岸田文雄新首相の「人の話を聞くことが誰よりも優れている」との言葉を聞いて、正直、愕然とした。危機の宰相に期待されるのは、強力な指導力と、ここ1番の決断力という「変事の才」である。人の意見に耳を傾ける聞き上手は美徳に違いないが、戦時より平時にこそふさわしい。いまは、武漢発の新型コロナウイルスと闘い、中国の巨大プレッシャーに抗する戦時に近い変事である。
聞くといっても、大衆の声は気まぐれでつかみどころがない。「下手の大連れ」になりかねないから、国難の時代にはそぐわない。他方、役どころの多い官僚たちのささやきは、「役人多くして事絶えず」と迷走するのが常だ。ここぞという時には、政治指導者の断固たる決断がなければ国家の推進力にならない。
現に日本の近くには、世論など歯牙にもかけない独裁者が支配する中国、ロシア、北朝鮮がある。とくに、アメリカから覇権を奪おうとする中国が、台湾の併合を虎視眈々と狙っている。10月1日から4日までに、戦闘機、爆撃機、対潜哨戒機などが台湾の防空識別圏(ADIZ)に侵入し、過去最多の累計149機で脅しまくったばかりだ。
中国による台湾への威嚇行動が激増し、わが尖閣諸島を狙って力技を見せているときに、日本のトップから拒否するメッセージが出ない。岸田首相に「聞く力」があっても、所信表明演説を通して、中国の覇権主義的な行動を問題視する「発信力」に欠ける。
配下の岸信夫防衛相が「台湾の平和と安定は日本に直結している」と明快なのに、肝心の首相が、ウワサ通りの優柔不断になるのでは、との不安が消えない。逆に、岸田首相への期待値が高い同盟国のアメリカから、「見かけ倒し」とそっぽを向かれないよう祈るばかりだ。
実のところ、総裁選中を通じて、その発言から岸田首相に対するアメリカの評価は、きわめて高かった。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)のように「安全保障問題に関しては菅義偉首相よりも強硬な姿勢を示す」と好意的にとらえられていた。
総裁選中に岸田候補にインタビューした同紙は、岸田氏が「民主主義が権威主義の拡大に対抗する中で台湾がその最前線にあるとし、中国に対する強硬姿勢をにじませた」として、岸田氏がミサイル迎撃能力の構築を考えていると歓迎していた。
聞くといっても、大衆の声は気まぐれでつかみどころがない。「下手の大連れ」になりかねないから、国難の時代にはそぐわない。他方、役どころの多い官僚たちのささやきは、「役人多くして事絶えず」と迷走するのが常だ。ここぞという時には、政治指導者の断固たる決断がなければ国家の推進力にならない。
現に日本の近くには、世論など歯牙にもかけない独裁者が支配する中国、ロシア、北朝鮮がある。とくに、アメリカから覇権を奪おうとする中国が、台湾の併合を虎視眈々と狙っている。10月1日から4日までに、戦闘機、爆撃機、対潜哨戒機などが台湾の防空識別圏(ADIZ)に侵入し、過去最多の累計149機で脅しまくったばかりだ。
中国による台湾への威嚇行動が激増し、わが尖閣諸島を狙って力技を見せているときに、日本のトップから拒否するメッセージが出ない。岸田首相に「聞く力」があっても、所信表明演説を通して、中国の覇権主義的な行動を問題視する「発信力」に欠ける。
配下の岸信夫防衛相が「台湾の平和と安定は日本に直結している」と明快なのに、肝心の首相が、ウワサ通りの優柔不断になるのでは、との不安が消えない。逆に、岸田首相への期待値が高い同盟国のアメリカから、「見かけ倒し」とそっぽを向かれないよう祈るばかりだ。
実のところ、総裁選中を通じて、その発言から岸田首相に対するアメリカの評価は、きわめて高かった。米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)のように「安全保障問題に関しては菅義偉首相よりも強硬な姿勢を示す」と好意的にとらえられていた。
総裁選中に岸田候補にインタビューした同紙は、岸田氏が「民主主義が権威主義の拡大に対抗する中で台湾がその最前線にあるとし、中国に対する強硬姿勢をにじませた」として、岸田氏がミサイル迎撃能力の構築を考えていると歓迎していた。
WSJもさすがに、岸田氏がハト派リベラルの派閥「宏池会」を率いていることは知っていた。被爆地の広島選出で、これまで核兵器廃絶を訴えてきたと認識している。それでも、岸田氏は「向こうのミサイル攻撃能力を阻止する能力も持ち合わせる必要がないだろうか」と述べていると評価した。
保守派の論客、ウォルター・ラッセル・ミード氏は、岸田首相が安倍晋三元首相の実弟である岸防衛相を留任させたことは、「現在進行中の変化の深さを象徴している」として、「戦後の外交政策の特徴だった平和主義を容赦なく捨て去っている」と絶賛する。
ジョンズ・ホプキンズ大学のハル・ブランズ教授にいたっては、攻撃的な中国と不確実なアメリカのショックの組み合わせで、「世界情勢の中で眠っていた巨人・日本が目を覚ます」と持ち上げている。
岸田首相の所信表明演説は抽象的ではあるが、確かに日米同盟を基軸としつつ、領土・領海・領空と国民の生命・財産を「断固として守り抜く」と語った。さらに、自由、民主主義など普遍的価値を「守り抜く覚悟」も表明している。同盟国と連携して「自由で開かれたインド太平洋」の推進を約束しており、その通り実行するなら同盟国としては心強い限りだろう。
だが、どうやってそれを実現するのか。ブランズ教授のいうように、中国の急速な台頭と、アメリカの相対的な衰退に対応するには、憲法改正は欠かせない。残念ながら我々は、2015年秋の宏池会研修会で岸田首相が「当面、憲法第9条を改正することは考えていない」と述べたことを知っている。岸田氏が著書の中で、「自衛隊を『国防軍』にするとか、平和主義に基づく『専守防衛』の精神を放棄するといった考えには……安易に変わることはできません」と明言しており、彼の在任中に憲法改正が実現できるとは考えにくい。
我々は岸田首相が総裁選の論戦で、前言を翻して任期中の憲法改正を目指すと表明したことを忘れない。皇位の安定継承策に「『女系天皇』以外の方法」を求めもした。国家安全保障戦略の改定に加え、敵基地攻撃能力の保有を「有力な選択肢」とした。言葉通りに実行するなら、潜在的な「変事の才」が引き出されたとみなすことができるのだが……。
保守派の論客、ウォルター・ラッセル・ミード氏は、岸田首相が安倍晋三元首相の実弟である岸防衛相を留任させたことは、「現在進行中の変化の深さを象徴している」として、「戦後の外交政策の特徴だった平和主義を容赦なく捨て去っている」と絶賛する。
ジョンズ・ホプキンズ大学のハル・ブランズ教授にいたっては、攻撃的な中国と不確実なアメリカのショックの組み合わせで、「世界情勢の中で眠っていた巨人・日本が目を覚ます」と持ち上げている。
岸田首相の所信表明演説は抽象的ではあるが、確かに日米同盟を基軸としつつ、領土・領海・領空と国民の生命・財産を「断固として守り抜く」と語った。さらに、自由、民主主義など普遍的価値を「守り抜く覚悟」も表明している。同盟国と連携して「自由で開かれたインド太平洋」の推進を約束しており、その通り実行するなら同盟国としては心強い限りだろう。
だが、どうやってそれを実現するのか。ブランズ教授のいうように、中国の急速な台頭と、アメリカの相対的な衰退に対応するには、憲法改正は欠かせない。残念ながら我々は、2015年秋の宏池会研修会で岸田首相が「当面、憲法第9条を改正することは考えていない」と述べたことを知っている。岸田氏が著書の中で、「自衛隊を『国防軍』にするとか、平和主義に基づく『専守防衛』の精神を放棄するといった考えには……安易に変わることはできません」と明言しており、彼の在任中に憲法改正が実現できるとは考えにくい。
我々は岸田首相が総裁選の論戦で、前言を翻して任期中の憲法改正を目指すと表明したことを忘れない。皇位の安定継承策に「『女系天皇』以外の方法」を求めもした。国家安全保障戦略の改定に加え、敵基地攻撃能力の保有を「有力な選択肢」とした。言葉通りに実行するなら、潜在的な「変事の才」が引き出されたとみなすことができるのだが……。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。