【矢板明夫】「貧困脱却」という習近平政権の噓

【矢板明夫】「貧困脱却」という習近平政権の噓

 約7年前、取材のために中国西部の青海省の省都、西寧を訪れた時のことをいまだによく覚えている。8月のある金曜日の午後だった。地元のイスラム教徒が集まる市内最大のモスクの前を通った時、道路の脇に横一列に座り込み、物乞いをする子供の多さに驚いた。汚れた服を着て、それぞれの前に茶碗などを置いた100人以上小中学生の年齢の子供が、モスクから出てくる人に「恵んでください」などと声をかけていた。

 地元の知人に聞くと、ほかの地域から流れてきたホームレスがほとんどだという。孤児もいれば、親や祖父母などと一緒に行動する子もいる。ただ、子供だけの物乞いは同情されやすいので、大人はどこかに隠れている場合が多い。毎週の金曜礼拝の終わりの時間帯を狙ってモスクの前に集まる。敬虔なイスラム教徒たちは礼拝のあと、財布の紐が緩くなるので小銭をくれる人が多いという。

 「いまは夏だからまだいいけれど、冬場になると公園で寝泊まりする子供が凍死することもよくある」と知人が言った。

 中国の習近平国家主席は12月3日、共産党の重要会議で「中国全体が貧困から抜け出し、世界が目を見張る勝利を収めた」と高らかに宣言した。このニュースを聞いたとき、筆者が真っ先に思い出したのは青海省のモスクの前の子供たちだった。

 共産党一党独裁政権の上層集団が権力を振りかざして国内の富のほとんどを独占している中国で、野党とメディアによるチェックもない中、人類社会を数千年も悩ませてきた貧困問題を解決できるわけがない。習氏の宣言はいつもと同じく、自己宣伝するための「噓」であることは言うまでもない。

 かつての中国の最高指導者、毛沢東が推進した農業と工業の大増産運動「大躍進」が失敗した1950年代末、全国が深刻な食糧不足に陥ったにもかかわらず、官製メディアは連日のように「大豊作だ」と宣伝し続けた。中国政府は海外に向けた食糧輸出すらやめなかった。結局、全国で3,000万人以上の餓死者を出す大きな悲劇が起きた。
【矢板明夫】「貧困脱却」という習近平政権の噓

【矢板明夫】「貧困脱却」という習近平政権の噓

「大躍進」を推進した毛沢東
 2022年の党大会で続投を狙っている習氏は数年前から「貧困脱却を目指す」を繰り返して強調するようになった。「2020年に貧困者ゼロ」との目標を掲げた。計画通り年末に実現し、自らの政権の実績としてアピールしている。しかし、統計データを簡単に改ざんできる中国当局の発表数字を、国際社会だけではなく、中国の一般民衆もあまり信じていない。

 心配されるのは、習氏の「貧困脱却」の宣言を受けて、各地の地方官僚が自らの管轄地域内の「貧困」を隠すため、物乞いの人々を都市部から追い出すことだ。例えば青海省、寒さが厳しい12月にモスクの前の子供たちを貧しい農村部に追い出したら、お金を恵んでもらえる人が少なくなり、彼らはもっと過酷な状況に追い込まれるに違いない。権力者のメンツのために、しわ寄せが弱者に行くことは中国の常である。

 中国の貧困の基準は現在、日本円で年収63,000円がボーダーラインになっている。習近平政権が発足した2012年当時の貧困人口は約1億人いたが、約8年の努力でゼロにしたと中国メディアが書いている。

 習氏が打ち出した目玉政策は「精準扶貧」(貧困者を特定識別し、そのニーズに応じて扶助する)という。貧困者の認定権を地方の共産党幹部に与えたため、これが新たな腐敗の温床になっていると指摘する声が多い。

 中国メディアによれば、甘粛省の農村部で2016年、認定権を持つ村の幹部は生活に困っていない自分の親せきを貧困者に認定し、支援金などを配ったが、もらえなかった貧しい一家が無理心中した事件が起きた。また、山西省で同年、貧困者に配るべき資金と物資を流用した幹部が摘発された。いずれもたまたま発覚した事件であり、氷山の一角であることは言うまでもない。

 2020年春、中国の湖北省武漢市発の新型コロナウイルスが中国国内経済にも大きな打撃を与え、各地で中小企業が破産し、失業者の急増が深刻な社会問題になっている。新たな貧困者が続出している時期に、習近平氏はさまざまな会議で「貧困脱却に成功した」と強調していることに対し、「空気が読めない」と呆れる共産党幹部も少なくないという。

 北京在住のある中小企業の経営者は「習政権になってから約8年、政治運動などで民間経済の活性化が失われた。貧困から抜け出したではなく、貧困に向かっているというのが私たちの実感だ」と話している
矢板 明夫(やいた あきお)
1972年、中国天津市生まれ。15歳の時に残留孤児二世として日本に引き揚げ、1997年、慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社に入社。2007年から2016年まで産経新聞中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『習近平 なぜ暴走するのか』などがある。

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