メルケル退任を「喜ぶ」ワケ

 昨年12月は保守層にとっては「残念な」年末となったのではないでしょうか。日本国内では北京五輪の外交ボイコットを巡る問題、中国非難決議の見送り、国外ではウクライナ国境においたロシア軍の部隊増強で戦争勃発の気配が濃厚…など、悪いことずぐめに思えたためです。しかし、一人の外国人の立場から敢えて言いますが、そんな中でも希望を与える二つの出来事がありました。一つ目はドイツ元首相のアンゲラ・メルケルの退任、もう一つは武蔵野市の外国人住民投票条例の否決です。

 武蔵野市の条例については、否決されたとわかったときに思わず安堵のため息をもらしました。14対11の結果からわかるとおり、実は薄氷の結果であって、まさに「危機一髪」だったのです。

 しかし、否決後も武蔵野市の松下玲子市長は記者会見の場で「多様性を認め合い、支え合う社会を築くことをこれからも考えていきたい」と述べました。正直、外国人の目から見ても彼女の意見については疑問です。今後同様の条例が通れば留学生ですら投票権をもらいますが、投票したらすぐ国に帰り、日本に対する義務がは果たさない、ということが十分起こりうるわけです。どう考えてもその留学生の利益にしか繋がらない一方通行の利益なわけで、「支え合う」には程遠いでしょう。しかも、日本の内政に干渉したがる隣国勢にとってあまりに好都合で、まるで北京政府や朝鮮の反日勢力が利用することを前提として考案されたかのようです。

 そもそも選挙権とは「権利」の裏に重い責任が伴います。渋谷駅前で配るティッシュみたいに「もらいっぱなし」なものではありません。
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そもそも「多様性」って漠然としすぎでは?
 そもそも「多様性」とは何なんでしょうか。欧米では特に保守派の言論の自由への弾圧が進み、ポリコレやLGBTなどに疑義を述べた人は社会的に抹殺されるなど、実は「多様性」がない状況が進みつつあります。私はいまでも左右を問わず相手を尊重しながら自分の意見を自由に述べることができる日本こそが、最も多様性のある国家ではないかと思っています。

 武蔵野市の条例に関して言えば、この条例に反対の意見を表明し、疑問点を訴えるために武蔵野市において演説を行った人たちは抗議者によってあらゆる悪口を浴びせられました(参考記事)。抗議者たちは演説をまともには聞かず、議論をしなかったどころか、何回も拡声器を用いて演説を妨害しようとしていたわけです。

「多様性」尊重のはずなのに、反対派には不寛容

 残念ながら、世界から見たら松下市長発のこの条例と、その支持者たちの極端な不寛容は例外的ではありません。

 むしろ、現在欧米を中心としたほとんどの国々では外国人や移民に対する方針等が「武蔵野市的」なものに変わりつつあります。左翼やリベラル勢力がそれを後押しするのも同様です。後押しする理由は単に左翼思想の一貫だろうという考えもありますし、国ごとに歴史がある根深い問題であるゆえに根元を探るのは容易ではありません。ただし、確信をもって言えるのは、欧州の実質的なリーダーであったメルケル政権の影響で各国の移民政策が狂ってしまうとともに、反対派が厳しく抑制されるようになったという点です。

 2015年8月、メルケルはドイツがその年に受け入れる移民の数を80万人に増やしました。前年の約4倍という数です。また、同年の9月にフェースブックのCEO(現Meta)マーク・ザッカバーグと相談し、自分の移民政策に関しての批判的なコメントや投稿の削除を求めたといいます(ザッカバーグはその依頼を受けたとも)。

 しかし、その削除対象となった人々の言っていたことがはたしてヘイトスピーチばかりだったのでしょうか。

 例えば、ドイツにはPEGIDA(ペギーダ:西洋のイスラム化に反対する欧州の愛国者)という団体が存在します。PEGIDAとはイスラム過激主義(サラフィー主義等)のドイツ・欧州における浸透や、膨張する大量移民に反対することを目的として政治活動を始めた団体です。PEGIDAはナチス主義を明確に否定したこともあれば、移住それ自体に反対するわけではなく、本当の亡命希望者ならば(経済移民等ではなく)喜んで受け入れると表明してきました。構成員も男女を問わず、様々な民族や性的マイノリティから成り立っているので、世論調査によれば8人のうち1人のドイツ国民はPEGIDAのデモに参加したいと答えました。実際、PEGIDAのデモに参加する人数は1回あたり1万から1.7万人ほどいます。

 それにも関わらず、メルケル首相は一切PEGIDAの訴えたことを国民の声として認めませんでした。それどころか、2015年の新年の挨拶ではメルケルがPEGIDAを繰り返して強く批判して「この人達の心には嫌悪のほかに何もない。言っていることは人種差別そのものです。相手にしないでください」と述べたのです。国民の悩みを完全に無視しており、とても「多様性」を推進するリーダーとは思えません。
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自国民には「不寛容」だった?メルケル前ドイツ首相
 しかし、このような国民の不満があったにもかかわらず、主流派メディアがメルケル自身とその政策を大々的に称えたゆえ、西側を中心に欧州の国々が次から次へと同じような姿勢を取るようになっていったのです。

アイルランドでも広がった「不寛容」

 私の母国アイルランドでも、統一アイルランド党(FINE GAEL)のチャーリー・フラナガン下院議員はじめ、多くの政治家が目先の利益を追うために大量移民の波に乗りました。その傾向は未だに続いており、大きな問題が生じています。

 アイルランドはネイティブの出生率が欧州中で最も低い国の一つで、ネイティブが2050年までにマイノリティになる可能性が高まっています。住宅問題も抱えており、およそ1万人はホームレス、全国的に家賃の上昇は止まることがありません。そのような状況にもかかわらず、フラナガンは不法入国のカモフラージュとも思われる「亡命希望者」に無料でアパートを与えたり、彼らの長期間の宿泊費等を国民の税金で支払ったりしています。貨物船で発見された16人の不法入国者(クルド人)にいたっては、「どこに行こうと彼らの自由だ」と発言し、実際に数日後に彼らが脱走して行方不明になったことがありました。
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アイルランドでも大量移民政策が推進されるようになった
 アイルランドでも、政治家が大量移民政策に対して異議を唱えると、主流派のメディアに糾弾され、SNSのアカウントも削除されることがしばしばあります。したがってこの流れに危機感を抱いても、反論できない風潮になりつつあります。

 しかし、「投票」はアイルランド人の本当の気持ちを反映させます。かつて、武蔵野市の住民投票条例案と同様に、アイルランドでも外国人に関する類似の問題が起こったことがあるのです。

 2003年当時、アイルランド在住の非EU市民の約40-50%は市民権を手に入れんがためにアイルランドで子供を生んでいました。ところが、翌年の2004年にアイルランド憲法が改正が検討され(憲法改正第27条)、アイルランド島で生まれた個人のアイルランド市民権に対する憲法上の権利は「アイルランド市民の子供」に制限される、という改正案が国民投票に付されました。結果は、賛成79% 対 反対21%という大差での「可決」です。つまり、アイルランドで生まれるだけで市民権を得ることに反対したアイルランド人が圧倒的に多かったということです。

 この話は20年以上前の話ではありますが、近年の明るい光として、「移民推進系」政治家にとって不都合な事実を訴える独立系メディアがアイルランドでは近年増加している点が挙げられます。その一つは「ザー・バーキエン」(エドマンド・バークという保守政治思想家に名付けられました)というウェブ新聞です。2019年の記事に「アイルランド国民はこの大量移民方針を頼んでいないし、一度も公共で討論させてもらっていないのに政治家によって強制的実施されている」と憤り、国民の感情をうまく表明しています。

 日本人は優しく、外国人に対しても暖かく接することが多いので、日本に来る外国人に対して引いてしまうところがあると感じています。しかし、非合理的な外国人優遇策はいずれ日本を滅ぼすだけです。武蔵野市の住民投票条例案の否決とメルケル首相の退任を契機に日本も「移民政策は推進しなければならないもの」という意識を改めるべきではないでしょうか。国民の生活にかかわる問題においてはこれ以上大きな課題はないと言っていいでしょう。
ダニエル・マニング
1990年、アイルランド生まれ。ダブリン大学大学院(文学)卒業。アイルランドで半年間語学学校に勤務したのち、英語を教える外国人講師として栃木県の高校に赴任。現在は英文校閲者として出版社に勤務。日本語能力試験一級。幼い頃から祖父の影響で日本に興味を持ち、来日を夢見ていた。新たな夢は、日本の史実を英語で伝えること。

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