が、やはり旬の話題なのか、前回記事を脱稿した直後、「現代ビジネス」にトイアンナ氏による同種の記事が掲載されたのです。そんなわけで、今回は急遽、それについて語らせていただくことにしました。
さて、今までご紹介してきた記事においても、例えばベンジャミン・クリッツァー氏のものでは女性の幸福度が男性よりも高いこと、また女性には上昇婚志向(自分よりも経済力のある男性との結婚を望む傾向)があること、「男性学」と称するものが男のつらさを採り挙げようとしないことなどが指摘されていました。前回の寄稿で紹介した杉田俊介氏の記事も少なくとも一見すると「弱者男性」に寄り添うかのようなポーズが取られていました。
ここまで男性のつらさを認めた記事が続いたことは、ある意味では進歩です。数年前まではとにもかくにも左派やフェミニズム側の言い分は、「女性の管理職や政治家は少ない、だから男性優位だ!」と相手の主張を圧殺するような調子のものばかりでしたから(例えば2019年に出た『現代思想 男性学の現在』など)。
しかしこれら記事はそこまで「弱者男性」側の言い分を認めておきながら、最後には「フェミニズムに逆らうな」とだけ言って終わってしまい、羊頭狗肉としか評しようがないものでした。
さて、それでは今回ご紹介するトイアンナ氏の記事はどうなのか、見ていきたいと思います。
「弱者」を等しく助けよ、のきれいごと
そんなわけでうんうんと頷きながら読み進めると――トイアンナ氏は弱者男性のつらさを「男らしさの規範」に求め出すのです。そこでは石川洋明氏の研究から引用し、「男らしさ」を項目化したものが挙げられます。
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・男は経済力や忍耐力をもつべきだと思う
・男は仕事ができないとメンツにかかわると思う
・定職についていない男性は一人前でない
・仕事の出来ない男は女よりも肩身が狭い
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こうした「男らしさ」に欠けた男たちは男性からも女性からも馬鹿にされ、生きていくのがつらいわけです。
まさにその通り。ではそのような思いを持つ弱者男性が救われるにはどのようにすればいいのでしょうか。
≪これらの規範をひとつずつ見直し、男女ともに「男らしさ、女らしさ」から解放していくべきなのである。≫
あ…はい…。
≪そして弱者は男であれ女であれ、あるいはその他の性別であれ、等しく手を差し伸べられてよい。≫
大変に美しい文言ですが、正直、何周も何周も周回遅れな意見だなあとの感想を持ちました。
先にも述べた「男性学」がまさにそれで、90年代の前半、こうした言説が少しだけ流行ったのです。しかしこれはジェンダーフリーそのものであり、「男/女らしさ」を捨て去ればその苦悩から脱することができるという、リクツは正しくとも「どうすればジェンダーを捨てられるのか」「そうなった暁には恋愛、結婚を初めとしてあらゆる文化が今とは異なった形態になるはずだが、果たしてどんな状態になるのか」といった具体論が全く語られない空論です。
人生の「辛い」部分の担い手がいなくなる
そして「弱者男性」が幸福になれていない理由は、言うまでもなく、例えばキャリアウーマンになることで経済的に自立を果たした女性が主夫を養う――といったことがレアケースなままで、女性が上昇婚への願望、即ち女性ジェンダーを捨てなかったからこそなのです。既に「弱者男性」の存在自体がフェミニズムの世界観を否定しているわけです。
フェミニズムは「(規範的な)男性ジェンダー」を男性が享受するメリットであり、だからこそ悪だと見なし、散々それを女性側へと譲渡させ、または枷をはめ続けてきた。
しかしメリットの裏側にに含まれる苦役をこなしたり責を負ったりする役割を、一向に担おうとしなかった。それは男性の生命や精神、肉体を著しく蝕んでいるものであり、女性がそれを嬉々として受け容れるとは考えにくいわけです。
その点を考慮せず、「みんなでジェンダーフリーを推進しよう」では、例えは極端ですが、人を殴り殺した者が「もう一度殴ったらショックで意識を取り戻すぞ」と言っているようなものであり、「手遅れじゃね?」「それが死因じゃね?」とツッコミを入れるのも疲れます。
「連帯できるフェミニズム」は革命だった!?
≪しかし、今トレンドになっている主な流派は「99%の人が連帯できるフェミニズム」であり、男性を敵視しない。≫
え…?
マジか⁉ と思いつつ、先を読み進めると、『99%のためのフェミニズム宣言』という本から引用されます。
≪「私たちに従順であること、服従すること、沈黙することを要求する家父長制と資本主義の協力体制に抵抗し、闘いを挑む、現状のシステムの革命を呼びかける」≫
いや…これって共産主義者以外の99%の男女を敵視ししてるんじゃ…?
そして、彼女はこう結論するのです。
≪その他さまざまな主張はあれど、男性へ男らしさを強いる側に、フェミニストはいないのだ。≫
確かに、フェミニストが男性に「男らしさを強いる」ことは思想上、ないでしょう。
そもそもフェミニズムは男性の全てを憎む思想なのですから。
しかしフェミニストには大学の教授など高い地位に就いている人が多いはずですが、その中で主夫を養っている人がどれだけいるでしょうか。ほとんどいないはずです。
当たり前です、そもそもフェミニズムは結婚そのものを否定する思想なのですから。
つまりフェミニズムは確かに、男性に「男らしさを捨てよ」と言ってきた。しかし捨てさせた後に、男性のメリットとされる部分の裏側にあった責任を一切負わなかった、ただそれだけのことなのです。
彼女は弱者男性に対する「女を得られないなら男同士でセックスしてろ!」といった発言をこそ許されざる差別だとしていますが、結婚を否定し、異性愛も「強制的異性愛」といった言葉で否定するフェミニズムにこそ、そうした発言と親和性があるわけです。そこを先のように言うのは彼女がフェミニズムを知らないか、フェミを延命させるために嘘をついているかのどちらかでしょう。
結局、やはりフェミニズムとは99%とは言わないまでも、人類のかなり多くの割合の人々に共感され得ないものなのです。
「弱者男性」を攻撃するのはフェミニストではない、という主張
≪最近ネットで掲載(いずれもはてな匿名ダイアリー)された、弱者男性への意見を見てみよう。≫
≪・弱者男性は弱者男性同士でセックスすればいい
・弱者男性の安楽死を合法化しよう
・正直弱者男性のことなんかどうでもいいし、死ねばいい
言語道断の差別である。≫
といった具合に「弱者男性」に対する差別に憤ってみせ、「フェミニストの一部」にも男性を攻撃する層がいることを認めてはいるのですが、
≪学術的に”男嫌い”は「ミサンドリスト」として、フェミニストとは違うグループに属するのだが、日本では少なくとも彼女らもフェミニストと名乗っている。≫
と、そうした人たちを「自称フェミニスト」であり偽者である、と言うのです。
そもそもフェミニストはミサンドリストそのものであり、それは大学の教員などの「プロのフェミニスト」においても変わらないということは、今までのぼくの記事を読んでくださった方は既にご承知でしょう。そこを、彼女は「悪質なフェミニストはあくまでネットで匿名で発言する自称フェミニストだけだ」と苦しい言い訳をしているのです。
フェミニストと「ツイフェミ」の関係
今まで「弱者男性」をクローズアップしてきましたが、ネット上でのフェミニストの悪評の一番の原因はこの8年ほど、「萌えキャラ」をバッシングしようとしてきたことにありましょう。
詳述する余裕はありませんが、フェミニストたちが美少女キャラを「女性差別だ」と言い立て、キャンセルさせようとするといった傾向がずっと続いており、その度にネットではフェミニストとオタクのバトルが繰り広げられているのです。
ただ、ややこしいのはオタクの中でも先頭に立って「表現の自由を守る」と称する人たちは多くが左派であり、フェミニストたちとは大昔から、ズブズブの関係にあります(CMや街頭ポスターを廃止に追い込んだ悪名高い「行動する女たちの会」とも友好関係にありました)。
そうした人たち――ぼくは「表現の自由クラスタ」と呼んでいるのですが――はツイッター上で騒ぐフェミニストたちを「ツイフェミ」と呼称し、「偽物だ」と強弁し続けてきました。もちろん、「ツイッター上のフェミ」のみならずフェミニストはほぼ100%、性的な表現を否定し、それは(ちょっとおっぱいが大きいといったレベルの)萌えキャラなどにも及んでいるわけなのですが、彼らはそうした二枚舌を使い続けてきました。
つまり、彼女の理論は既に8年間使い古され、さすがにもう正体がバレつつあるものなのです。
「ツイフェミ」をスケープゴートに
しかし彼女は
≪そして、「弱者男性を救うには、皆婚主義へ戻ったほうがよい」といった女性の人権に真っ向から対立する提案がなされてしまう事態まで起きている。これでは、家父長制をさらに強化し、「男らしさ」の呪縛へますます男性を絡め取らせてしまう。≫
などと言うばかり。女性が男性へと「男らしさの呪縛」を求め続けるから(いえ、結局そこをリセットできるのだというジェンダーフリーこそが空論だったから)、こうなっているという点については、全く目が入っている様子がありません。
ちなみに、この「皆婚主義へ戻ったほうがよい」の部分からはアンチフェミとして有名な小山晃弘氏のnote記事にリンクが張られています。が、小山氏の記事をよく読んでみると「少子化を食い止めるため、女性の社会進出そのものを制限すべき」「専業主婦は家族に不可欠」といった議論を(別に自分の意見としてではなくそうした意見があると)採り挙げているだけで、「皆婚主義に戻せ」などといったことは書かれていません。また、「皆婚」論を述べる者(が、仮にいたとして)も、別に嫌がる者を引っ張り出して結婚させよとまで言っているわけではないでしょう。
フェミニストのトイアンナ氏にしてみれば結婚が憎くてならないのでしょうが、そもそも非婚化が進んでいるのは若年層の(男性の)貧困が原因であり、若い人たちの結婚願望が衰えているわけではなく、ここでも99%(とまで言わなくとも大勢)の人たちと敵対的なのはフェミニズムの方なのです。
結局、この主張自体が前回お伝えした「女をあてがえ」論と同様の、弱者男性論者への冤罪でしかありません。
彼女自身も弱者男性をバッシングしているのは(フェミニストではなく実は)「弱者女性だ」としていますし、坂爪真吾『「許せない」がやめられない』――これもまた、今まで採り挙げた記事と同種の、フェミニズム側の言い訳本ですが――においても同じ主旨が語られていました。
彼ら彼女らの主張にはほぼ理路がなく、支離滅裂という他ないけれども、おそらくこの「ツイフェミ」が「弱者女性」であるという推察だけは、当たっているのではないでしょうか。
そしてフェミニストや左派たちは今日も、そうした自分たちの支持者であり、言ってみれば子分とも呼べる弱者たちを切り捨て、遁走を続けるのです。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。