【橋本琴絵】イギリス式刑法の導入を――コロナ流入の主犯...

【橋本琴絵】イギリス式刑法の導入を――コロナ流入の主犯を罰せよ

ウイルス流入の責任は誰にあるか

 新型コロナウイルス感染症を発症した我が国最初の患者は、30代の中国人男性だった(産経新聞令和2年1月16日付)。その後もしばらくは感染者の国籍内訳が報道されていたが、ある時を境目に感染者の国籍は情報が隠ぺいされ、一切公表されなくなったことは記憶に新しい。

感染拡大から1年以上が経ったいま、改めて新型コロナウイルス発生源とは別に「日本国にウイルスを入れた責任」が誰に帰属するのか、といった議論をすべき時期ではないだろうか。そこで本論は刑事責任の在り方に関する歴史的背景の説明を以て、これからの日本にあるべき刑事司法についての論考を述べたく思う。

 いま日本が採用している刑法は、明治時代にドイツ第2帝国から輸入した刑法である。この刑法の特徴は、東ローマ帝国が制定した法律を準用し、責任の在り方を「犯罪の故意」に求めている点である(刑法第38条第1項)。

 これに対してイギリス刑法をはじめとする英米の刑法は、責任の在り方を「犯罪の結果」に求めている違いがある。では具体的に、この2つは何が違うのだろうか。

 たとえば、犬を散歩させている人がいたとする。犯人がこの犬を殺害する目的で投石し、間違って飼い主の顔面に当ててしまい、飼い主が死亡したケースを考えてみよう。イギリス刑法では投石と死亡の因果関係が明白であり、投石を正当化する理由(正当防衛など)もないことから殺人罪が成立する。

 しかしドイツ刑法を採用するいまの我が国では、殺人罪は成立しない。というのも、投石の目的は「犬の殺害」であるから、これは器物破損罪の故意を持っていたことになる。そして誤って飼い主に当てたため、これは器物破損罪未遂となる。しかし刑法に器物破損罪の未遂罪は無いため、裁くことはできない。我が国では「犯罪の故意(犯意)」に責任があると考えるため、犯意さえなければ(いくつかの過失罪はあるにしろ)殺人罪などの重大犯罪は成立しないのである。

 つまり、新型コロナウイルスで大量の死者と経済破壊の結果が生じたが、感染者の入国によって日本人の殺害を明確に意図していない限り責任は無いのである。

 言い換えれば「気づかなかった」とか「理解できなかった」といった類によって、重大な犯罪が生じたとしても罪に問えないのである。金属バットなどで殴って死亡させたとしても「死ぬとは思わなかった」と供述すれば、殺人罪が成立しない事案があるのはこのためだ。もちろん、この考え方にも主観説(本人の知能指数や認知能力に準拠して決める)と客観説(社会通念に準拠して決める)の争いはあるが、基本的には「故意ではなければ重大な結果が生じても責任は無い」のである。

「保守」ドイツ刑法と「革新」イギリス刑法

 なぜ、こうした法律論に英独はわかれたのだろうか。それには、社会背景の違いがある。

 ドイツ帝国はユンカーと呼ばれる農耕貴族が官僚や軍人となって、国家中枢の重職を占めていた。農村であれば、故意に放火や殺人をしない限り「うっかり」人を殺してしまったとしても、その被害の規模は小さい。農具を過って他人にあててしまい、あるいは牛馬が暴走しても「誰かのミスで大量の人命と財産が失われる甚大な損害」は発生しえない。家屋が燃えても隣家と距離があるため延焼も限定的だ。こうした社会構造は、「故意犯」のみを裁き、「うっかり」は裁かないルールと合致した。

 一方、イギリス帝国は早くから工業化しており、ワットの開発した蒸気機関によって炭鉱の地下水の排水をしていた。ここで誰かが炭鉱の排水システムを過って操作して壊してしまえば、坑内排水ができず坑夫が全員溺死し、かつ石炭採掘が出来ずその「負の連鎖」は甚大なものとなる。故意で人殺しをしても数名のみしか死亡しないのに対して、「うっかり」が大量殺人を引き起こしてしまう社会事情があった。

 これは、江戸時代の日本も同じである。木造家屋が密集する江戸において、誰かの「うっかり」で失火をしてしまえば、たちまち大火事となって大量の人命と莫大な財産が失われる。こうした社会事情から、「犯罪の故意」も「うっかり=未来予測能力の欠如」も等しく社会的脅威であると考えられたのが、イギリス刑法が定める「犯罪の結果を裁く」という責任論である。

 実は日本でも第二次世界大戦後、ドイツ刑法の支持者とイギリス刑法の支持者が論争を続けた。おもに最高裁判事はドイツ刑法の考え方を支持し、東大総長などのグループはイギリス刑法を支持した。ここから、「保守的」なのはドイツ刑法支持であり、「革新的」なのはイギリス刑法支持であると一般に考えられるようになった。

 しかし、「保守」という言葉の定義を正しく扱うのであれば、歴史的経験則に蓄積された情報を逃すことなく社会体制に反映させる考え方をいうのであり、この点から法律論の保守革新を論じるのであれば、私はイギリス刑法こそ保守的であり、ドイツ刑法は経験を超越した理性が正義を実現するという前提に立脚していることから、保守的ではないと考えている。

国益に資する刑法を

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日本の法律・司法は本当に国益に資するのか?
 さて、話を冒頭で紹介した新型コロナウイルス感染症患者を「日本に入れた責任」について戻したく思う。ドイツ式に考えるならば、「わざとしたわけではない」とか「まさかここまで大ごとになるとは予測できなかった」とか「ちょっとした風邪くらいに思っていた」といった理屈で予見可能性が無かったといえば責任を問うことは出来ない。しかし、イギリス式で考えるならば、「なぜ感染者の入国制限をしなかった?」とか「なぜ安倍元総理が入国制限していたのに解除した?」といった視点で責任の所在が論じられて然るべきなのである。何故ならば、「ウイルスによる人命の損出」と「ウイルスによる経済的打撃」という「結果」が現実として存在するからである。

 この現実に対して、「犯人を捜すよりみんなが団結していこう」といったように曖昧にして前に進む選択も可能であるが、責任の所在を明確にしておかなければ、必ず同じ過ちを再び犯す。経験に学ぶことを放棄しているからである。

 もはや、日本はかつての農耕社会ではない。誰かの「うっかり」で大量に人が死ぬこともある高度に複雑化した社会へ進歩したのである。この中で、旧来のドイツ式刑法を今後も採用することが日本の国益に資するのか、それともイギリス式刑法を新しく取り入れて、「コロナ騒動の国内犯」(それは中国に強い親和性を持つことで中国から初期感染者の入国を認め、入国規制論を排除した政治権力者である)を特定することが日本の国益に資するのか。

 国民が議論すべき時局である。
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橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。

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この記事へのコメント

ライナス 2021/2/28 11:02

橋本氏は下記のような根拠の無いレイシスト的なデマをツイッターで垂れ流し続けている人物です。基本的にこのような立ち位置にいることを踏まえて、このような記事も読む必要があります。読者は冷静に判断しましょう。

橋本琴絵
@HashimotoKotoe
東京都の重症病床使用率を下方修正した誤報のメディアより、病床にいる人の国籍を明らかにして下さい。

日本人感染者は1人も確認されていないでしょう。
午前8:16 · 2021年2月28日·Twitter for iPhone
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