兵頭新児:子どもをLGBTに導く"ヘンな"大人たち

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言論の自由を弾圧するLGBT

 『ハリー・ポッター』の原作者として有名なJ.K.ローリング氏が、トランスジェンダーの人権活動家たちから住所や電話番号を公表され、殺害予告を受けるという被害に遭っています(参考記事)。

 一体、ではローリング氏は何をやらかしたのでしょう。女性向けサイト「FRONTROW」の記事を覗いてみると、これがどうにも首をひねらざるを得ないようなもの。

 いくつか炎上案件はあるのですが、第一に「生理用品を入手するのが困難な人々をサポートすべき」との記事をツイッターでシェアすると共に、記事がサポート対象を「女性」と呼称することを避け、(トランスジェンダーへの配慮で)「月経がある人々」と呼称していることを揶揄し、「“月経がある人”ね。以前はこの人たちを表す言葉があったと思うんだけど。なんだったっけ、誰か教えてくれない?ウンベン?ウィンパンド?それとも、ウーマッド?」と発言したこと。

 二つ目はトランスがホルモン剤を打つことに対し、「最終手段であるべき」としたツイートに「いいね」をした疑惑。お断りしておきますが、「ホルモン治療などするな」との内容ではなくあくまで「慎重であるべき」との考えであり、ましてや本人の発言ではなく、「いいね」をしたというだけの話です。しかもこの「疑惑」は冤罪であったとのオチがついているのですが、胸を撫で下ろす暇もなく、更に三つ目の案件が控えています。

 これはローリング氏自身が、性別移行のためのホルモン治療や手術が安易になされすぎているのではないか、と憂慮するツイートをしたという件です。基本的にはぼくがお伝えしたことと近い内容ですが、この記事は全面的にトランス側に擁護的、ローリング氏は悪者扱いです。
兵頭新児:子どもをLGBTに導く"ヘンな"大人たち

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「差別」したとして炎上中のJ.K.ローリング氏
 そして――実のところこの「FRONTROW」の記事は去年のものなのですが――『ハリー・ポッター』の20周年を記念した特番にも不参加となるなど、どうにも不可解なローリング氏の「キャンセル」が続き、ついには先の騒動に発展したというわけです。

 記事を読んでいると過激な活動家たちがシンボリックな悪者を作り上げ、狙い撃ちにしている様子に戦慄しますし、勘繰ることを許されるならば、それは自分たちの中にあるルサンチマンを晴らしたいという情念にこそ支えられているように思われます。

 それにしても左派の人たちはどうしてこう、「敵」の個人情報を暴露することがお好きなのでしょうね。ぼくもフェミニストや左派寄りの御仁に「お前の住所と電話番号を掴んでいるぞ」と恫喝されたり、個人情報をネット上で暴露されたりといった経験があります(いずれも作家や大学教授など、地位を持っている方々なのですが)。

無関係な文化をLGBTに結び付ける人たち

 さて、そんなわけでここしばらく「トランスブーム」についてお伝えしています。

 前々回記事では海外でセレブたちが、下手をするとまだ3、4歳くらいの幼い子供を「トランス」として育てている。しかしそれは子供を「最先端の存在」というアクセサリーにする行為ではないか、といった話題をご紹介しました。

 また、その「トランス」が思春期の子供であっても事情は似たようなものだ、といったこともお話しました。というのも、ローリング氏が懸念するとおり、「LGBTの若者への勧誘行為」とでも呼ぶべきことがSNSやマスコミ、教育機関、NGOなどによって広範に行われているからなのです。
 前回記事では二代目スーパーマンがバイセクシャルになったという話題を採り挙げました。昨今、コンテンツの制作者がやたらとLGBTに配慮する傾向にあるが、それはいいことなのだろうか……といった疑問も述べさせていただきました。考えてみれば有名どころを一種のアイコンに仕立て上げるやり方自体が、上のローリング氏の件を逆転させたものとも言えますね。

 また、日本ではBLなど一見、「LGBTフレンドリー」に思える文化が盛んであり、これをポリコレに適う好ましい傾向としたがる人もいますが、そのクリエイター、愛好者共に(多くはヘテロセクシャルの)女性であり、これは一過性の疑似同性愛の、さらに軽いバージョンではないか、どう考えても本当のLGBTとは何ら関係がない、といったこともお話ししました。
 ところでこの二つのトピックスは、実のところ密接につながっているのです。

 BLとは言うまでもなく「ボーイズラブ」の略称であり、オタク女子がクリエイトし、オタク女子によって愛好される美少年同士の恋愛やセックスを描く漫画や小説、その他もろもろのコンテンツを指します。

 BLを好むオタク女子は「腐女子」と呼ばれるのですが、これは「腐った女」という、自分の女性ジェンダーへの屈折の見て取れる諧謔的な自称であり、中でも高齢の女性は「貴腐人」と呼ばれたりもします。ところが、この貴腐人の中には世代的にフェミニズムに傾倒している方も多いのです(と、こうしてくどくどと書いてきたことについてご存じの方は、或いはこれからぼくが申し上げようとしていることも、既におわかりになったかも知れません)。

 ある程度でも腐女子と関わりを持った方は、よくご存じなのではないでしょうか。例えばですが腐女子のツイッターのプロフィールなどを見ると「精神的には男」と書かれている、会ってみると一人称が「俺」であるなど、本当によく見聞する「あるある」です。また、レズのケがある腐女子が多い……などといった話もよく見聞します。
兵頭新児:子どもをLGBTに導く"ヘンな"大人たち

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BL作品に「男性役」「女性役」があること自体、疑似同性愛と言えるのではないか
 では、となると、腐女子とは男性的な性格の者が多いのかとなると、これは当人は大いにそう自称するのですが、実際には……ということが大変に多い。

 BLには「攻め/受け」という概念が存在します。男性カップルの能動的な者、男性性を発揮する者が「攻め」であり、受動的な者、女性性を発揮する者が「受け」です。その意味でこの「受け」は「疑似女性」といえ、BL自体が「美少年に女性ジェンダーを演じさせている表現」といえましょう。レディースコミックのヒロインを美少年化したもの、と考えていいわけです。

 腐女子当人は「私は攻めキャラに自己を投影しているのだ」と称する傾向にあるのですが、端から見ていると、どうもそうとは思われません。

 例えば、BLの人気のあるジャンルの一つに「総受け」というものがあります。「A君総受け」という時、A君というキャラクターが周囲の多くの男性たちから愛される作品を表します。しかしその逆の「総攻め」という言葉はあまり聞きません。Google検索してみたところ、前者が1210,000件ヒットしたのに対し、121,000件。十分の一しかニーズがないわけです。

 これは腐女子が「攻め」に感情移入しているとは考えにくいことを、表しています。

 結局、BLは基本、彼女ら自身が女性ジェンダーに憧れや羨望を抱きつつ、同時に畏れや屈折をも抱えているが故の、性から一歩退きつつ、楽しみたいというニーズに対応したコンテンツであると言えます。
 上野千鶴子氏は『風と木の詩』(少年愛をテーマにした少女漫画の金字塔)を「ジェンダーレスワールドの思考実験」などと評しましたが、大変残念なことに、BLそのものがヘテロセクシャルのジェンダー規範をトレースしたものでしかなかったのです。

 もちろん、それが悪いことなのでは全くありません。重要なのは、BL文化が本来のLGBTとなんら関係がないし、腐女子の中で真性のLGBTである人たちは極めて少数派であると考えざるを得ない、という点です。

 つまり、「腐女子」はまさに「一過性の性別違和」を抱きがちな、思春期の少女のごく普通の心性を体現した存在であり、しかしながらそんな彼女らは「若いLGBTの仲間を増やしたい」と考える人たちに「誤射」されやすい存在ではないか、と思われるのです。

子どもをLGBTに誘導

 前々回、遠藤まめた氏という人物を紹介しました。自身もトランスジェンダー男性で、LGBTの子供や若者を支援している人物であり、同氏の著作には「レズビアン中学生」や「トランスジェンダー中学生」、「ノンバイナリー女子中学生」などなど、多くの「LGBT少女(トランスを自称するのは多くは生物学的性別は女性)」が登場します。しかしそんな少女たちが真性のLGBTか、或いは思春期にありがちな一過性の性別違和かといった点について、同氏はあまりにも無思慮ではないか、そしてそれはご当人の中にある、「仲間が欲しい」という(それ自体は自然な)感情に引っ張られたものであり、そのために軽率な判断をしているのではないか……といったことも、お話ししました。

 何しろ同氏の著作『ひとりひとりの「性」を大切にする社会へ』には、以下のようにあります。

 私がやっている、LGBTかもしれない小さい子どものグループ「にじっこ」に4歳やら5歳で参加してくるのは、きまってトランスガールばかりである。(113p)

 他にも同書には『おっさんズラブ』ファンの女子中学生が登場し、

 そんな彼女の様子を見ると、腕組みをしながらLGBTの研修をうけている教職員たちよりも、ずっと彼女のほうがナチュラルなアライになるんじゃないかと思う。(33p)

 などと評する箇所もあるのですが、ぼくにはその子どもたちが「ちょっとおてんばな女の子」、「BLに興味を持ち始めた腐女子」に過ぎないのに、周りが必死になってLGBTの仲間に引き入れようとしている光景にしか、見えません(ちなみに「アライ」とはLGBTの理解者、支援者との意味です)。
兵頭新児:子どもをLGBTに導く"ヘンな"大人たち

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子どもがその成長過程で自らの性別に違和感を持つこと自体は何らおかしな話ではなく、早急な結論づけこそが危険だ。
 前々回、ぼくは幼い子供を「トランス」だと誇るセレブ様たちは「トンデモ育児」をやっているのではないか、とお話ししました。オカルトの世界ではトンデモ育児にハマり、「我が子はUFOに乗り、宇宙人からの教えを受けているエリートだ」などと信じる母親もいるのですが、幼い我が子をトランスとして育てている人たちも、それと変わらないのではないかと。

 同様に、腐女子たちが「私は精神的に男だ」と自称する傾向も、実はこうした「オカルト」に近いと、ぼくには思われるのです。

 クラスの目立たない子供が「霊感がある」「超能力がある」などと自称することで「キャラづけ」し、目立とうとする……といった話は、よく聞くことではないでしょうか。評論家の大塚英志氏は『システムと儀式』の265pにおいて、少女漫画家は「印象として三人に一人」は霊的能力があると自称していると述べています。同書は1992年刊ですが、ちょうど同じ頃、少女たちの間で「私は前世、お姫さまだった」といった「信仰」が流行したことも、近しい現象のように思われます。

 一昔前、ナイーブな少女たちは「霊を視る」能力を発露することで自分を表現していたが、ジェンダーといった言葉が人口に膾炙するにつれ、「一般的な女性ジェンダーから逸脱した存在」と自己規定することで自らを「キャラづけ」するようになった。そうしたことなのでしょう。

LGBT仲間を増やしたいがための勝手理論

 前回、「BL(ないしオタクコンテンツ)はLGBTフレンドリー」といった主張への疑問を述べさせていただきましたが、こうしてみるとそんな考えは、やはり「LGBTへの誘導」に近いのではないでしょうか。女性ジェンダーに屈折を持つが故の軽度の「性別違和」が「ホンモノのLGBT」に直結するものであるかのように語り、それが誇らしいことででもあるかのように称揚するのですから。それは「さあ、あなたもLGBTになりましょう」という露骨なモノではなくとも、「思春期の少女を自分の政治に利用しようとする」の意図を、どこかに感じざるを得ないのです。

 先のUFOカルトは近く宇宙人が地球人の前に姿を現し、地球の文明は全て刷新されると信じるものでした。だからこそ信者の子供はその新時代に先んじて宇宙人の薫陶を受けているエリートだとして、信者の虚栄心をくすぐるところに本質があったのです。いわゆるカーゴ・カルト、「遠来の超越者が我々に恵みを与えてくれる」という信仰ですね。彼女らは現世に何らかの不満、ルサンチマンを抱き、しかしUFOの到来でそれがリセットされ、自分たちこそが逆転できる社会になる……といった夢を見ているわけです。実のところ、世の中にはUFOカルトというものが数多くあり、このモチーフはそのいずれもが共有している、ある種普遍的なものといえます。
子どもをLGBTに導く"ヘンな"大人たち

子どもをLGBTに導く"ヘンな"大人たち

LGBT信仰は「宇宙人」信仰に近い??
 「LGBT信仰」もまた、これと似ているのではないでしょうか。

 いえ、それを言えばフェミニズムもそもそも、そうしたものでした。男女雇用機会均等法施行直後のバブル期には「フェミバブル」もあったとお伝えしたことがありますが、これも「フェミニスト推し」の男性たちにとっては「女性というマレビトが会社社会に恵みをもたらす」というカーゴ・カルトでした。

 LGBTは女性というマレビトに新味がなくなったがために持ち出された「新ネタ」だと言えます。障害者運動にも同じ側面があるとご紹介したこともありますし、そもそも「マイノリティに寄り添う」と称する左派的な運動には最初から、そうした性格が備わっているのです。

 しかし、マイノリティを差別することが悪なのは自明としても、ことさらに「アライ」ぶってみせることにはどこか現世への憎悪、そして自分はそれをリセットしてくれる宇宙人に選ばれた人間だ、との虚栄心がつきまとっています。

 ぼくたちはそんな軽率さを自戒して冷静に「宇宙人」の姿を見据えるべきではないでしょうか。

 「宇宙人」は「悪者」でもないけれども、何かを恵んでくれる「神様」でもありませんでした。いえ、今まで見てきたLGBTや障害者の姿で明らかになったのではないでしょうか。彼ら彼女らは別に宇宙人のような超越者ではなく、ぼくたちと同じような感情を持ったただの「人間」であったと。だからこそぼくたちのニーズとはバッティングすることもある。その結果が、ディトランジション(一度した性転換を止め、元の性に戻ること)をした少女であり、トランスと一般的な女性との間に起こる女子トイレについてのいさかいであり、『ハリ・ポタ』作者の殺害予告騒動です。

 ぼくたちは大慌てでUFOに乗りたがるような軽率さを捨て、じっくりと地に足をつけて「宇宙人」とのつきあい方を考えてみるべきなのではないでしょうか。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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