リニア~40年の夢と努力
その間、国鉄が分割・民営化され、リニア計画は経済状況に翻弄され続け、実現しないままに時が過ぎた。それでも、JRは安全性を徹底的に高めることに腐心し続け、リニアの夢をあきらめなかった。JR東海の葛西敬之名誉会長のリーダーシップもあり、総額9兆円を超えるプロジェクトは少しずつ前進して、東京・名古屋間の2027年開業にこぎつけた。
2027年。リニアが宮崎県の実験場で時速500kmを突破してから、半世紀近くもの歳月がかかったことになる。リニアは日本の技術者たちが若い技術者たちにつないできた夢でもある。JR東海はリニアを政治の具にされないように独力での敷設にこだわり、いくつもの障害を乗り越え、ようやく光明が差したところだった。
だが、思いもよらぬところでリニア開業の道が閉ざされたことになる。トンネル工事による大井川の減水を理由に静岡県が待ったをかけ、7月10日に静岡県庁でおこなわれた川勝平太静岡県知事と国土交通省の藤田耕三事務次官の話し合いでも、川勝知事は準備工事の着工を認めず、2027年の開業は絶望的になった。
環境運動家のような知事
静岡県は山岳部を11km通過する。そのうち静岡工区のトンネル工事は約8.9kmであるが、未着工の状態が続いている。2017年に県の仲介によって合意をして協定文書を作成する寸前で、川勝知事が反対に転じたからである。この工区は大井川の源流部にあたり、地下深くにトンネルを掘ると大井川の水量が減り環境が悪化しかねないという理由だった。
川勝知事はもともと国土審議会の委員としてリニア推進派だった。そのため、この反対は県に見返りを求めるものだと考えられていた。
実際、川勝知事は2019年6月に、静岡県にリニア駅がないことから、「(新駅の建設費用)全体の平均ぐらいは、(県への支援金の)額(約800億円とも)の目安になる」「それが無理であれば、新幹線空港駅の新設や、のぞみの静岡駅や浜松駅の停車を求める」と述べた。
また、川勝知事は「(減水する毎秒2トンの水量は)静岡県民62万人の命の水である」「(トンネル湧水を)一滴たりとも失うことがあってはならない」と訴えているが、この「毎秒2トン」はJR東海が「覆工コンクリート等がない条件で」と出した数値である。あくまで最大値であることに留意すべきである。川勝知事はわざわざ最大値を連呼して、必要以上にトンネル工事のリスクを煽り立てている。JR東海はトンネルから出た涌水はすべて大井川に戻すと約束しており、「一滴たりとも」という過激な運動家のような表現は、元リニア推進派だったことを考えると、あまりの豹変ぶりだ。まるで「辺野古の珊瑚は1本も折らせない」などと言いながら、中国便などを増やすための那覇空港の拡張工事を推進して、那覇沖の珊瑚礁が破壊されることに何も言わなかった沖縄県前知事を彷彿させる。
この件については、サイエンスライター河崎貴一氏が興味深い指摘をしている(ITmedia ビジネスオンライン2019年1月10日)。
静岡県は、大井川上流にある東京電力の田代ダムから毎秒4.99トンの水を、導水路トンネルで大井川流域ではない山梨県側の発電所に送り、富士川に放流させているという。この施策自体は川勝知事以前のことなので直接は関係ないが、川勝知事がトンネル工事で失われる最大2トンの、約2.5倍の水がなくなっていることは放置したままに、「静岡県民62万人の命の水」を繰り返すことに違和感を持たざるをえない。
日経新聞電子版(2020年7月21日)によれば、川勝知事は2019年9月の静岡県吉田町住民との意見交換会で、「リニアには賛成だが、南アルプスは守らなければならないので、両立させるには遠回りする以外ない。あまり大きな声で言うと駄目なので、ここだけということで」と発言している。ルート変更の要求は一度撤回しているはずだが、これが事実なら、最初から撤回するつもりなどないままにあたかも県民のために見せかけた条件闘争(上述)をしていたことになる。
川勝知事はリニア敷設を認める代わりに県民のために利益を引き出そうとしていたのではなく、最初から交渉を攪乱できるだけ攪乱して、最終的には「静岡県を通らせるつもりなどない」と言って、開業時期を大幅に遅延、あるいは頓挫させるつもりだったのではないか。
実際、川勝知事は7月10日の国交省次官との話し合いでルート変更を要求して、2027年開業を遅らせるのにみごとに成功した。
浙江省のリニア計画
浙江省政府は、2020年4月に衝撃的な発表をしている。
上海市から杭州市を経由して寧波市と結ぶリニア建設を総額3兆6千億元(56兆円)を投じて進め、2035年の開業を目指すというのだ。これが実現すれば東京・名古屋間開業とはわずか数年差しかなくなり、川勝知事しだいでこの差もどこまで縮まるかわからない。
2002年から 2007年まで浙江省の中国共産党委員会書記をつとめたのが、国家主席の習近平氏である。前知事である石川嘉延氏は、友好都市20周年の2002年に800人、25周年の2007年には1,400人もの訪問団を率いて訪中して、知事として習氏と会談している。
川勝知事は2010年に訪中して、石川前知事の先導で習氏(当時は国家副主席)と会談を実現させている。川勝知事は石川知事時代にブレーンをつとめていたこともあり、ともに大の親中派だと言っていいだろう。
その後、川勝知事は浙江省との関係をさらに深めて、静岡の特産物を中国で作る計画や、大量の中国人観光客を受け入れる宿泊施設の建設計画などを提案。2013年に習主席から「中国友好交流提携賞」を授与されている。
川勝知事と中国との関係で気になるのは、早稲田大学の教え子である松島泰勝氏(龍谷大学教授)に、県庁幹部に対して沖縄独立に関する講演を依頼していることである。松島氏は琉球民族独立総合研究学会を設立して、「琉球独立論」をリードする人物である(Wikipediaによれば、その一方で台湾独立には消極的な立場だという)。
2019年11月に王毅外交部長が来日した際には、わざわざ静岡に立ち寄り、川勝知事と会談している。川勝知事は習主席の国賓来日にも触れて、習主席の静岡訪問を要請している。また、習主席が提唱する「一帯一路」を評価して、積極的に参加するとも述べている。
「日本の夢」ともいうべきリニア計画を翻弄する一方で、中国のインフラ投資戦略には前のめりの川勝知事は、いったいどこを向いて県政を進めているのか。
県職員自殺者41人の怪
上記のように、川勝知事は幹部に「琉球独立論」を理解することを強いる人物である。個人としてどんな思想を持っていようと自由だが、それを職員に強要する権限などないはずだ。県職員にも思想の自由がある。
県庁の仕事は住民サービスである。県知事の仕事は県庁トップとして県民の生活と命を守ることだ。県職員も県民であり、県知事の仕事には県職員の生活や命を守ることも含まれる。自分の代にこれほどの自殺者が出ていることに、自責や悔恨の念はないのか。
リニア建設の目的は東京と名古屋・大阪を短時間で結ぶことだけではない。日本の安全技術を世界に知らしめて、リニアを日本の安全技術とともに輸出することにある。
テスラCEOのイーロン・マスク氏がサンフランシスコとロサンゼルス間に夢の高速鉄道ハイパーループを構想したように、大都市間を短時間で結ぶ高速鉄道の需要は膨大であり、もし開業が遅れて中国に先行されたら、そこで失われる国富がどれくらいになるのか想像ができない。
川勝知事が本当に県民のことを思うなら、大井川の水量をなるべく減らさない努力を求めて、JR東海から引き出せる利益を引き出すことだ。このままリニア敷設を邪魔するだけに終始すれば、川勝平太氏の名前は「リニア建設を邪魔して国益を損ねた人物」として長く記憶されることになりかねないのではないか。知事である前に1人の日本人として、本当にそれでいいのか。
現在、日本では地方分権の声が大きくなっている。だが地方分権がこのまま進み、その地方が積極的に中国の「静かな侵略」に侵されたとき、私たちは打てる手などあるのか。そうでなくとも、中国の静かな侵略はすでにいくつもの地域で進んでいる。
国際政治評論家・翻訳家。幅広いフィールドで活躍し、海外メディアや論文などの情報を駆使した国際情勢の分析に定評がある。月刊『WiLL』にて「Non-Fake News」を連載するとともに、インターネットテレビ『WiLL増刊号』でレギュラーコメンテーターを務める。
また、foomii配信のメルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評を博している。
著書に『議論の掟 議論が苦手な日本人のために』(ワック)、訳書に『クリエイティブ・シンキング入門』。