【矢板明夫】緊迫する台湾&中国~南シナ海防空識別圏の攻防

【矢板明夫】緊迫する台湾&中国~南シナ海防空識別圏の攻防

 台湾の厳徳発国防部長(国防相)は10月7日、立法院(国会)での答弁で、中国軍機が頻繁に台湾海峡の南西方向に進出していることについて「南シナ海に防空識別圏(ADIZ)の設置準備をしている可能性がある」と発言した。

 中国が南シナ海でADIZを設置するとの噂は数年前から言われていた。最近、米中対立の深刻化に伴い、米海軍の空母展開をけん制するため、中国が南シナ海でADIZを設置することは避けられないと台湾の安全保障関係者たちが見ている。

 ADIZは、不審な航空機の領空接近を警戒するために、領空の外側に設ける空域のことで、設置するには、事前に高性能なレーダーを配備し、緊急発進する戦闘機の前方展開も欠かせない。中国はここ数年、南シナ海の人工島で軍事施設を建設し、レーダーと滑走路の建設は完成しつつあり、機は熟している。

 思い出されるのは2013年11月23日、中国が突然、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の上空を含む東シナ海にADIZを設置した時のことだ。当時、筆者(矢板)は特派員として北京に駐在していて、数人の日本人記者と食卓を囲み、料理が運ばれ始めたタイミングで、予兆もなく発表された。その場にいた全員が慌ててパソコンを開いて原稿を書き始めた。電話取材や本社とのやり取りで、結局、閉店までほとんど料理に手を付けなかったことを鮮明に覚えている。

 東シナ海のADIZの設定は、日本に対する重大な挑発行為といえる。尖閣諸島への主権侵犯だけではなく、公海上の空域を飛行する各国の航空機に対して、中国の手続きに従うことを一方的に義務付け、従わない場合は、中国軍による「防御的緊急措置があり得る」と恫喝している。

 民主党の野田佳彦政権による尖閣国有化の約1年後で、日本に対する報復の一環とも解釈された。のちに分かったことだが、中国政府は発表の時期を、米国のバイデン副大統領(当時)のアジア歴訪の直前に合わせたという。

 バイデン氏は同年12月2日に訪日した。安倍晋三首相(当時)は会談した際に、一緒に「ADIZの撤回」を中国に求めることを要請したが、バイデン氏はこれを拒否したという。3日に開かれた日米共同記者会見でバイデン氏は中国のADIZについて「強い懸念」と述べたにとどまった。

 翌4日に北京を訪れたバイデン氏だが、中国側との会談でADIZのことについて言及しなかったという。在北京日本大使館の外交官は「米国がこんなに弱腰だと日本は何もできないよ」と嘆いていた。

 当時、まったく注目されなかったことだが、実はバイデン氏の次男、弁護士のハンター氏は、その訪中に同行していた。米メディアが明らかにしたところによると、ハンター氏はその時、中国政府系銀行と米中合弁投資ファンド、渤海華美の設立について打ち合わせをし、その後、同ファンドの取締役に就任した。このファンドは中国政府から政策面で優遇され、ハンター氏は巨額な収入を手にしたとも伝えられている。

 外国の有力政治家の家族を懐柔することは中国政府の常とう手段だ。バイデン氏が中国のADIZに対し強く非難しなかったことと、ハンター氏の投資と関係している証拠はないが、バイデン氏はその後も、親中的な姿勢を取り続けたことはよく知られている。

 バイデン氏から「お墨付き」をもらった東シナ海のADIZは、日本、韓国、台湾などの猛烈な抗議にもかかわらず、既成事実となってしまった。その後、中国は東シナ海沿海部でレーダーシステムの整備や戦闘機の配置が着々と進み、今は、日本の空の安全の大きな脅威となっている。

 中国は次に、南シナ海でADIZを設置すれば、ベトナム、フィリピン、マレーシアなど東南アジア諸国の空の安全に影響を与えることは必至だ。国際社会がこれを黙認すれば、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が2016年に「違法」との判断を下した中国の南シナ海における九段線主張が、既成事実になりかねない。

 2013年当時と大きく違うのは、今の米国の対中姿勢だ。トランプ政権は仲裁裁判所の判決への支持を明確にしており、中国がADIZを設置すれば、強い対抗措置を取る可能性が高い。中国は躊躇せざるを得ない。

  一方、11月3日の大統領選挙(※)で、バイデン氏が当選すれば、「中国の動きは一気に早まるだろう」というのが、台湾の安全保障関係者の見方だ。日本にとっても他人ごとではない。

※本記事は『WiLL』12月号発売時点(10月26日)の状況に基づいております。
矢板 明夫(やいた あきお)
1972年、中国天津市生まれ。15歳の時に残留孤児二世として日本に引き揚げ、1997年、慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社に入社。2007年から2016年まで産経新聞中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『習近平 なぜ暴走するのか』などがある。

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