「新生」しても相も変わらず―野党の迷走

「新生」しても相も変わらず―野党の迷走

 9月16日の首班指名で共産党は「枝野幸男」と書いた。共産党が「志位和夫」以外の名前を書いたのは22年振りだ。その理由について同党の志位委員長は「先方から首相指名での協力要請があった」と、立憲民主党から働きかけがあったことを認めている。

「それも最近の話ではない。もう1か月も前から、枝野代表が共産党に対して床に頭を擦り付けるようにして、『枝野幸男』と書いてくれと頼んだようです」

 ある記者がこれを教えてくれた時、とっさに筆者の頭に浮かんだのは志位委員長に三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)する枝野代表の姿だった。
 三跪九叩頭とは、中国皇帝に謁見する家臣や属国の使者が行う挨拶の形式だ。号令に合わせて土下座状態で額を地面に打ち付けるらしい。号令をかけたのは小沢一郎氏か、中村喜四郎氏か―。だがそこまでは頭に浮かばなかった、残念。

「しかしこれで枝野は共産党に大きな“借り”ができた。候補者調整の時にはぐいぐいと押しまくられるでしょう」

 その記者が話す通り、借りは必ず返させられるのが永田町のルールだ。しかも共産党は野党共闘にこれまでにないくらい積極的。枝野代表は本当に共産党を巻き込んだ政権を作れるのか。政治家ならなんとしても総理大臣になりたいという気持ちがあるのはわかるが、そこまでやるか?

 さらに情けないのは国民民主党だ。首班指名では共産党と同じく「枝野幸男」と書いたのだが、枝野代表から何の依頼もなかったらしい。連合への忖度で「玉木雄一郎」と書けなかったのだろうが、それならなぜ白票を投じなかったのか。どっちみち菅義偉首相の314票(衆議院)、142票(参議院)に遠く及ばず、結果には変わりはなかったはずなのに。

 さらに国民民主党は9月25日、あの山尾志桜里氏を比例東京ブロック単独1位に据えることを公表している。山尾氏は2017年の衆議院選で男性スキャンダルのために民進党を離党したが、愛知県7区で辛勝。立憲民主党を経て7月に国民民主党に入党した。野党崩壊の一因を作った山尾氏は、当初から同党愛知県連から強烈に拒否されまくっている。
 もっとも「ほとんど帰っていなかった」と言われていた愛知県7区を放棄するのは良いとして、少しでも当選の可能性のある比例東海ブロックにノミネートされないというのは非常に厳しい。で、なんで東京ブロックなんですかね?

 玉木代表によれば「山尾さん本人が愛知県か東京かと望んだ」ということだが、国民民主党は東京で票を獲るのは諦めたのか。

 なお山尾氏は東京ブロック単独1位に決定したことが公表された直後、喜々として玉木代表を伴って会見した。国民民主党入党早々に玉木代表を“政策顧問”である倉持麟太郎氏の有料動画に出演させてもいる。リーダーには政策能力よりも「峻別する力」「断る力」の方が重要だと思うのだが、みなさん、いかがでしょうか。
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安積 明子(あづみ あきこ):ジャーナリスト
兵庫県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。
1994年、国会議員政策担当秘書資格試験合格。参議院議員の政策担当秘書として勤務の後、執筆活動を開始。夕刊フジ、Yahoo!ニュースなど多くの媒体で精力的に記事を執筆している。

安積さん出演のトーク動画(ふーちゃんネル)はこちら

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