濱田浩一郎:尾身会長への提言――日本でロックダウンが不...

濱田浩一郎:尾身会長への提言――日本でロックダウンが不可能な理由

私権制限の是非と憲法改正

 政府分科会の尾身茂会長は8月中旬、新型コロナの感染拡大を食い止めるための有効な手段を問われ、次のように語った。「個人、一般の人々、市民に対する行動の制限というのは、これはまったく今まで、これまでお願いベースでやってきた。感染リスクの高い行動を避けることが可能になるような新たな法律の仕組みを作るべき」だとしたのだ。個人の行動を制限できるよう法改正を求める意見を主張したわけだが、果たしてそれは正しいのであろうか。

 先ず、大前提として、現在の日本では個人に対して強制力を持って私権を制限する法律はない。よって、海外で行われているようなロックダウンはできない。仮にロックダウンをするとなると、本来ならば、憲法改正を行ってから実行すべきであるとの見解もある。つまり、憲法に「緊急事態条項」を設けよというのだ。国家緊急権は、戦争や大災害の際に、国民を守るための緊急措置を取る権限であり、世界の国々のなかには、憲法などに緊急事態条項として規定されていることが多い。しかし、日本にはそれがないので、外出禁止違反者への罰則をはじめ、私権を制限することはできない。だから、新たに法整備をしようというのだ。

 一方で、憲法を変えずとも、ロックダウンなどの強い措置が可能と説く学者もいる。その根拠は、科学的根拠がある感染症対策を日本国憲法は禁じていない。だから、個人の権利を守った上で法整備すれば良いという主張である。「科学的根拠がある感染症対策を日本国憲法は禁じていない」との主張が現行憲法のどこに対応するか、その論者は述べてはいないが、おそらく、第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」、第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」ではないだろうか。

 国民の自由は保持しなければならないが、国民は自由を濫用してはならないということだ。これら条文は、公共の福祉に反する行動をする人がいた時には、その行動を制限することも射程に入っているのではないか。例えば、感染症が蔓延している最中にみだりに外出し、感染を拡大させる。これは「公共の福祉」に反する。よって、罰則を加えることも可能となるのではなかろうか。そうであるならば、憲法を変えずとも、特措法の改正でロックダウンできてしまうことになる。
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濱田浩一郎:尾身会長への提言――日本でロックダウンが不可能な理由

神奈川県の黒岩知事からも「ロックダウン」という言葉が出てきた―
via wikipedia

ロックダウンよりもワクチン接種を優先しろ

 緊急事態条項を設けるか否かについて議論することは良いとしても、現在進行形で感染が広まっている新型コロナをどう抑え込むかに「憲法改正」を絡ませるのは、現実的ではないだろう。憲法を変えるハードルが高いし、緊急時においては時間的余裕はないからだ。何より、ロックダウン自体、果たして感染症対策として、どこまで有効かという問題もある。

 菅義偉首相が会見において、諸外国においても「ロックダウンは決め手にならなかった」と指摘されたように、ロックダウンしても、感染が収まるわけではない。ドイツやオランダもロックダウンを延長したりしているし、フランスもロックダウンしても、重症化して集中治療を受けている患者が増えていた(2021年3月)。一方でワクチン接種が進んだイギリスでは、7月19日から新型コロナ流行に伴う法的規制の大半が解除された。ロックダウンよりも、ワクチン接種を進捗させることが、問題の解決に繋がることはほぼ間違いないだろう。

 現時点の日本において、私権を制限する辛く苦しいロックダウンを実行するよりも、素早くワクチンを打っていったほうが余程良いのではないか。私が心配するのは、仮に将来、ロックダウンを実行することになったとしても、政治家がそれを上手く活用できるかということである。緊急事態宣言の出し方を見ていても、実に拙劣だ。「のんべんだらり」と何カ月も宣言の延長を繰り返したり、宣言を出したり引っ込めたり、実に締まりがない。緊急宣言が発令されていない時が「異常」になっている感がある。だから、宣言を守ろうという国民も少なくなる。よって、ダラダラと宣言発令をするよりも、人出が多くなる時期に期間限定で発令するほうが余程効果的であろう(私は、宣言の発令自体に懐疑的ではあるのだが)。
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濱田浩一郎:尾身会長への提言――日本でロックダウンが不可能な理由

日本では、すでに累計接種回数が1億1831万回を超えた新型コロナワクチン。2回接種を終えた人も5177万人となり、山口県では2回接種完了が50%に到達したとか(いずれのデータも8月22日時点・日本経済新聞「チャートで見る日本の接種状況 コロナワクチン」より引用)

日本政府にロックダウンをコントロールできるのか

 ニュージーランドのアーダーン首相は8月17日、国内で新型コロナウイルスの感染者が約半年ぶりに1人確認されたとして、全国で感染警戒レベルを最上位の「4」に引き上げ、ロックダウン(都市封鎖)措置を導入すると発表した。「たった1人でロックダウン」というのも驚くが、注目すべきはその期間である。アーダーン首相は、17日午後11時59分から3日間、全国にレベル4の警戒態勢を敷くと宣言しているのだ。かなり、短期間のロックダウンになる可能性も高い。

 このように的を絞って、政策を実行したほうが、効果はあるだろう。日本の場合、政府がロックダウンを実行したのは良いが、ダラダラと無闇に続行する危惧がある。また、的外れの時期にロックダウンする懸念もある。そうした政治家の能力に関する心配だけでなく、ロックダウンに伴う経済損失も気になるところだ。「ロックダウン1カ月半で、1年間の経済損失1兆5000億円」とする試算も公表されている。2カ月から2カ月半続いた場合の経済損失は、約2兆5000億円増加するとも言われている(東京大学の仲田泰祐准教授らの試算)。こうなると、経済低迷に伴う自殺者が増加する事態になってしまうだろう。それも何としても避けなければならない。

 日本での新型コロナの死亡率は欧米諸国に比べて圧倒的に低い。これも、日本においては、新型コロナでロックダウンを強行することの意味を問うものであろう。経済的損失のみ多く、死者数の大幅低下にそれほど効果が上がらないとすると何のためにロックダウンをするのか、その根本が問われてくる。全国知事会や分科会の専門家は「ロックダウンを!」と主張しているようだが、そう安易にロックダウンをやるべきものではない。政治家の能力の問題、多大な経済的損失、新型コロナという感染症の問題、限定的効果…以上のようなことを踏まえて、私はロックダウンには反対である。
濱田 浩一郎(はまだ こういちろう)
1983年、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路獨協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し迫り、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本人はこうして戦争をしてきた』、『日本会議・肯定論!』、『超口語訳 方丈記』など。

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