん体質と言う方がより適切だろう。歳は一回り以上も違うが、岸・佐藤家と吉田・麻生家は親戚でもあるため、この馬の合う二人でこの7年半を駆動してきたとも言える。
オーセンティック(真正)な系譜
下手に勉強して西洋政治思想などに被れていない方がいい。ミーハーの方が先祖や地元の先達の思想が歳と共にすっと入り込む。麻生太郎に至っては吉田茂の孫、大久保利通の玄孫という血筋だ。借り物や偽物ではないオーセンティック(真正)な系譜に繋がって行くところに彼らの凄味がある。
考えてみるとこの1957年2月の岸首相から始まり、佐藤首相、安倍首相に至る63年半の三分の一近く(20年9月で18年10カ月)をこの長州の一族の政権が占めていたことになる。だから過半数が世襲議員で占められる自民党内でも、このずば抜けた一族にはどうしてもオーラや言い知れぬ圧を感じてつい遠慮してしまうのだ。
父から受け継ぐ「晋」の字の覚悟
その父から受け継ぐ「晋」の字は、第二次長州征討で幕府軍を相手に活躍した奇兵隊初代総督・高杉晋作の「晋」でもある。27歳の若さで没した、維新回天の立役者の一人だ。
晋太郎は寛から受け継ぐ強い意志とは裏腹に、シャイであまり押しの強くないリベラル体質を持っていた。それが災いし党内抗争では勝てなかったのだろう。私もいつもニコニコしている晋太郎のイメージしか残っていない。
晋三も当然「晋」の字に覚悟を持っている。そこには病に倒れた父の無念さも引き継いでいる。憲法改正を達成するのが祖父・岸信介の悲願であることも良くわかっている。これからは自分の身を顧みることなく悲願に邁進するのではないか。その意味でも今回の小休止は良かった。
安倍氏も、歳と共に「晋」の字と長州・吉田イズムの「尊王攘夷」の重みを感じ取っているのではないだろうか。不肖私も、父親が乃木希典大将から付けてくれた「典」の字の重みを今頃になって噛みしめるようになった。60代も後半になると自分の命は大義に預けるくらいの覚悟ができるものだ。大政治家ならばなおのことだ。
有象無象のリーダーではダメ
国内の目先のニーズには答えられても世界が認めてくれない。安倍・岸兄弟以外はほとんどが無名だからだ。もう国際舞台で疎外感を感じパシリや雑巾掛けをさせられるような日本の首相であってはならない。
昨年の9月2日、3日に行われた第二次安倍政権の評価を問う朝日新聞の世論調査では、これまでの朝日新聞の執拗な安倍批判にもかかわらず、皮肉なことに71%の高率で安倍首相を評価していた。ちなみに第一次安倍政権終了直後の同社世論調査の評価は37%だった。
第二次安倍政権発足直後、靖国参拝をした安倍首相を痛烈批判していた中国も、米中対決に安倍頼みができず、今や三国志で有名な軍師・諸葛孔明に例え(環球時報)、最大級の評価をしていた。アメリカでもトランプ大統領は「歴代首相の中でナンバーワン」「最高の紳士」と絶賛した。ロシアのプーチン大統領、オーストラリアのモリソン首相、ドイツのメルケル首相、カナダのトリュドー首相らからも惜しみない感謝と賛辞が届いたのだ。
こんな日本の首相はもちろん過去にいない。これだけの賛辞を貰い、首相在任記録の百年ぶりや半世紀ぶりの記録を着実に塗り替えた安倍晋三元首相の「凄味」や「強み」は一体どこから来ているのだろう。一言でいえば、「誠実さ」ではないだろうか。高杉晋作の「晋」の字を受け継いだように、私は長州の侍の姿をそこに見る。昨年9月にはネット上に「高潔」「利他的」「無私」「本物のリーダー」という言葉が踊っていた。金権とは真逆の政治家だ。相手もそれで近づいたりはしない。こういう正の循環がある。
諸外国では首脳は病気でも権力にしがみつくのが通例だが、「国民のために最良の決断を下すことができなければ首相を辞する」という安倍首相の潔さが世界に伝わっている。それはそのまま尊王の思想、天皇を敬う「臣・晋三」という心持から生まれるものだろう。
私は同い歳(昭和29年生まれ)の飛びぬけて毛並みの良い、「成り上がり」とは対極にある、この国内外において「安定感」「安心感」「信頼感」を醸成し得た稀有な宰相の再々登板が近いと見ている。
いまだに安倍昭恵夫人にとやかく言う人はいるが、天然で奔放なアッキーがいてこその安倍ちゃんだ。人前で初めて手を繋いで飛行機のタラップを降りて見せた首相夫妻だ。森友学園問題で「私の妻が国会に証人喚問されるくらいなら、私は首相を辞める」とまで言い切った。安倍ちゃんの男らしい愛を感じたものだ。
持病(潰瘍性大腸炎)がある安倍ちゃんがこんなにも長持ちしているのはアッキーのおかげ。従来型のいかにもじっと我慢の体裁だけを繕う首相夫人では早晩ボロが出る。家に帰ると安倍ちゃんはアッキーの天真爛漫さに癒されているに違いない。安倍政権再復活を願うのならアッキーを責めてはいけない。
平和安全法制、モリカケ、サクラ、アッキー、コロナ禍、検察人事、河井前法務相夫妻逮捕…と幾つもの地雷原をスーパーマリオのように飛び越え潜り抜け、今に至るということは、国民も大局的に見て「安倍氏が日本の国益に一番適う」と心底思っているからだ。
安倍氏最大の功績は、平成から令和への御代替わりを見事成し遂げ、世界中に日本の政治大国としての存在感をアピールし、女性宮家や女系天皇論を阻止しているところにある。これが日本国の悠久の大義に最も貢献し、尊王を全うするという事に尽きるからだ。これに優るものはない。
経済政策に関しても財政政策への不満はあるが、アベノミクスの量的金融緩和政策と民間投資を喚起する成長戦略は間違っていない。
混迷を極めた米国大統領選も民主党のバイデン氏勝利で決着が着きつつあり、日本にとっては困難な4年間が訪れると予想される。そんな国外の敵が迫る受難の時代だからこそ、安倍氏の再再登場、そしてその補佐役としての実弟岸信夫氏の活躍に期待せざるを得ないのだ。
1954年、宮崎県日南市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、ニューヨーク市立大学バルーク校大学院にて公共経営学修士号取得。ニューヨーク市都市計画局勤務後、白鷗大学講師、千葉県市川市議会議員、英国国立ウェールズ大学経営大学院東京校教授、宮崎県日南市議会議員などを経て現在に至る。主な著書に『愛国者のための東京案内』(扶桑社)、『東京改都―時代は「ネオ中世」』(中公新書ラクレ)、『文明の法則』(祥伝社)。自ら作詞・作曲した100曲余りのオリジナルがあり、プロのジャズ歌手としても活躍中。