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セルゲイ・ラブロフ外相
 ウクライナ侵略戦争を強行するロシアのプーチン大統領のお気に入りは、いつも渋い顔のセルゲイ・ラブロフ外相であるそうだ。ドスを利かせた低い声で北方領土の返還を否定し、「日本軍国主義の犯罪には、時効がないことを忘れてはならない」などと、歪(ゆが)んだ歴史観の持ち主だ。

 実はこのコワモテ外交が、国内では出世と権力闘争に生かされてきたと、ロシアの外務省内でささやかれている。
 ユーラシアの東でも、似たような人物が出世階段を上がってきた。台湾侵攻も辞せずと公言する習近平国家主席(党総書記)のご贔屓筋だ。それが攻撃的な「戦狼外交」の提唱者である王毅外相であることが、人事で立証されていた。

 ともに独裁者の胸の内を忖度(そんたく)して対外強硬路線をこなし、ボスの聞きたいことを先回りして進言することを得意とする政治巧者だ。覚えがめでたくなるには、出すぎたり、たしなめたりはご法度(はっと)である。過ぎればスターリン時代のような大粛清の対象になり、毛沢東時代の百家争鳴のように本音を言わせられて罠にはまることもある。
 かくて、独裁者の胸三寸で理不尽な外交や軍事行動は強行され、悲劇が世界に拡散される。

「渋面ラブロフ」の処世術の方は、ロシアのウクライナ侵略をきっかけに辞任したロシアの外交官、ボリス・ボンダレフの手記によって米誌で暴露された。ジュネーブのロシア代表部に勤務していたボンダレフ氏は、2022年2月のウクライナ侵攻を知って、同じ外交官の妻に「これは終わりの始まりだ」とそろって外交官の仕事に終止符をうった。

「この戦争はロシアがもはや独裁的で攻撃的なだけでなく、ファシスト国家になったことを明らかにしていた」

 彼が20年間の外交官生活で見てきたものは、ロシア政府がゆっくりとだが、自らのプロパガンダにとらわれ、歪められてしまったことだった。彼らはワシントンへの対決路線を維持し、ウソと辻褄の合わない言葉を並べてきた。外交官たちは、モスクワから命じられたレトリックを繰り返すうちに、自らも自己暗示にかかってしまう。
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突然、強面になった王毅外相
 ラブロフ外相は、いつも大統領に対して「イエス」と繰り返し、大統領が聞きたいことだけを耳元でささやく。プーチン大統領が、そのラブロフ外相がお気に入りなのは、彼が「心地よい相棒だから」ということに尽きた。そんな耳に心地よい言葉に囲まれ、プーチン大統領が「ウクライナを倒すのは簡単だ」と考えても不思議はなかったのだとボンダレフ氏は言う。

 軍事に関与してきたボンダレフ氏にとって、ロシア軍は欧米が恐れるほどパワフルでないことは明らかだった。ロシアが独裁政権ではなく、誠実な判断を下す政治システムがあったなら、ウクライナ侵略戦争がこうまで悲惨なことにならなかったと彼は考えている。

 それは、先の第20回中国共産党大会で3期目の政権を確保した習近平総書記にも同じことがいえる。独裁者が粛清人事とイエスマン人事をセットで断行するのは全体主義の習いだ。
 まずは、習近平総書記の前任者だった胡錦濤元国家主席が、メインの台座から強制的に退場させられたことから始まった。ちょうど、彼が高位人事の最終リストを確認しようと、人事ファイルに手を伸ばした瞬間の珍事だった。長江が流れる間も諸侯相争ってやむことがないのは、「シナ3000年の歴史」である。
 特に、攻撃的な戦狼外交は、党大会の習近平演説でも強化されることが指摘され、人事面では「戦狼」の王毅外相が退任年齢なのに、24人で構成される政治局のメンバーに抜擢(ばってき)されていた。
 かつては礼儀正しかった王毅だが、習政権下で2013年に外相に就任すると、とたんに強硬姿勢を強めてきた。それは習近平総書記が米国との覇権争いで、妥協を拒んで優位に立つという願望から、習近平総書記が求める高圧的な外交を体現できる人物とみなされた。

 孤独な独裁者は忠実な下僚に囲まれながらも、常に権力奪取の恐怖に怯(おび)えている。処世術に長けた人物ほど、その心理を心得ているから抜け目がない。かくしてプーチン大統領や習近平総書記の対外行動はより偏執的になるから要注意である。
 弱さは独裁権力の敵なのだ。したがって、ラブロフ外相や王外相の外交術は、対外的な外交ゲームよりも、むしろ国内の優先事項とみなすものに動機づけられているものが多くなると心得よ。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、産経新聞特別記者。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。

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