「ポスト・コロナ」とは、「ネオ中世」

「ポスト・コロナ」とは、「ネオ中世」

「ポスト・コロナ」とはどういう時代なのか

 2020年9月13日時点で、全世界での新型コロナウィルスによる死者数は92.1万人、その内日本は1439人で全体の0.15%である。この死者数の極端なまでの少なさから「ジャパン・ミラクル」と呼ばれている。

 上久保靖彦・京大教授らによる「免疫のできた感染者が壁になり新たな感染を防ぐ」という集団免疫説も有力だが、やはり、これは日本人の潔癖性とまで言われる生活スタイルのためではないかと思う。「3密」を避け、マスク、手洗い、うがいは当然、中でも土足で部屋に入るなど言語道断という文化、それを平気で日本以外の多くの諸外国はやっている。靴底の菌を部屋に呼び込んでいるという、この1点が最大のリスク要因だと思う。

 私の滞米中(88~91年)には米国人にも玄関先で靴を脱いでスリッパに履き替えて貰っていた。しかし、彼らは嫌な顔一つしなかった。恐らく今後欧米諸国でも、これが「ニュー・ノーマル」になるのではないか。それとアメリカで「温水洗浄便座」の売れ行きが好調という。『プレジデント・オンライン(8/17)』に、「TOTOの「ウォシュレット」は、今年1~3月の米国での売上高は前年同期比約2倍。国内2位・LIXILの「シャワートイレ」は、4~5月で同6割増になった」とある。これもニュー・ノーマルの1つとして定着するのだろう。

 それでも現実を直視する時、日本の累計死者数の3割近く(382人)が東京都である。首都圏で見ればそれは過半数を占めている。日本人はこれを直視し、「ポスト・コロナ」の新生活様式であるこの「ニュー・ノーマル」について健気に考え始め、これまでの「密」から「疎」に、「集中」から「分散」に改善するための方途に取り組み出したように見える。

 ビルのエントランスでは次亜塩素酸水で消毒し、サーモカメラが検温するスタイルが急速に一般化してきた。「集団」から「個」へと職場でも教育現場でも、「ディスタンス」を確保するようになってきている。

江戸の先進性

 1865年に世界1周旅行で日本に立ち寄った考古学者のハインリヒ・シュリーマンが、塵一つない江戸の美しさに感嘆している。同時期のパリのセーヌ川やロンドンのテムズ川には糞が浮かび、ひどい悪臭を放っていた。

「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもまして耕された土地が見られる」(『シュリーマン旅行記 清国・日本』)

 私たちは幕末の騒然としていた江戸を想像するが、まったく正反対だ。「馬糞拾い」という職業まであった。当時の江戸の飲料水を一手に引き受けた玉川上水の整備は有名だ。

 一方、下水はどうかと言えば、糞尿は畑の至るところにある肥溜(壺)に運ばれ、それが肥料として使われていた。生活雑排水は、田圃にある碁盤の目に通る水路に流される。雑排水と言っても、米の研ぎ汁は拭き掃除で床を拭くのに使われ、残りは植木にかける。せいぜい風呂の残り湯くらいできれいなものだ。江戸は完璧な自給自足のリサイクル社会を実現していたのだ。

 もちろん島国であるため大陸からの厄難をことごとくシャットアウトできたことは大きい。中でも250年をかけ「風水都市」から発展した江戸の街が、維新後「東京」となって150年をかけ、「マンダラ都市」へと進化を遂げたことは刮目(かつもく)に値する(拙著『愛国者のための東京案内』参照)。

 この宗教都市としての「東京のつくり」にもっと目を向けるべきだ。青龍(隅田川)・白虎(東海道)・朱雀(東京湾)・玄武(日光白根山)の四神を東西南北に配し、この理想の自然風土を活かしつつ、人口3800万人の世界史上最大の都市圏に膨れ上がった。

 それは、皇居をマンダラ図の中心をなす大日如来(だいにちにょらい)に見立てると良くわかる。それを取り巻く如来や菩薩(ぼさつ)がちょうど山手線のターミナルを形成する新宿や渋谷、池袋、上野、品川といった副都心にたとえられる。JRが何十本もの私鉄を従え、それらがうまく役割分担し合っている。そのつくりは「スピリチュアル」と「マテリアル」の整合・統合と言っていい。

分権型統治システム

 もっとも疫病の備えに加え、直下型地震をはじめとする自然災害に対しても強いのは、一極集中ではなく、地方にも首都機能の一部や人口を分散した分権型の国土統治システムだ。

 その対応策のためにも、日本史を今一度丁寧に振り返る必要がある。この国では、京都(794年)、鎌倉(1185年)、江戸(1603年)とそれぞれ400年ごとに西から東へと実質的な首都移転があった。だから今度は東北か、といったこともこの流れから考えられないこともない。

 しかし、もっと正確に言うなら、「古代集権国家」が京都を首都に発展した。次に「中世分権国家」が鎌倉・京都・博多などを拠点に栄えた。そして「近代(近世を含む)集権国家」が〈江戸=東京〉を中心に繁栄した。ということで、単に首都の場所よりも「集権」か「分権」かということの方に焦点を絞ることがより大事だ(図A参照)。

 つまり、この順序から言うと、これからは「新たな中世」ともいえる分権時代に突入して行く。いや、すでに突入している。コロナ禍はそれを恐ろしく加速させた、とも言える。

 そこで一番マッチする首都のあり方を考えるのだ。

 鎌倉時代になったからといって、京都から天皇を鎌倉に移したわけでもないし、鎌倉に侍所や政所といった武家政権を支える役所を新たにつくっただけだ。公家政権や文化の中心はやはり京都だった。
 これに倣って、今回も首都機能のすべてをどこかに一括移転するのではなく、そんな環境負荷も財政負担もかけずにその一部を分散すればいいだけのことだ。それによって分権型国土をつくるのである。
 
 まず千代田区は廃し、「東京首都特別区(Tokyo Metropolitan District)」として米国のワシントンDCのように国家直轄地にする。
 ここには国会のほかに、首相官邸、内閣府、外務省、防衛省、財務省、法務省、警察庁、宮内庁という国家統治と危機に瞬時に対応できる国家中枢機能を強化して存続させる。並びに万遍なく全国的視野が必要な総務省、厚生労働省もここに存続させる。

 他の独立的要素の強い首都機能はそのソフトを高めてくれる都市に分散(日銀本店は「大阪市」、最高裁判所は「仙台市」、環境省文化庁は「京都市」、経済産業省は名古屋市に隣接する長久手市の「愛知万博跡地内」、文部科学省は「長野市」、農林水産省は「千歳市」、国土交通省は「宗像市」)させる。加えて国連大学本部も渋谷区青山通りから「広島市」の平和公園内に移転させる。

 これらの機関の機能と都市の持つ機能とのコラボレーションやシナジーが重要だ。こうすることで、それぞれの都市格や地域色はより鮮明になり世界へ向けての発信力も増す。

 これらの中でも事業官庁(国土交通省・農林水産省・経済産業省など)の権限や業務は国家戦略に立った企画立案部門に限り残し、地域戦略に立つ企画立案部門は「1都2府7道7州」の17都府道州政府に移譲する(図B参照)。残ったサービス提供部門は民営化(NPOを含む)する。
図A 歴史における「集中」と「分散」の運動法則

図A 歴史における「集中」と「分散」の運動法則

図B

図B

集中と分散の法則

 聞き慣れないかもしれないが、この「ネオ中世」を推奨する私の理論はシンプルだ。

 人間の心の振幅というものは無限大ではない。振子と同じように、極限まで来るとまた逆方向へ振れていく。これが私の「歴史における集中と分散の運動法則」のベースにある考えだ。つまり求心力の働く時代と、遠心力の働く時代が数百年単位で交互にやってくる。

 「求心力のベクトル」の働く時代は、統一的な権力の「集中」を生み、どこまでもリアリズムを信奉し科学技術が発展する。これが「古代」と「近代」だった。いずれも大量生産・大量消費で経済の膨張が起こった。

 そして「遠心力のベクトル」の働く時代というのは、権力の「分散」と感覚主義を生み、群立する個々のグループ内で、精神世界への探求が深まる時代だ。これが「中世」と今まさに始まっている「ネオ中世」である。ここでは人の消費意欲は薄れ、経済は収縮する代わりに、人の心の中身は膨張するのである。

 まだ「ネオ中世」も始まって間もない(それは20世紀末に始まった)ので、今は「ネオ・ルネッサンス(復活)」期に当たるとも言える。これも「中世」から「近代」への移行期(14~16世紀)に、ヨーロッパでは古代復活への巨大なルネサンス運動があったように、いや正確にはこのルネサンスがあったから中世から近代に移行できたのだが、今まさに同じように中世復活へのルネサンス運動が起きているのだ。

 つまり人間の存在を超えたものとしての「神や自然」、そしてシンボリックな意味合いとしての「王や貴族」、さらには国家を超え、より生活に密着した「都市や地域」といったものへの回帰なのである。

 いわゆる「近代」の意味での「ナショナリズム(国家主義)」ともまったく違う。それはむしろ「トランスナショナリズム(国家超越主義)」や「リージョナリズム(地域主義)」、または「エスノセントリズム(自民族中心主義)」と言うべきものである。つまりそれらを簡潔に一言で表せば、「我々は今、高度情報社会の下で中世に突入した」ということだ。

 振り返れば、我々が人類史上最も科学や物量を妄信していた1960年代、それを象徴する人類を月へ送るという壮大な米・ケネディ政権の打ち上げたアポロ計画は、61年から72年まで続くが、それが終了するのと同時に冷戦下の「熱戦」でもあった(米帝国最大の版図を狙った)ベトナム戦争は敗北に終わり、「近代」という時代も幕を閉じるのである。

 その後、ITの時代を迎えるが、これはコミュニケーションの時代、心の時代を反映していて、我々は憑りつかれたように人とどのように結びつくかを一心に考えるようになった。我々の関心はもう宇宙なんかではなく、己の中にこそあるのだ。当然その技術(ユビキタス・ネットワーク)だけが発達して行く。若者を中心に車が売れないのには理由がある。彼らは物質主義に背を向けてつつましく生活し生身の肉体や健康、そして霊的な魂に関心を寄せているからだ。おまけに個々人が切れているだけに人恋しくて堪らない。

 こうして今の世界は、集権的な物理的拡大を志向する「近代」秩序が崩れ、「中世」からあった本来常態である民族(部族)単位の分権的な「心」を志向する世界へ向かっている。

 図Aのように歴史には一定の法則性があり、「古代」は「集中」、「中世」は「分散」、「近代」は「集中」、そして今私たちは再び「分散」の時代に突入しながら、高度に洗練されたICT社会においてQOL(Quality Of Life)を追求する「ネオ中世」に生きているのだ。

 私が「近代の終焉」を悟ったのは、国内においては「バブルの崩壊(90年)」と海外においては「ソ連崩壊(91年)」だった。それから約30年後の今日、今回の新型コロナウィルスによるパンデミック(世界的流行)は、「集中型の経済や国家」が総崩れする現象をまざまざと見せつけられた思いだ。

天皇知召(しらしめ)す日本の姿

 果たして、私たちはこの中で生き残れるのだろうか。

 日本人は恐らく一筋縄ではいかない厄介な民族と見られているだろう。キリスト教時間というグローバル化に一線を画す「元号」を始め、室内で靴を脱ぐ習慣や箸を使った和食も群を抜くユニークさとクールさだ。

 安全安心、清潔、静謐(せいひつ)、規律、和……、これらの美徳は先人から受け継ぐ我々の宝であり、カネでは買えない世界垂涎の的だ。これらが実は武漢熱の死亡者数を劇的に下げている要因でもある。だから我々はこの美風を今後も死守し継承して行かなければならない。

 移民の流入も欧米流民主主義も、キリスト教も共産主義もそれらは「グローバリズム」という理念が推進してきたものだ。今日のICT革命も極めつけのグローバリズムだ。これを1940年代に見越していたジョージ・オーウェルの近未来ディストピア小説『一九八四年』の世界により近づいている気がする。だから中国ではこの小説が発禁本になっている。

 6月30日、中国全人代で香港への統制を強める「国家安全維持法」が可決され7月1日から施行されたが、これまでの民主的な流れを根絶やしにするサーベイランス(監視)社会のリアルを見せつけられる惨いものだ。ビッグブラザーと化した習近平主席のハイテク全体主義国家から発生した、今回の武漢熱によるパンデミックはグローバリズムの負の完成形とも言えるものだ。

 これらへの防波堤になり得るのが、昨年の「令和の御代替わり」で一段と存在感を増した「天皇知召す日本の姿」ではあるまいか。王が国民を所有し統治する「ウシハク」ではなく、天皇が国民に情報を知らせ、広く会議を起こし、万機公論に決して皆で協働する「シラス」という古事記由来の「国譲り」にこそ要諦がある。

 本年5月、コロナ禍に乗じて導入しようとして失敗した「9月入学」も含め、ますます平準化・全体主義化(グローバル化)して行く「地球村」に、しなやかにノーを発信して行ける日本に期待が集まっている。平準化や全体主義化は高度な情報社会がもたらす抗し難い流れだ。

 しかし、同時に個人の生活の実相はどこまでも細分化し多岐にわたり、内面は深まりを見せ個々に特化している。これが先進世界に見られる「ネオ中世」の一大特色なのである。この中で日本は、とりわけユニークな存在として独自の貢献を成し得るのではないだろうか。
深川 保典(ふかがわ やすのり)
1954年、宮崎県日南市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、ニューヨーク市立大学バルーク校大学院にて公共経営学修士号取得。ニューヨーク市都市計画局勤務後、白鷗大学講師、千葉県市川市議会議員、英国国立ウェールズ大学経営大学院東京校教授、宮崎県日南市議会議員などを経て現在に至る。主な著書に『愛国者のための東京案内』(扶桑社)、『東京改都―時代は「ネオ中世」』(中公新書ラクレ)、『文明の法則』(祥伝社)。自ら作詞・作曲した100曲余りのオリジナルがあり、プロのジャズ歌手としても活躍中。

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