「戦争反対」の一つ覚えが招くこと
私が小学生のころ、兵庫県神戸市で当時中学3年生の男子生徒が、小学生の女児を殺害し、同じく小学生の男児を殺害して首を切断し、小学校の校門前に被害者児童の生首を飾るという極めて猟奇的な殺人事件が起きた(神戸連続児童殺傷事件)。
この事件の影響で、以降、全国の児童・生徒らに対して「なぜ、人を殺してはいけないのか」といったテーマでの道徳的教育が盛んに行われるようになった。この「道徳」は、「人を殺してはいけない」という観念を前提にしているという特徴があった。
しかし、現在の人間社会とは、その道徳的かつ法哲学的な歴史的経験則において、古代ギリシャ時代(カルネデアスの舟板論など)から連続した価値観を我が国も含め踏襲している。正当行為、緊急避難、正当防衛の3類型に限り「人を殺してよい」という道徳的規範を人類社会が共有しているにもかわらず、その歴史的経験則を児童生徒らと共有することなく、杓子定規に「人を殺しては駄目だ」という教義が宣布されていたのだ。そこには「経験」がなく、ただ、情緒的「観念」のみがあった。
同じ構図は「戦争反対」にもいえる。戦争という行為の是非は、長年の歴史的経験則の蓄積により、今日では国連憲章によって「武力行使」(同憲章第2条第4項)と「個別または集団的自衛権の発動」(同第51条)という2類型に分類定義された。
前者は現在のロシアがしていることであり、後者はウクライナがしていることである。前者は悪の戦争であり、後者は善の戦争である。なぜならば、誰しも他人に対して虐殺され奴隷化されることを受忍せよと言う権利はなく、尊厳ある人間である以上、不正に対して抵抗する「固有の権利」を奪うことはできないからだ。
この戦争の定義は、突然思いつかれたものではない。国家より上位の存在はないゆえに国家の行動の善悪を決めることはできないという前提から、あらゆる戦争が肯定されていた時代があったが、第1次世界大戦では機関銃と毒ガスという大量殺戮(さつりく)兵器が発明・投入されたことによって、あらゆる戦争を首肯することは人類の進歩にとって有利ではないことを人類社会は学んだ。そこで、1929年、パリ不戦条約(昭和4年・条約第1号)を各国が締結して「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スル」ことを定めた。しかし、この条約は「自衛権とは何か」という定義が不明瞭(未記載)であったため、第2次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)を回避できなかった。
日本人が経験能力に乏しい理由
ところが、日本国内にはこの戦争の定義を理解する者は少なく、「戦争反対」という文言がウクライナ侵攻後も巷(ちまた)にあふれた。これは「経験」がないため、人類社会の規範を共有できていないのである。かつて多くいた未開人のように。
では、なぜ経験能力がないのか。それは、本質的にない場合と、あるけれども別の認知を優先させている場合の2つがある。
前者は、医学的に説明されている。誰しも嬰児(乳児)のときに経験は微塵もなく、その後の成長によって経験の中に多くの情報を蓄積していき、やがて成人するころには一定の経験則がたまる。その者が勉強家であればあるほど、古代ギリシャから2500年分の叡智が経験則に蓄積されている。野蛮人の30歳は正味30年の経験しかないが、文明人の30歳であれば古代ギリシャから連続する2500年分の経験則を獲得しているのである。しかし、ある内因的な医学上の問題があると経験の蓄積は生後数年で止まる。この治療法は確立されていない。
後者の場合は、経験の蓄積すべき情報に「観念のフィルター」を通している場合だ。つまり、あらかじめ設定した観念上の定義と合致する本人にとって都合の良い情報のみ取捨選択して経験則に取り入れ、現実世界と大きく隔たれた観念世界を構築している場合である。これが非常に多い。
ウクライナ侵攻後、ある著名な日本人研究者が「私の知っているロシアは消滅した」と主張した。これは非常に哲学的に注目すべき発言である。つまり、侵略戦争前は「私の知っているロシア」で、それが侵略戦争開始後は「私の知らないロシア」に変化したというのである。しかし、実際はこの研究者の内面世界にとって都合の良い情報のみ選択して取り入れ、「私のロシア」という観念世界を構築していたにすぎない。研究しているようで実態はそうではなく、児童作家のように「空想世界」を構築する行為を「分析」であるとか「研究」であると自称し、それに大学機関などが学位を与えていただけであった。
「ありのまま」を記録するイギリス経験主義
イギリス経験主義は解釈をしない。ありのまま、すべてを記録する。そして、ある範囲において記録された情報すべてに共通する要素は何かという抽出作業をする。これを「帰納法」という。
一方、大陸合理論は解釈を前提にする。一の事実から関連する情報を取捨選択して構築し、積み重ねるように弁証を発達させていく。これを「演繹法」という。
観念論は、社会の停滞を吹き飛ばして新しい目的を建てることには役立つ。それは実際に社会を進歩的に良くも悪くも発展させてきた。一方で経験主義への偏重は社会の進歩そのものを停滞させる恐れがある。どちらも長所と短所はある。だからこそ、現代社会ではどちらか一つを学ぶということはなく、双方を理解できる教育法が採用されている。
ところが、日本ではこの戦後、大陸合理論の著名人は教育で知ることができるが、経験論の認知法がまったくといってよいほどないのである。極端な話、教科書はルソーの礼賛しかしていない。これでは、世界を見渡す視野を持つ人材は日本では育たない。
その後、イギリス経験論と大陸合理論は移民たちによってアメリカにもたらされた。そして、アメリカでこの2つの思想は結婚し、子どもを産んだ(哲学的表現ではアウフヘーベンした)。それを「プラグマティズム」という。
プラグマティズムでは、合理であろうと経験であろうと、利益を確保できる情況において適切な有利な方を選択することができる。思想とは実用的であることが前提である。ある原理原則のために利益を犠牲にすることや、短期的利益のためにある原理原則を容易に変更することを忌避(きひ)し、「状況において常に有利な選択」を意識する考え方がアメリカで普及した。
「経験主義の原理主義化」をすれば、カースト制度であろうと被差別部落制度であろうと、過去に存在していたというただそれだけ事由で首肯されてしまう。
一方で、「合理主義の原理主義化」をすれば、貴族制度や王室・皇室という統治にあたって歴史的に極めて多くの福利をもたらしてきた存在であっても、ただの一度の短期的な誤りを事由にして否定されてしまう。そこで、経験と合理を融合させたプラグマティズムは、状況によって肯定と否定の対象を「利益を得られる目的」において選択できるようにした。日本もそうあるべきだ。
日本人に残された時間は少ない
江戸幕府が公式に採用していた朱子学では「理気二元論」といって、「気」という物質が世の中を循環していて現象に影響を与えるという「経験では説明できない観念論」が官学に採用されていた。実際は江戸幕府の統治の正当性を肯定する目的で採用されていたものであったが、欧州諸国が一般人を徴兵訓練した兵制を採用していた頃、江戸幕府は血統を基準に将兵を採用するという「圧倒的に将兵の数が足りない」兵制を維持し続ける根拠にされていた。「悪い気」が漂うからである。
また、大日本帝国は「内鮮一体」という思想を掲げ、朝鮮半島へ対して大東亜戦争を2回繰り返せるほど多額の金額を投資した。しかし、朝鮮半島の伝統的価値観や習慣は日本人のそれとも欧米のそれとも異なっていた。価値観の異なる人々を共同体に組み入れるときに生じるコストを考慮した形跡はそこになかった。こうした傾向は朝鮮半島のみならず、当時の海外政策で多く見られる。その放漫な海外領土経営・投資は、大東亜戦争の遂行にとって有利に作用したのか、それとも割り振る人員・コストを削られるなど不利に作用したのか。いまだ検証されていない。経験に裏付けられない思想が、目的を損ねたのである。
そして、日本国は「平和憲法」という思想を掲げ、迫りくる外国の侵略に対して、いまだに決定的防御力を用意せず、同盟国の軍事力に依存する前提を続けている。防衛費の抑制を主張する政党と連立与党を組む中、中国共産党は「沖縄の帰属先は国際的に未確定」と述べ、またロシア下院は「北海道に対して我々は権利をもっている」と述べた。にもかかわらず、いまだ「観念の平和世界」から出てこないものが統治行為に関与している。
根拠のない妄想をすれば国は滅ぶ。それは、軍国的であろうと平和的であろうと同一である。日本人よ、残された時間は少ない。ただちに観念論を捨て去り、目の前の現実を「経験」に取り入れよ。降伏すれば虐殺されるという現実をしかと見よ。平和のために集団的自衛権を否定した国がどうなったか見よ。平和のため核兵器保有を放棄した国がどうなったか見よ。汝の観念がいかに平和と慈愛で満ち溢れていようと、侵略者の悪意が変わることはないことを自覚せよ。日本人よ、目の前の現実を経験に取り入れよ。残された時間はもうわずかだ。それが国を救う唯一の道だ。
※橋本さんの定期連載は今回で一旦終了となりますが、随時時局や政治経済に関する鋭い論考をご投稿いただきますので、今後もご期待願います(編集部)。
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。令和3(2021)年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。