非常時こそ本性が出る

 「武漢ウイルス」が瞬く間に中国全土、そして世界各国に感染拡大し、多くの感染者と死亡者が出て、世界中がパニック状態に陥っています。その成り行きを観察していましたが、発生源である当の中国は、その態度はまさに「中国的」でした。情報の隠蔽で事態を深刻化させ、被害と混乱を周囲に拡大、挙げ句に悪いのは自分たちではなく他者であると平然と責任転嫁しています。

 さらには自分たちこそ犠牲者を出しながらも新型ウイルスと対峙した救世主であり、感謝されるべきだと居直り、「習近平主席は新型コロナウイルスを退治し、世界を救う偉大な領袖」というイメージを内外に喧伝している。新華社通信は「正々堂々と言う、世界は中国に感謝すべきだ」と、啞然とするような論評を掲げたほどです(3月4日付)。

 こんな中国の言動に対して、世界が憤りの目で見ています。非常時こそ本性が出ると言いますが、こういった中国の姿勢こそがまさしく中国の本性、本質だと思います。そしてその裏には、中国が2千年近く染まってきた儒教や中華思想の影響が見て取れます。この中国的気質や本性、本質は少しも変化していない。アメリカ人宣教師、アーサー・H・スミスが執筆した『中国人的性格』(石井宗晧・岩﨑菜子訳/中央公論新社)を手にとると、よくわかります。

 スミスは1845年、アメリカ・コネチカット州生まれ。コロンビア大学医学部を卒業後、1872年、アメリカ最古の海外伝道組織であるアメリカン・ボードによって清朝時代の中国に派遣されました。スミスは20年超、中国人と共に生活しながら、外の目でじっくりと中国人の実態、行動原理、民族としての基本的思考を観察・分析し、『ノース・チャイナ・デイリー・ニューズ』や『ノース・チャイナ・ヘラルド』に寄稿します。そして、それらの寄稿文が一冊としてまとまったのが、先の本です。

 この歴史的名著に接すると、中国人の行動原理は当時も今も、まったく変わっていないことがわかります。スミス本の目次を見てみましょう。〈無神経〉〈公共精神の欠如〉〈思いやりの欠如〉〈相互不信〉〈誠実さ〔信〕の欠如〉──いかがですか。さらにスミスは中国人の特質を、誤魔化し、噓つき、責任転嫁……などと評する。もうどうしようもありません(笑)。

メンツが何よりも大事

 スミスは次のように書いています。

《我々が経験し、観察した限りにおいては、中国のどこにも誠実さは探し当てられなかった。(中略)真実を尊重しようとしない国民に、誠実さはあり得るのだろうか》

 誠実さが尊ばれず、噓と謀略が横行する中国を信用することほど愚かなことはありません。しかも、中国人の場合、落ち度を指摘されると、誰かが告げ口をしたか、自分のことを誤解していると考えます。今回の武漢ウイルスにしても、隠蔽体質によってここまで世界に感染拡大した責任を負っているのに、中国政府や習近平はいまだに謝罪の言葉一つ口にしていません。ウイルスの発生源は誰が見ても武漢と決まっているにもかかわらず、中国は、武漢であるとは確定されていないと言う。米軍が持ち込んだとか、イタリアが発生源ではないかと責任転嫁する始末です。

 スミスはこう書いています。

《(中国人にとって)過失を非難されることは〈面子を失う〉ことになる。だから面子を保つためには、証拠がどうあれ、彼らは事実を否定せねばならない》

 まさに、今の中国そのものです。今日の国際社会においては一定程度のルールがあります。それによって公正性を担保し、正義を守ることができる。ところが、中国は欧米がルールに縛られるのにつけ込んできます。たとえば、マスクを武器にして、外交を有利に進めるのもその一つ。日本やイタリアなどにマスクを数十万単位で大量に寄附して、恩を売ったり、あるいは高く売りつけたりします。しかし、そのマスクには粗悪品も混じっている。

 フィンランドの政府高官は、中国から緊急輸入した医療用マスク200万枚が品質基準を満たしていなかったとして「失望」を表明しています。フィンランド以外でも、オランダやスペイン、チェコから同様の声が上がっている。ところが、中国は、
「確かに中国製品の中には、悪いものがないわけではない。でも、そちら側の製品にもいくつか問題がなかったとは言い切れない。公正・公平に見てほしい。一方的に我々中国をイジメるのはおかしい」
 と。

 どれほど真っ当な批判を浴びても、あらゆる理屈と弁論を利用して、自分たちを正当化する──それが中国人の行動原理の一つなのです。

思いやり精神がない

 中国人はタテマエ上「五常=仁・義・礼・智・信」という5つの徳目を重んじます。これは儒教から来ており、スミスの本でも紹介されていますが、具体的に言いますと、「仁」は思いやりの心、「義」は正義・公共精神、「礼」は礼儀・作法、「智」は理性・知性、「信」は信用を意味します。この五常が漢の時代から重んじられており、中国人の知識人は、この五常を体得することを学問の主眼にしてきたのです。でも、私に言わせれば、次のひと言で済みます。

「いつも、この〝五常〟とは正反対の行動を取っているのが中国人である」と(笑)。

 では、一つずつ見ていきましょう。「仁」=思いやりの心ですが、スミスは次のように書いています。

《中国人の思いやりの欠如を端的に示しているものとして、花嫁が結婚式の日に受ける扱いがある。彼女たちは、大抵は大変若く常に臆病だ。(中略)誰であれ、花嫁の駕籠の垂れをめくって花嫁をじろじろ見ても許される地方もあれば、花嫁が通る時に未婚の娘たちが手頃な場所に陣取って、花嫁に一握りの干し草の種や籾殻を投げかけることを無上の喜びとする地方もある。その干し草や籾殻は花嫁の念入りに油を塗った髪の毛に執拗に張り付き、なかなか取れない》

 また、中国では嫁姑問題が深刻で、嫁が嫁ぎ先の家族全員からイジメられることが頻繁にあります。その状況に耐えられなくなった嫁が自殺する事件も多い。自殺者が出たとしても、嫁ぎ先の家は何ら責任を負いません。自殺するほうが親不孝者であり、不義理だと考えられているからです。

 ほかにもスミスは、

《溺れている人がいても中国人が何の救助もしようとしないことは、中国にいる外国人たちを驚かせる。(中略)外国の蒸気船が揚子江で炎上したことがある。その出来事を見ようと集まった中国人の群集は、その乗客や船員を救うためにほとんど何もしなかった》
《見知らぬ人に対する不親切が最もはっきり分かるのは、おそらく中国を旅している時だろう。(中略)彼が進んでいる道の先が沼地で行き止まりになっていることを誰も教えてくれない。あなたが沼地に入り込む道を選ぼうとも、近隣の納税者たちの知ったことではないのだ》

 と。こういう目を覆いたくなるような残酷な部分が、中国人には存在します。

 現代でも、たとえば、ある街で女性がビルから飛び降り自殺を図ったとします。でも、なかなか飛び降りる決心がつかず、足踏みしている。そうすると、瞬く間に見物人が集まり、好奇の目で女性がどうするかを見ているのです。彼らは心配して集まっているのではなく、「早く飛び降りろ。どうなるか見てみたい」──その瞬間を心待ちにしている。高齢者は立って見ていると疲れるからか、椅子を持ち出すほど。さらに、饅頭売りまで登場し、商売に勤しみます。見物人の誰一人、自殺しようとする女性を心配する素振りや気配を見せません。思いやり精神のない人々なのです。

公共精神の欠落

 「義」はどうか。
 スミスが、

《人々は、個人であろうと全体としてであろうと、自分が個人的に損をすることのない限り、公の財産がどうなろうと何の関心も責任も持たない。実際、道路ばかりでなく、何であろうと〈公〉という概念は中国人にとって相容れないものなのである》 

 と指摘している通り、中国人には公共精神が欠落しています。社会・公共なるものは、関係がありません。むしろ、奪い取ることを優先します。

《中国人は、〈公〉のものに関心を持たないどころか、もしその公的財産が保護されておらず、またそれが利用できるものであれば、盗みを働こうと狙っている。道路の敷石は自分で使うために持ち去るし、城壁の表面のレンガは数平方ロッド〔面積の単位、一平方ロッドは約二五・三平方メートル〕にわたって次第になくなってしまった》 

 中国人にとって、〝公〟こそ奪い取る対象なのです。

 次に「礼」。中国人は昔から礼儀にうるさい。長幼の序を重んじますし、三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼もあるように、儀式張ることを好みます。しかし、スミスは次のように指摘します。

《礼儀は、空気枕に喩えられてきた。空気枕も礼儀も、中身は何もないが、ショックをかなり和らげることができるからだ》
《中国人の果てしなく続く宴会は、相当に恐ろしいものだ。信じられない程の量と種類の料理が果てしなく供され、中国人にしてみれば、この程度のもてなしではまだ短すぎると思うようだが、外国人にとっては恐怖であり絶望である》

 大量の食事を出す行為も、お客が食べたいかどうかではありません。自分がいかに権勢を揮っているかを示したいがためなのです。儀礼的訪問に関しても指摘している。

《中国では限度というものはないのだ。訪問を受ける側が、宿泊していくように客に申し出ない限り、客は疲労で青息吐息になるまで話し続ける。中国人は、外国人を訪問する時に、時間の存在とその貴重さがどうしても分からないようだ。彼らは何時間も坐り続け、自分から暇を告げることなど全くないと言ってもよい》

 こういった話を総合すると、中国人の「礼」とは相手に対しての礼儀ではなく、自分の面子を立てるための技術に過ぎないことがわかります。スミスも次のように指摘します。

《いかなる振る舞いも、結局は〈面子の問題〉に関わっていることを示している。特に大都市においてであるが、外国人に雇われた中国人の取る上辺の礼儀正しさの多くは、外面の化粧板に過ぎない》

 次に「智」。中国人も当然、知識を重んじます。ですが一方で、物の正しさ、正確さを求めることはありません。

《中国人は、何百とか何千とか何万といういう表現をし、それ以上の正確さは気にしない》

 まさに「白髪三千丈」の世界です。ですから、数字に対して実に適当、大雑把。技術革新や科学的発想が、今後も中国から生まれることはまずないと言っていいでしょう。

「噓つき」という言葉はない

 後に「信」。中国ほど相手を信用しない社会はありません。相互不信の上に社会が成り立っています。誰に対しても誠実さがなく、噓をつくことなんて日常茶飯事。スミスは1つ、興味深い例をあげています。

《中国人は平常の会話において、噓とまでは言えなくても真実を述べていない。したがって、真実を知るのは大変困難なことが多い。中国にあっては、この世で最も手に入れ難いものは真実である》と。

 確かにその通りで、中国では真実よりも「いかに利益が得られるか」が重視されます。だから噓をつくことに恥じらいを覚えません。1つの面白いエピソードをスミスは紹介しています。

《中国語をあまり話せない外国人が、彼の召使いの1人に過失があったり怠慢であったりしたことに腹を立て、英語で〈humbug〔ペテン師=噓つき〕〉と罵った。召使いはほどなく、彼の質問に対応できる程度に十分に中国語力のある婦人に、彼に投げかけられたその恐ろし気な言葉が何を意味するのか教えて欲しいと頼み、〔その意味を知って〕〈致命的な言葉を受けたことに深く傷ついた〉のだった》

 この召使いの反応のように、中国語には「噓をつく」という言葉はあるものの、「噓つき」に相当する単語が存在しません。どうしてないのか。そんな言葉をつくる意味がないからです。日本人は毎日、白いご飯を食べます。そんな人を指して「ご飯食べ」とは言わないでしょう。当たり前のことだから。それと同じで中国語に「噓つき」がないのは、噓をつくことがあまりにも自明の理なのです。そして、中国人ほど中国人を信用していません。スミスは、中国の諺、「1人で寺に入るな。2人で井戸を覗くな」を取り上げ、次のように説明します。

《我々は驚いて尋ねる。なぜ1人でお寺の境内に入ってはいけないのか。それはなんと、僧侶がその機会を捉えて彼を殺してしまうかもしれないからなのだ! また、なぜ2人で一緒に井戸を覗き込んではいけないのか。それは、もし彼らの一方が他方に借金をしているなら、あるいは一方の欲しい物を他方が持っているなら、一方の者はこの機会を捉えて他方を井戸の中へ突き落としてしまうかもしれないからなのだ!》

 つまり、誰も信じるなと。西洋社会の場合、子供が成人し、親元から離れるとき、親は子に「社会にはさまざまな人間がいる。誠実な人間もいれば、不誠実な人間も。だから用心しなさい」と忠告します。ですが、中国人の子供には、そんな忠告など必要ありません。最初から一歩外に出れば、みな悪人という世界だからです(笑)。

「宗族」という社会組織

 こうして見ると、スミスが観察した中国人の行動原理は、実に的確な指摘であり、今でも何ら変化していないことがわかります。ですが、スミスはあくまでも中国社会を外(西欧社会の目)から観察し指摘している点に注意を払う必要があります。当然ですが、スミスは中国人社会の内部事情まで把握できていません。中国人社会を内側から見れば、また別の側面が浮かび上がってきます。

 中国は古来、「宗族」という社会組織を何よりも大切にしてきました。私の父親が生まれた家も、「石氏」という宗族の一つに属しています。石氏の先祖が300年前、とある場所から四川省に流れ着き、家族をつくって子孫を繁栄させました。そして私の祖父の代になると、何百軒という石家が同じ地方のいくつかの村で住むことになります。大きな宗族になると、場合によっては何千軒規模となる。そして一族の先祖を祀る宗廟(祠堂)をつくり、祖先崇拝の拠点とします。そこは同時に一族全員が集まり、連帯意識を高める場ともなる。宗族の中で人望の厚い人間が族長となり、宗族を統率します。

 宗族が大きくなればなるほど、大きな財源が生まれ、一族内の子供たちの教育費に充てたりします。義務教育がない時代、学校制度がなかったため、一族が子供たちの教育の面倒を見ていました。文字を教える先生を招き、塾を開いて、子供に基礎教育を施したりすることも。それ以外にも、両親が早くに亡くなった孤児を宗族で引き取り、面倒を見ることもあります。裁判も時にはありました。宗族の中で罪を犯し、捕まった人間がいたら、祠堂に連れてきて裁決を下す。宗族内では中国人はお互いを信頼し合い、相互扶助し、思い合って、連帯感を高め合っているのです。
 だから、噓をつくこともできません。生まれてから死ぬまで宗族の中で生きますから、一度噓をついたら、みんなから信用されなくなり、居場所が奪われてしまう。時には宗族内で争いごと、もめごとがありますが、そのときは族長が調停役を務め、穏便に進める。

 つまり「仁・義・礼・智・信」の五常が、宗族内では立派に生きているのです。ところが、この宗族からひとたび外に出た途端、一気に豺狼の世界と化す。政治権力、社会制度、公共……これらをまったく信用しません。噓をついてもいいし、罪を犯しても問題ないと考えています。いや、もっと言えば、宗族の外で罪を犯した人間は、宗族総出でその人間を守るために力を尽くします。そのため、公の精神が育まれません。「公」は宗族内にあって、それ以外にはないのです。

 中国の官僚は汚職が当たり前です。なぜか。官僚になるためには科挙試験に合格しなければなりません。宗族が一族を挙げて科挙試験合格のために、教育を徹底的に施します。だから、誰か1人でも科挙試験に合格し官僚になれば、宗族を繁栄させる義務があります。ですが、官僚の給料だけでは宗族全体を繁栄させることはできない。となると賄賂をもらい私腹を肥やす以外に道はありません。宗族からすると、賄賂を取ることで一族が繁栄するわけだから、万々歳です。清廉潔白な官僚は、宗族からまったく歓迎されません。何の利益もありませんから、追い出す以外にないのです(笑)。

 スミスはこの中国人の実態まで見抜くことはできませんでした。ただ、仕方のない面もあります。ここまで狭い世界に中国人が生きているなんて、思いも寄らないことだったでしょうから。

敬して遠ざける

 実は、この「宗族」という社会組織は一部の農村を除き、都会では廃れましたが、今でも形を変えて受け継がれています。では、どういう形態になっているのか。

 「圏子(チュエンズ)」と言います。「サークル」という意味ですが、この共同体を通じて一種の擬制的な家族制度を形づくっています。たとえば、公安局長、税務局長、裁判官、地元の経営者……など、10~20人で「圏子」をつくり、自分たちの利益を守る。この中では、経営者は脱税し放題です。なぜなら税務局長が見て見ぬフリをするから。公安局長もいるので、多少の犯罪なら逮捕しません。もちろんお金を持っている人たちは定期的に公安局長や税務局長に賄賂を渡している。要するに「圏子」内は治外法権なのです。

 中国は国際社会に対してどうしてここまで残酷で、無責任なのか。簡単な話、中国以外の外国は「圏子」外と考えているから。もっと言えば、同レベルの人間だと思っていないのです。だから、世界に対して、どれほど悪行を働いてもまったく構わない。騙すのも当然。誤りを認めることもない。「圏子」を繁栄させることが、彼らの目的ですから。もちろん中国国内でも、さまざまな「圏子」に分かれます。中国共産党も一つの「圏子」と言えます。

 これが中国社会の本質です。歴代の征服者との関係の中で、圧政や暴政から自分たちの身を守るために中国人が見出した「宗族」や「圏子」は3000~4000年続いてきた社会制度です。ですから、中国人は外の社会に対して永遠に冷たいままなのです。

 スミスは一つの予言めいた言葉を残しています。

《中国人は我々にとって多かれ少なかれ謎であるし、謎であり続けるに違いない。(中略)。彼らの民族と我々の民族との来たるべき衝突(それは年月を経るにつれて益々激しくなりそうなのだが)と、この含蓄のある命題とがどう関係するかについて、ここで敢えて予測はしない。我々は、一般論として適者生存を信じている。果たして、〈神経質な〉ヨーロッパ人と、疲れを知らず、どこにでも浸透していく粘り強い中国人のどちらが、20世紀の争いで生き残るのに適しているのだろうか》

 その争いは21世紀の今も引き継がれています。日本は中国に接近しすぎると、必ず不幸な目に遭います。今回の武漢ウイルスで世界の信用をなくした中国は、日本に泣きついてくる可能性もある。現にマスクなどで恩を売り始めています。ですが、中国を安易に信用してはなりません。先に挙げた中国人の特性を見てください。甘い顔をして、利用するだけ利用したら、途端に冷たい顔をする。こういった中国人の行動原理を深く理解し、把握した上で、敬して遠ざけることが肝心です。
石 平(せき へい)
1962年、中国四川省成都生まれ。北京大学哲学部卒業。四川大学哲学部講師を経て、88年に来日。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関に勤務の後、評論家活動へ。2007年、日本に帰化。『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』で、第23回山本七平賞受賞。『米中「冷戦」から「熱戦」へ』(藤井厳喜氏との共著、ワック)等、著書多数。2017年より自身のツイッターで本格的に写真作品を発表し好評を得ている。

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