防衛費増の驚き

 ドイツのショルツ首相(社会民主党=SPD)が、連邦議会で、防衛費に関して対GDP比2%越えの13兆円の決断を発表、世界をあっと驚かせた。ロシアがウクライナに軍事攻撃を開始した3日後の2月27日のことだった。

 ドイツでは2度の敗戦の負い目から、軍拡は国際社会が許さないはずだ、という意識が強い。戦後、再び「善き側」に立つため、ナチスの記憶・反戦・平和教育を徹底してきた結果、政治色にかかわらず、平和主義文化が社会の全ての層に浸透した。日本同様、ドイツも軍服を着て街を歩くのは困難な雰囲気がある。「善き行い」が世界の歓迎を受けたのは冷戦のおかげもあった。しかし冷戦終結後、覇権国家の力の均衡が崩れ、紛争が増加した。そうなると「相互的集団自衛なのだから、軍事援助に参加せよ」と、戦後ドイツの誇りとしてきた平和主義文化は揺さぶられるようになったのである。

 現地派兵をせず、停戦後の掃海艇の派遣だけで終わった湾岸戦争(1990年)での支援は、「小切手外交」と激しく非難された。この「屈辱」後、1992年、カンボジアへの衛生兵の派遣、1999年、コソボ空爆への参加、2001年、「アフガニスタンの安定化」を目的とした1200人の派兵など、ドイツの「平和文化」は少しずつ方向を変えた。

 2017年のトランプ大統領就任以降、圧力は一層増した。「ドイツは対GDP比1%だが、米国のGDPはもっと大きいのに4%も出している」と、トランプは「連帯」を呼びかけた。2019年、メルケルはワシントンを訪問した際「対GDP比1.3%」、当時国防相のウーズラ・フォン・デア・ライエンは、「2025年までに1.5%にする」ことを発表していた(Deutsche Welle/2018年7月3日)。今回の決定が、いかに画期的であったかがうかがえる。

 ドイツの徹底した嫌・反トランプ主義もあっただろうが、「平和文化」はそう簡単には変わらなかった。2019年の時点では「ドイツ人の大多数は国防費の増加に反対」しており、連邦安全保障政策アカデミーの学長、カール・ハインツ・カンプは「防衛費対GDP比1.5%でもすでに軍国主義的だ」と述べていた(ハンデルスブラット電子版/2019年4月4日)。
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防衛費に関して対GDP比2%越えの13兆円の決断を発表したショルツ首相(ドイツ)

まずい出だし

 しかし、ウクライナの情勢が変わり始めてからの変化は目を見張るものがある。
 1月26日に国防相ランブレヒト(SPD)が、ウクライナへの軍事用ヘルメット5000個を供与すると発表すると、その「腰の引けた姿勢」が大きく非難された(Stern電子版/1月27日)。ドイツの軍事支援は、攻撃用の武器でないことは原則だった。保守色の強い大衆紙BILDは、公式動画で「いい加減専門知識のある人間を国防大臣にするべきだ」と「クォーター政権じゃないのか」と非難した

 閣僚の配置にクォーター制を導入したリベラル色の強い「信号政権」が、ここではクォーター制へのこだわりから能力が適切でない人物が適用されている、と揶揄(やゆ)されている。
 リベラル左派と産業寄りの自由党という相反した利害を持つ連立政権には、ただでさえ初頭から懐疑的な目が向けられていた中、まずい出だしであった。それでも、ベアボック外相(緑の党)やショルツは、武器提供を否定するという強固な立場を崩さなかった。ウクライナは「希望リスト」を独政府に提示し、対空ミサイルシステム、対ドローン銃、電子追跡システム、暗視装置および弾薬を要求したが、2月上旬の時点ではベアボックは、これを拒否している(ZDF/2022年2月11日)。

 ショルツは西ドイツ出身だが、若い頃NATOを「侵略的な帝国主義」と呼ぶ極左で、SPDの青年組織である「JUSO」(Junge Sozialisten)に所属していた。旧東独のドイツ社会主義統一党(SED)は、ショルツを「NATOとの戦いにおける重要な同志」と見なしており、顔パス入国という特待を与えていたというから驚きだ(FOCUS電子版/2022年1月14日)。ショルツの武器提供に対する消極性は、彼の極左的過去に端を発しているようである。
 唯一、ドイツが軍事関与を許される「大義」がある。「欧州や世界の人々の自由と民主主義が危険にさらされている場合」で、基本法87条4項と24条2項に規定されている。

 2月24日のロシアのウクライナへの攻撃の「ショック」は、ドイツ国民に「大義」を確信させた。マスコミの集中的な「ウクライナと共に」の報道と世論の「許可」は政府の背中を押した。数々の生々しい映像は、侵略される恐怖感を刺激し続けている。もともと危機には大変敏感な国民性だが、この2年間の新型コロナパンデミックで、危機へのセンサー感度がかなり高くなってもいる。

 左翼政権の心情としては複雑だろうが、こうなったら「不人気側」に立ってばかりもいられない。ショルツは、「ロシアの攻撃は戦後の秩序への脅威」だ、と対戦車兵器1000台と地対空ミサイル500基の提供を発表した(n-tv/2022年2月26日)。ウクライナへの武器提供についての世論は2月初めの時点で、7割が「反対」を唱えていたが、1カ月後には、8割が「賛成」に転じている。左派リベラルの南ドイツ新聞は「残念ながら」という枕詞(まくらことば)付きで「武器なしの平和は幻想で、平和の実現は軍拡なしにはあり得ないというのが現実だ」と持論を述べた(南ドイツ新聞電子版/2022年3月2日)。
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保守色の強い大衆紙BILDは「いい加減専門知識のある人間を国防大臣にするべきだ」と「クォーター政権じゃないのか」と非難
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カビだらけの箱

 2011年以降、徴兵制も廃止された中、ドイツ国民は自衛力の低さを思い知らされることになった。ウクライナの武器提供で、国防軍の所有する武器が「カビだらけの箱」に入れられ、製造から30年以上もたった旧東独時代のものだった、ということも判明した。
 ミュンヘン連邦軍大学の国際政治学教授、カルロ・マサラは、今年1月、「ドイツ連邦軍の兵器と物的運用の準備に関する新しい報告」で、連邦軍の軍事運用力の74%は整備中や他の理由で使用不可能な軍備を除いているため、実質はもっと低いと見ており、これを「問題ない」とする国防総省の見方を問題視している(ビジネス・インサイダー電子版/2022年3月31日)。

 左翼界隈からは「どんなものでも武器提供は違憲だ」、親ウクライナ派からは「そんなものを『在庫処分』として提供するなんてひどい」と、またしても両方面から非難が起こった。軍事専門家のGernot Kramperは「カビが生えた大量の箱は、倉庫で働く兵士の健康に有害だが、兵器自体に問題はない。部品や化学物質が劣化しているので、確かにドイツでは使わないレベルだが、ウクライナはそれでも良い、と言っており、恐らくオーバーホールして使うのだろう」と説明した(Stern電子版/2022年3月7日)。これで、怒りが静まるかは不明だが、倹約家のドイツ人らしい発想である。

 平時なら「人殺し」と非難されかねない業界も「大儀」のおかげで難なく軍拡に協力できるようになった。産業界とのつながりが深い野党のキリスト教民主同盟(CDU)党首のメルツは、ウクライナへの重火器を含む武器供給の必要性を最も強く訴える政治家の1人だ。彼は「もっと早くやらなかったのは遺憾」と表明したが、与党の判断を歓迎した。「在庫処分」後の補給は、軍事産業を潤(うるお)している。軍需・防衛および自動車部品の2つ事業を柱とするエンジニアリング・グループ「ラインメタル」の株価は2月22日の90.90ユーロから、3月3日には156.60ユーロ、同月25日は202ユーロを示した。これは、過去5年遡(さかのぼ)っても見られない高値である。

ドイツのジレンマ

 ドイツは、石油35%、天然ガス55%、石炭50%をロシアからの輸入に頼ってきた。この危うさは、以前からCDUや、「イデオロギーの観点から」緑の党などからも指摘されていたが、ロシアのウクライナ東部地域の独立承認以降、批判が一気に高まった。ショルツは「ロシアの重篤な国際法違反」を理由に、未稼働のノルドストリーム2プロジェクト事業承認の無期限停止を発表した(ハンデルスブラット電子版/2022年2月22日)。

 1カ月後に、副首相兼経済・気候保護相ハーベックは「1kW節約する時ごとにプーチンにダメージを与える」と、2024年夏までにロシアのエネルギー依存から脱却するという方針を示した(ビジネス・インサイダー/2022年3月25日)。だが、一般のドイツ人の心情はアンビバレントだ。3月末の時点で52%の国民は、ロシアからの供給を完全に止めるべきではない、という意見である(n-tv電子版/2022年3月29日)。

 エネルギー価格は、昨年の同月比較で平均25.9%と「記録的なペース」で値上がりしている(ターゲスシャウ電子版/2022年3月21日)。これは、日々の食料品にも明らかに反映されてきており、この数週間で日々食べる小型のパン「ブレートヒェン(Brötchen)」の価格は30%強増加し、財布を直撃した。ロジスティックや生産全てに関わるエネルギー価格の高騰は、確実に日常に入り込んできている。独統計局は3月のインフレ率は7%強、先月と比べ約2.5%増になると発表したが、これは90年代に統計を開始して以来の最高値である。

「環境のためなら、ロウソクの生活も厭(いと)わない」と言うほど環境保護への愛が強い国民性から、まずは節約という意見が少なくない。「赤青」政権からは、73年のオイルショック対策だった「車無しの日曜日」や「アウトバーンで時速100キロの制限速度を設ける」という「テンポリミット」案が出されている。また、「悪のロシアからの購入をボイコットするため、寒ければセーターを着よう」という「PutinではなくPulli(セーター)を!」という「欲しがりません勝つまでは」張りのパロールがトレンドとなっている(Suedkurier電子版/2022年2月28日)。

 しかし、国家の緊急事態であるからには、前述のハーベックは3月20日、世界3大液化天然ガス輸出国のひとつであるカタールの首長と会い、「エネルギーパートナーシップを結ぶことで合意」し、解決への「扉が開いた」と語った。が、カタールのアル・カアビー・エネルギー担当国務大臣は、欧州へのガス供給が可能になるのは、現行契約が終了する2026年以降で、供給キャパシティーは欧州全体の要求量の20%ほどだ、と現実を突きつけた(Welt電子版/2022年3月26日)。

 米国からのフラッキングガスの熱いアピールもあるが、ロシアの何倍もし「生産過程が環境に良くない」商品は、ドイツの選択肢から外されている。
 これに対し「左翼の中の右翼」サラ・ワーゲンクネヒトは、国際法違反や非道徳性を理由にロシアのエネルギーから離脱し、人権問題を抱えるカタールからエネルギーを買うという「緑の偽善」を自身のユーチューブ動画で批判した(「ロシアの代わりにカタール?緑の偽善とその壊滅的な結果について」2022年3月24日 )。ハンデルスブラットは、この件に関し読者に意見をつのると「ペストとコレラの比較だ」「この取引でカタールに中間層ができれば、人権問題の解決につながるのでは」などの声が寄せられた(電子版2022年3月21日)。

 ハイパーインフレや出口の見えないエネルギー安全保障の問題などから、ショルツの人気は3月末頃から徐々に落ち始めている。ドイツが戦争に引き込まれることに反対する層からは、思いのほか「見直されて」いるが、ウクライナを積極的に軍事支援すべきだ、という世論が優勢的な中、ショルツ政権の正念場がすでに始まっている。
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「左翼の中の右翼」ワーゲンクネヒト
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旧東独の親ロシア的傾向

 社会研究・統計分析会社FORSAの3月の調査で、戦争への不安は西側に比べ旧東独で相対的に低いという結果が出ている。
 第一外国語がロシア語だったことなど、東独には親露的な「プーチンの理解者」が比較的多く、反米的傾向も強い。旧東独の学生から聞いた話では、「東独では、米人によるアメリカンインディアンの虐殺について必ず歴史でやる」という。

「ドイツのための選択肢」(AfD)の支持者は東のほうに多いのも特徴的だ。AfDは「ネオナチ」視され、憲法擁護局の監視対象になっている。AFDは、ウクライナ戦争勃発の際、NATO東方拡大の責任の大きさ、EUの外交の失敗、ドイツの中立的立場を主張し、エネルギー問題については、ドイツの自給率を高めるために、原発再稼働、石炭火力の復活などをあげている。

 なお、ドイツでは今年いっぱいで稼働終了予定の三基の原発があるが、原子力工学教授のJörg Starflingerは「これらの原発はあと数年間は確実に電力供給できる状態にあり、性能的に問題ない」としている(BW24電子版/2022年4月5日)。BILDでも「議論さえタブーなのはおかしい」と、最低でも「つなぎ」としての原子力発電の可能性について言及した(電子版/2022年4月8日)。このあたりは、日本の核武装の議論を彷彿(ほうふつ)とさせる。
 実際に生活すると、旧共産圏の人々は国家や政権に対する不信感が強いように感じる。「西の『眠れる羊たち』と違って、私たちは政府の強権が市民の自由を奪っていることを敏感に感じ取る」と、旧東独の友人は語った。「私の体・私の選択」を掲げ、「自由と民主主義のために」コロナワクチンの義務化に反対する運動がより活発なのも旧東だ。

 ドレスデンではロシアの旗を振り、「親ロシア」を掲げる人々もみられる(南ドイツ新聞電子版/2022年3月20日)。ドイツでのワクチン未接種者の数を鑑みると、「旧東独的な」見方をする国民は少なくとも約3割弱存在すると推測される。「少なくとも」としたのは、接種者であっても「恒久的接種」や「選択の自由の侵害」に反対して「散歩」(コロナ対策非難デモ)に参加する人もいるからである。
 ドイツは大いなる過渡期を迎えている。
ライスフェルド・真実(マサミ)
1970年、福島県生まれ。東洋大学短期大学文学科英文学専攻卒業。ゲオルク・アウグスト・ゲッティンゲン大学M.A.修了。専攻は社会学、社会政策(比較福祉国家論)、日本学(江戸文学)。在独25年。東日本大震災を機に国家とは何か、等についての思索を続ける。

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Y 2022/5/13 17:05

ドイツでは慰安婦像がライプツィヒ大学などの講義に持ち込まれ、日本人への憎悪教育に使われるようになったそうです。なでしこアクションさんで紹介されています。
ドイツの路上に新たに建造された慰安婦像も結局そのままです。また近々新しいのが立つでしょう、滅茶苦茶な碑文とともに。

同国が日本に色目を使いだしているような話もあるが、こんな一大反日国家と友和はあり得ない。また後ろから刺されるに決まっている。
世界的な日本の「歴史戦」惨敗は、日本の歴史・政治教育のぬるさもさることながら、隣国のようなプロパガンダ組織を設置しないことが一大原因です。

みーみー 2022/5/8 13:05

今回のウクライナ紛争をきっかけとし、安全保障政策を見直し、エネルギー問題含めて難しい舵取りに現実的に取り組んでいるドイツと、いまだ憲法9条で日本の安全が保障されると現実を直視せず、核武装の議論ですら進まない日本との比較がよく理解できる論文で、大変興味深い記事でした。日独は第二次敗戦国同士ですが、日本もこの機にいつまでも諸外国の顔色を伺うだけの萎縮外交から脱却し、日本の自主独立を再構築する安全保障政策を水面下で推進すべきだと思います。

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