ここぞとばかりに、アメリカを侮ってきたのは中国であった。2008年のリーマン・ショックで、アメリカは未曾有の金融危機に見舞われた。このとき、ライバルに成長しつつあった中国は、「戦略的好機」とばかりに、公共投資にカネを大量投入して火の粉を振り払った。アメリカの苦闘を尻目に、今世紀の半ばには「世界の諸民族の中で聳え立つ」と自信を語ったのは、習近平国家主席だ。

 だが、自分がたたり目にあうと、アメリカに八つ当たりするのも、また中国である。2020年、湖北省武漢を発生源とする新型コロナウイルス禍は、台頭することが当たり前と思われていた強国独裁システムを直撃した。アメリカが中国全土への渡航中止勧告や中国からの入国制限措置をすると、華春瑩報道官が、「パニックを拡散している」「他人の不幸を喜んでいる」と地団太を踏んだ。

 自分で他人の不幸を喜ぶ行為をしてきたことは棚に上げ、ひと様には「温情がない」と情けを求めるところが中国らしい。わが日本は、そんな卑怯なまねはしない。日本はじめ主要国は、防疫物資の支援をしているし、アメリカもまた民間組織の立ち上がりは早く、アメリカ政府もWHO(世界保健機関)が派遣する専門家チームに参加している。

 内紛や天災で国が乱れると、そのスキを突いて敵対勢力がなだれ込むのは、陸の国境をもつ大陸国家間の狡(こうかつ)で過酷な現実なのだろう。忘れもしない2011年3月、未曾有の東日本大震災の際に、同盟国のアメリカ軍はいち早く2万4000人を動員する「トモダチ作戦」を展開してくれた。まもなく、中国からも15人の救援隊が送られてきたが、1週間で帰国した。入れ替わりに、彼らは軍艦を尖閣諸島に送りつけてきたのである。

 当時、菅直人・民主党内閣の動きに「日本は御しやすい」と判断したのだろう。ロシアの空軍機もまた、「放射能測定」を理由に日本の領空ギリギリを飛び、中国の艦載ヘリも尖閣沖の海自艦に異常接近して、結果的に復旧の邪魔をした。

 香港の「東方日報」は地震発生から約1週間後、尖閣を奪取すべきだと指摘して、「日本が大災害で混乱しているこの機会が絶好のチャンスである」とホンネを吐いていた。危機に陥ったときの日本のクライシス・マネジメント能力をじっと見ている。理不尽ではあるが、攻め込む側にとっては、最小の犠牲で最大の効果を生むことになる。

 むしろ、新型コロナウイルスの拡散は、北京のいわば「身から出た錆」ではないのか。昨年12月8日にウイルスの感染を知りながら、中国共産党の「隠蔽体質」が自動的に党員たちに情報遮断の行動をとらせる。善政しかないはずの共産党システムに、悪政の公衆衛生などありようはずがないのか。一連の意思決定は、すべて武漢と北京で下されたはずだ。

 クレアモント・マッケナ大学のミンシン・ペイ教授に言わせると、ウイルスの早期封じ込めができないのは、「一党独裁の存続が秘密、メディアの弾圧、市民的自由の制約にかかっているからだ」と全体主義の宿痾であることを指摘する。困ったことに、中国共産党が自らの権威を守るための隠蔽により、世界の安全を脅かす迷惑が拡散することになる。

 やがて、彼らの封じ込め努力の怠慢が、かえって共産党のイメージを損ない、コスト高になることに気付くと、1月20日以降になってようやくギアを切り替えた。とたんに、国内に張り巡らされた人々の監視機能が効力を発揮する。まるで、作家ジョージ・オーウェルが描く小説『1984年』の陰鬱な世界だ。小説の舞台は「ビッグ・ブラザー」が率いる少数独裁国家で、国民はすべて党の監視下に置かれ、街中の収音マイクによって、反政府的な言動は一切封じられる。

 現代のビッグ・ブラザーは顔認証技術が組み込まれたデジタル監視機器とビッグデータで、共産党に都合の悪い批判者はどこまでも追跡できる。今年1月に武漢市の感染者の1人が、南京市で公共交通機関を使って動き回り、移動中に病原菌がばらまかれた。さっそく当局は、この感染者が南京市の地下鉄に乗って、移動した経路を分刻みで追跡することができた。

 共産党体制にとっての脅威を直ちに特定し、未然に防ぐことを目的に14億人を監視する。かつては密かに追跡していたものを、いまや堂々とビッグデータで追跡する。中国人民の不幸を逆手に、都合よく体制を固める共産党が、ひと様を「温情がない」などといえるのか。

湯浅 博
1948年東京生まれ。産経新聞東京特派員。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。

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