コロナ禍は井伊直弼を求む――後編

コロナ禍は井伊直弼を求む――後編

コロナ禍で分かった日本に欠けていた教育とは?

 東日本大震災の時には “想定外のことを想定する必要があった” ということがさんざん言われたが、コロナ 禍の時には“当然の前提として誰も疑わないで、目の前に存在していることすらなくなるかもしれないということを考えることが必要だ”ということが分かった。それがコロナ禍の教訓だ。つまり、東日本大震災は“想定外のことを想定できる人間を生むような教育”をする必要がある。

 そして今度のコロナ禍は “全く当たり前のこととして存在しているその存在すら気づかない事象を一旦取り払って、それすらなくなった社会はどうあるべきか”を考えられる人間を教育し、育てることがコロナ禍の教訓だ。

 つまり、絶対に起こらないことが起こるということを考えることができる人間を教育する必要がある(東日本大震災/福島の教訓)と同時に、絶対なくならないで当然のこととして存在しているものすらなくなることがあるということを思いつき、それがなくなった時に社会がどうあるべきかということを考えつき、設計していくことができる人間を教育して育てる必要がある(コロナ禍の教訓)ということだ。

 それがどういう教育か?
 少なくとも今の日本の教育ではそういう人間は生まれない。
 しかし、当然のこととして存在している誰もが疑わないでその恩恵に預かっている事象を一旦取り払って、それがなくなった時のことを考えることができる人間、なくなった時にどうあるべきかということを設計できる人間、そういう人間を生む教育とは、どのような教育であるべきかということを考えていかなければいけない。

 私はユダヤ教徒だが、ユダヤ教のヘブライ聖書ではまさに当然のこととして存在している誰もが疑わず、その恩恵に預かっている事象を完全に神が人間の足元から奪い去って、人間の教育を根本からやり直したことが何度となくヘブライ聖書には登場している。

 例えば、バベルの塔の物語だ。皆さんもよく知っているバベルの塔は神が人間の傲慢を怒られて人間が建てた高層ビルディングであるバベルの塔を破壊された、という物語ではない。実はバベルの塔を建てるための前提となっていた人間の統一言語、つまり人々が同じ言葉を話すために人々は思い上がってバベルの塔のようなものをつくってしまったという統一言語を神が一旦否定され、それまでしゃべっていた人々の言葉が急に通じなくなってしまったとヘブライ聖書には書かれている。

 日本人に例えて言うならば、急に夫婦の間で日本語すら全く通じなくなってしまったようなもの。テレビもラジオも新聞も何をしゃべっているのか、何が書かれているのか全く分からなくなってしまった。その時に人々はどのように意思を疎通したのか。言語の教育はどうしたのか?

 もう一つはノアの方舟の物語である。これも人間の誰しもが想像できないような大洪水を神が起こされ、地球上のすべてが大洪水の水に埋め尽くされ、残ったのはノアの方舟に残っていたノアの家族と一つがいの動物の種族だけという世界がいきなり到来したのである。この時に人間はどのようにして生き延びてこられたのか? 

 コロナ禍にあって我々はノアの方舟をつくることができるのか。
 ノアの方舟をつくる人間を生む教育はどのような教育なのか。ノアは方舟をつくるのに非常な長期間を要した。世間の人々はノアを気ちがい呼ばわりし、誰もノアと付き合おうとはしなかった。今で言えば、SNSで激しい中傷誹謗に遭ったような状態にノアが陥ったのである。誰ともノアは口をきいてもらうこともない。誰もノアに食料を売ろうともしない。完全に吊るし上げをくった状態で何十年もかかってノアの方舟を設計し、つくり上げた。ノアのような人間を育てていく教育はどうあるべきかということをコロナ禍の教育論として考えていかなくてはならない。

 試験に受かることだけの記憶技能教育を6-3-3-4と16年間も受けてくれば試験に出ない「根源的な問題」を考えることすらできなくなる。
 なぜ日本は5G技術を押さえることができなかったのか、なぜZoomは日本製でないのかという根源的な問題を考えることが必要だ。そのような根源的な問題を考える人間を教育できなかった日本の教育の根源的な問題は何か、ということを考える人間を教育する教育が必要ということだ。

 タラ・ウエストオーバーとかライアー・ノイマンのように。全く学校へ行かずに偉大な学問的業績を達成した人物がいる。そういう人間でないと、5G技術を押さえ、Zoomのようなものを日本が生むには、どうすればよいかを考えられないだろう。サモス島にピタゴラスが打ち立てたピタゴラス研究所は当時のギリシャ世界のスーパー天才だけを集めた。そのサモス島から次から次へと後世1000年に渡る偉大な学者がうまれている。

 サモス島で鍛えられた世界に偉大な哲学者数学者物理学者倫理学者たちは以下の通りだ。

・ピタゴラス……BC6世紀。サモス島出身。数学者
・メリッセウス……BC5世紀。原子物理学者 あらゆる物質は電子により構成されるという理論を打ち立てた
・エピクロス……サモス島出身倫理学者物理学者BC4世紀。トーマス・ジェファーソン、カール・マルクスに大きな影響を与える。Ataraxia(アタラクシア=心の平静不動なる状態のこと)理論を打ち立てる。社会経済学の先人

「超はみ出し人間」教育塾のような古代ギリシャのピタゴラス研究所のようなものが今の日本にはない。ただし世界にはある。ここが問題なのだ。ギリシャのサモス島のピタゴラス研究所のような研究所が21世紀の世界にいくつか存在する。

・Cold Spring Harbor研究所(アメリカ)
・Weizmann科学研究所(イスラエル)
・Princeton高等研究所(アメリカ)
・Austria科学研究所(オーストリア)
・Jawaharlal Nehru先端科学技術研究センター(インド)

 その他、世界の公共政策に関する研究所の世界トップ5にも日本はない。

・Brookings研究所(アメリカ)
・London Chatham House王立国際問題研究所(イギリス)
・Carnegie研究所(アメリカ)
・Stockholm国際平和研究所(スウェーデン)
・戦略国際問題研究所CSIS(アメリカ)
・RAND研究所(アメリカ)

コロナ禍が問いかける「根源的問題を哲学的に研究する必要性」

 このような研究所またはシンクタンクがコロナ禍の今、研究すべきことは以下のようになる。

 人間が地球に誕生して約6500万年の間にたゆむことなく継続して行ってきたのは、神が人間よりも前にこの地球上に誕生させていた人間以外の植物を含めた生態系及び自然環境を破壊するという行為である。
 その破壊速度は神が生態系及び自然環境を守るために地球に深く埋められて利用できないようにしておられた石炭と石油、天然ガスを神の意志に反して掘り出し、利用し、燃焼させることにより、加速度的に生物生態系及び自然環境の破壊が起こってきていることを前提として考えると、新型コロナウイルスよりももっと病原性の高い、かつ感染力の高いウイルスが次々と襲ってくることは容易に想像される。

 私はこれを感染症の連続大爆発と呼ぶが、感染症の連続大爆発で人間に求められているものは、そもそも神が創られた宇宙において人間という存在が一体なんであるのかという極めて根源的な答えを探し求めることができる人間を1人でも2人でも集めて、その深い思慮と先見性を提言させ、一般の人々がそれを謙虚に受け止め、噛み砕き、実行することが求められていると言わざるを得ない。

 そのような思索と考察、提言ができる人間は、現在の日本国があまねく実施している6-3-3-4という通常の教育システムからは生まれるべくもなく、また過去において生まれてきたこともない。
 公教育たる6-3-3-4とは全く違った教育の道を提供する必要があり、そのような道から初めて宇宙に於ける人間とは何であり、どうあるべきであり、どうなるかという根源的な問題について解答を提供することができる人間が生まれてくる可能性がある。

 そのような全く別ルートの教育とは、いかなる科学技術の進歩があろうとも現在の人間が数千年前の人間と比べて根本的に違うことはないのだから、我々は数千年の歴史を振り返り、上記のような根源的根本的な問題に対して、どのような歴史上の人物が答えを出そうとしていたかを知ることによって、そういった過去の人物が、どのような教育と学習により思索と考察を深めることができたのかを振り返ってみなくてはならない。

 そうする時、1000年、2000年にわたってその輝きを失うことのない偉大な考察を行った人間は誰であるかを探してみると、どうしても我々は偉大なギリシャ哲学者にたどり着くことになる。その筆頭に上げられるのがピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、エピクロス……という面々だ。

 宇宙の中における人間とは何か、そして宇宙の中において人間は何のために存在し、どうなろうとしているのか、どうあるべきかという極めて根源的な問題に解答を出す思索と思考、考察は、現代の学問上の分類をそれに当てはめるならば、哲学、宗教学、神学などと言われるものに帰属することになるが、そもそもがあまりにも根源的な問題であるがゆえにそういった学問分類が当てはまるものでもない。
 現在の日本の6-3-3-4という教育制度の下では到底このような根源的な問題に思考を深め考察する人間が生まれてくるはずもないのである。

 私は「教育の縮小再生産」と呼んでいるが(石角完爾著のThe Japan Times社『アメリカのスーパーエリート教育』8ページ)、同じ教育システムを受けた先生から教育される子供は、先生と同じような 大人になっていくのであるから、特に日本のように同調圧力の強い国、出る杭は打たれる国にあってはなおのこと、公教育は縮小再生産を行う自動金太郎飴製造機である。

 根源的な問題に思考を深め考察する人間が生まれてくるためには、全く違った教育システムが存在する必要がある。例えば、タラ・ウエストオーバーはモンタナの山の中に住んでいた出生証明書もない、アメリカの法制度上人間として認められてすらいない法的境遇下にあり、隣の家まで1時間も2時間も歩かなければ、どこにも行き着かないという山の中に住んでいて、教育と言えばモルモン教徒としてのモルモン教の聖書と、自習用の図書を独学で勉強することだけであり、それも母親からか父親から教えてもらうという教育だけ。

 つまり、アメリカの州政府や連邦政府が用意する公教育とは全く別の家庭における宗教教育と自習の中で育ったのである。従って、普通のアメリカ人とは全く違う思考方式、思考方法、考え方、着眼点、思考パターンを有することになるのは必然である。

 日本では公教育制度が整っており、義務教育として全ての子どもは日本の公立学校や政府が認める私立学校に入学させなければならないから、日本の公教育は日本人全員に課され、その結果としてその公教育を受けた先生が教える子供たちはほぼ同一の思考パターンと同一の能力を多少の優劣の差はあるにしても有することになる。平たく言えば金太郎飴が再生産されるということだ。

 ピタゴラスは紀元前、その創設したピタゴラス研究所はギリシャ全土から、いわゆる天才だけを集め、独特の一種の宗教教団とも言うべき共同生活と食事戒律のもと、哲学、数学、倫理学等を研究するという一種の研究教団、今で言うシンクタンクをつくり上げた。
 そのピタゴラス研究所で教えられたことは、魂と肉体との関係、それと数秘学等である。宇宙天体の動きと数学理論について、ピタゴラスはその禁欲的戒律と食事戒律に従うことによって魂を閉じ込めている肉体が浄化されることにより魂が解放されるとし、音階と天文の中に比例に従った調和を発見し、宇宙の原理は有限と無限からなる数であるとし、数学においては直角三角形に関する定理、奇数順列の定理、方陣三角形の内角の和が二直角に等しい証明法理、正五角形の作図法、地球の球体説などを唱えた。

 プラトンは紀元前5世紀のギリシャの哲学者。プラトンは学問における方法論を確立した哲学者であり、具体的には形而上学と倫理学を確立した。そして知性的認識の優位論をとり、存在論としては感性の世界と思惟の世界を区別したアイデア論を形成。後にアテネに真の理想的な国の統治者を養成するプラトンアカデミア、いわばプラトンシンクタンクを創設した。

 ソクラテス、紀元前5世紀のギリシャの哲学者であり、人間の根源は肉体ではなく霊魂であり、霊魂の健全性こそ人間としての幸福が実現できた状態であるとする。また人生における価値、すなわち善はロゴスによって吟味されることができるとし、学問の基礎は帰納法と概念的定義にあるとした。

 アリストテレスは紀元前4世紀のギリシャの哲学者。論理学、倫理学、物理学、政治学、社会学などあらゆる学問領域の研究を行った。また動物学、生物学、物理学、物質の構成に関する元素の提唱などを行ったが、1つの大きな功績はアテネにライシーアムすなわち通常の公教育とは別の特別高等学校を開設したことである。これが現在のイタリアに引き継がれ、イタリアのライシーアムというのはイタリア全土からの選りすぐりの優秀な高校生を集め、数学、ギリシャ語、ラテン語、ギリシャ哲学を教えるエリート校として現在に至っている。

 私が言う感染連続大爆発とは、ここ何十年、未知のウイルスが人間界を度々襲って来る頻度が加速度的に頻繁になってきていることだ。エボラ、デング熱、新型鳥インフルエンザ 、豚インフルエンザ、MERS、SARS、そして今回の新型コロナウイルスである。その間隔が徐々に短くなっていていることは否めない。

 となると、人間はワクチンの開発を次から次へと強いられることになり、ついにはワクチンを開発したと思った途端に別の超新型コロナウイルスの波が襲ってくることになるであろうと思われる。そして、ついにはワクチンの開発が間に合わない頻度で新型ウイルスが次々に襲ってくる。 これが私が言う感染の連続大爆発である。

 従って、世界はここで人類とウイルスの問題について根源的根本的に考え、研究し、新しい哲学つまりウイルスの下でも人間はどうあるべきかの価値体系を打ち立てる必要がある。

 つまりいずれも神の創られたウイルスなる半生物と万物の霊長たる人間との関係を根本的な角度から研究し、イーロン・マスクの言う人類の火星移住で救われる人類の数は非常に限られていることを鑑みると、やはり、この神が人間に与えた地球という天体における人類と人類以外の生物体系、植物体系、環境及びウイルスの関係について根本的な根源的な理論を打ち立てる必要がある。

 そして、そのような研究を行う人間は日本の6-3-3-4という公教育の中から生まれるものではなく、やはり数千年の試練を耐え抜いて現在でもその輝きを失っていない「超はみ出し人間」たるギリシャ哲学の巨星たちの現代版を生み出す必要がある。

 私がここに必要だと主張している研究所、あるいはシンクタンクは、ワクチンや治療薬を開発する先端科学研究機関のことではない。まったく別の角度から人類とウイルスの関係につき深い哲学的な考察を行い、その考察に基づき世界の人類に向かって、今後の地球という惑星における人類と自然環境、植物層、動物層そしてウイルス との関係から一番の地球における新参者の人類が取るべき行動科学的研究はどうあるべきかということにつき、古代ギリシャ哲学者のように今後1000年、2000年の歴史に耐える提言を行うことができる哲学者集団のシンクタンクを地球的規模、すなわち各国の支援と拠出のもとに創出することである。

コロナ禍が求める日本の教育改革とは

 そのような人物を生むための日本の行うべき教育改革は、次の二点。

 ①“無料のオンライン自習教育”を欧米のMOOC、edXにならって早急に充実させることである。
 私が思うに、かかる哲学的人材の育成輩出のためには6-3-3-4とは全く別の「オンライン自習教育」が必要であり、それ以外の方法では、クラスルームの同級生から邪魔されず、 深い哲学的思索をめぐらすことのできる人材の育成輩出が難しいと考えるからである。

 なぜなら、すでに述べている通り、教育は縮小再生産の宿命を負っており、6-3-3-4の教育を受けた先生が教える子供たちは、先生と同じ金太郎飴を再生産するだけだからである。
 ギリシャの偉大な哲学者のような人材を生み出すためには、クラスルームの同級生からいじめられず邪魔されない自習しかない。もとより紀元前のギリシャ、特にサモス島において多くの偉大な哲学者が生まれたのはなぜかということを研究する必要はある。

 21世紀の現代日本においては、日本を代表する知性を具現する最高クラスの大学教授をもってしても、そのような哲学的思索をめぐらすことができる人材を生み出すのは 、それらの大学教授といえども6-3-3-4制の申し子であるから、クラスルームのある教育では不可能であると言わざるを得ない。自習に基づく天才の発芽を待つ以外にはない。
 逆に言えば、いかに他の生徒からいじめられず邪魔されない自習の機会を充実するかである。その模範解答は欧米に存在するMOOC、edXだろう。

 ②自習を補完することができるのは、世界最高クラスの図書館の整備である。
 図書館こそ理想の自習室であるからだ。ウイルス と人類及び動植物生態系という3つの登場人物を考えた場合に、生き方を変えることができるのは人類だけであり、動植物生態系及びウイルスにその生き方を変えるよう求めることは不可能である。
 我々人類がウイルスを封じ込めるためには、動植物生態系とどのような関係を構築する必要があるのか哲学的に考察する以外にない。

 ウイルスを封じ込めるということは、言葉の綾であり、逆に言えば人類がいかにウイルスから逃避することができるかという封じ込め、即逃避であるという冷厳なる認識のもとに人類の地球環境における逃避のあり方を深く考察する哲学者が、今後の数千年の人類の在り方につき提言されることに期待したい。

コロナ禍に必要な人材は哲学者的操舵者

 コロナ禍が日本に教えることは、極めて根源的な問題に哲学的な思索をめぐらすことができる人間を教育する教育が必要であること。そして、そのためには古代ギリシャの偉大な哲学者たちのようなレベルの人間を生み出すための教育が日本に必要であり、それは何かということを論じたところであるが、さらに普遍してみたい。

 実はギリシャの偉大なピタゴラス、アリストテレスなどの哲学者は、いずれもユダヤ教の影響を強く受けている。実際ピタゴラスはHermippus of Smyrna(紀元前のの哲学者)によって「ユダヤ人たちの考えの受け売りである」と非難されているし、またアリストテレスとユダヤ人との間の意見交換が頻繁にあったことはClearchus of Soli(紀元前のギリシャの哲学者)が明らかにしているところである。

 日本民族は世界一優秀な民族の一つだと思う。ただし、但し書きが付く。
 方向感覚がない。くだけた言葉で言えば、ハンドリング(操舵)さえ間違わなければ日本人は最高級のエンジンを持った民族だと言える。 この方向感覚がない国や集団を、ユダヤ教では「頭に尻尾が付いた蛇」と表現している。目がないから、どっちに進んで良いか分からない、という例えだ。

 ユダヤはヘブライ聖書という方向指示器GPSを持つ民族だが、日本民族はそれがない。
 核分裂という最先端技術が戦争の帰趨(きすう)を決する原爆という核爆弾を製造することにつながるという極めて重要な目標の存在すら気づかない無謀な舵取りが始まり、原爆投下→敗戦という破滅の道を進むことになったのである。

 核分裂以外の例を挙げてみよう。
 半導体のメモリーチップに邁進した日本企業各社の失敗例である。方向感覚に優れたユダヤ人経営のインテルl、は密かにメモリーチップの集積回路製造を手放し、PCの頭脳とも言うべきOSチップの製造に舵を切った。ユダヤ人の方向感覚の確かさである。
 その結果、インテルは世界のパソコンのOS市場を独占。日本は半導体のメモリーチップの製造を韓国に追いつかれ後塵を拝することになってしまった。

 方向感覚の優れた一人の人間がトップにいて舵取りをするかしないかは、企業も国も大きな分岐点になる。しかし、戦後アメリカという水先案内人を得ることにより、方向を定める舵取りはアメリカに任せて馬力のあるエンジンの製造に邁進したお陰で、今日の繁栄を築くことができた。
 だが、方向感覚なき優秀民族の集団である日本という現状は、令和の時代になっても変わっていない。 明治維新以降、方向感覚を間違わずにこれたのは、その都度その都度の水先案内人よろしく世界の方向感覚を持った国が日本を先導したからである。
 その先導者がいなくなった時に、本民族は方向感覚を失い間違った方角に進んで自沈している。
 それが、原子爆弾投下および焼け野原の敗戦という国家破滅の道を進む羽目になってしまった。

 戦後はマッカーサー及び占領軍、そして朝鮮動乱まで、アメリカのホワイトハウス及びアメリカ軍が日本の進路を決定する意思決定中枢部を担った。朝鮮特需を経て日本が経済力をつけるにつれ、アメリカは日本の水先案内人の役割を放擲(ほうてき)し、徐々に日本を経済的敵国と見なすようになってきたことにより、日本はアメリカ、イギリスという水先案内人を失った。

 コロナ禍で日本が気づいたことは、日本が5GやZoomに象徴される先端産業の開発者ではなく、単なるユーザーに成り下がったということである。しかし、コロナ禍のこれからは水先案内人の代役は、もはやいなくなったという現状を認識する必要がある。つまり、自らの内から水先案内人たる根源的根本的な日本の進路を感じ取ることができ、哲学的思索を深めることができる人間を生んでいく必要がある。
 そのような国家の大きな方向性を決めることができる人材を生み出す方策については、すでに提案した通りである。

コロナ禍の日本が方向感覚を養うための2つの示唆

 もう1つの方策をここで提案しておきたい。それは島国単一民族国家、日本の欠点を補う方策である。
 詳しく理由を分析することは本稿の性格上不適切であるから結論だけ言うと、島国の単一民族国家は国家の舵取りを誤ることが多い。それが戦前の日本であり敗戦というみじめな結末を招いた。

 なぜ日本人は、特に幕末の開国以降国際競争、国際的敵対関係の荒波にもまれた時、国家の大きな方針決定の方向性を見失うのかという点について述べておかねばならない。
 それは私の見るところ、意思決定の合議制と教育制度にあると思う。
 つまり、会議に参加する全員が同じ教育を受けてきた人間であるがゆえに同じようにしか考えられないから、もともと合議の意味がないのに「意見の一致をみた」と決定されたと突っ走る。

 コロナ禍になって、テレワークの必要性が叫ばれたが、なぜ日本が5Gの基本的技術の開発に著しく出遅れたのかという議論をする人材が現れない。なぜZoomが日本製のものでないのかという議論をする人材が現れない。

 イギリスは日本と同じく島国であるが、単一民族国家ではない。スコットランド、アイルランド、イギリス 、アングロサクソン等が入り混じる多民族国家であり、しかも日本と違い、7つの海を支配した大英帝国の英連邦というアンテナを世界中に張り巡らせている。また、ついこの間まではEUの一員であり、ヨーロッパ域内の往来が全く自由で、ヨーロッパ中から高度な職種に至るまで働きにきている。

(1)Fugu Plan(フグ計画) … 香港人の受け入れ
 そこで日本のこの欠点を補うのに一つ参考になるのが「フグ計画」である。第2次世界大戦の末期、日本軍のフグ計画について少し述べておこう。実は非常に今わかりやすいフグ計画が実例として2020年6月時点で起こっているので、読者にお見せしよう。

 それは香港の治安維持を目的とした国家安全法が成立したことに伴い、自由を求める多くの香港人が海外脱出をはかっている。その数は数十万人から数百万人のレベルに達するかもしれない。その受け皿として、イギリスは長期滞在ビザと国籍までをも香港脱出する香港人に与えると表明した。そして、2020年6月には台湾も香港脱出の香港人を大量に受け入れると表明している。

 このイギリス、台湾の動きこそ、まさに第2次世界大戦の末期、日本軍のフグ計画そのものである。2020年イギリス、台湾の動きは香港のアジアの金融センターとしての最新の金融知識と金融工学、金融ITテクノロジーを持った香港人を大量に自国に受け入れることにより、自国産業特に金融産業の浮揚をはかろうというものである。あわせて香港人の持つ広大な華僑のネットワークも取り込もうというわけである。

 また香港にはアジアで1、2を争う香港大学や香港科技大学があり、その科学技術レベルは世界でも指折りである。そういった科学技術者をイギリスや台湾は呼び込もうとしている。
 残念ながら日本はそういう着想もないのか、香港人に長期滞在ビザや国籍を与えるという政策は打ち出していない。東京を国際金融センターにするなら香港人を取り込まない手はなかろうに。

 さて結論を急ごう。
 私は日本国が方向感覚を具有するようにするためには、次の2つのうち1つ、もしくは両方を早急に具体化する必要がある、と思う。 読者の一部には国の中枢の高官に、ユダヤ人や外国人を登用するなどとんでもないという意見を持たれる方が多いかと思うが、世界ではなんら珍しいことではないことを付け加えておく。

 また紀元前のエジプトでは、ユダヤ人ジョセフがエジプトの内閣総理大臣に登用されたという史実もある。また最近では、ニクソン大統領の国務長官ヘンリー・キッシンジャーはユダヤ人であったし、アメリカの日銀総裁に相当するFRBの議長はグリーンスパン、バーナンキ、イエレンをはじめ、ユダヤ人がその職に就くことが多かった。

(2)日本軍のフグ計画…ユダヤ人の受け入れ
 戦後に関して言えば、6-3-3-4という公教育の充実と、それに伴う義務化が教育の縮小再生産すなわち、そのような教育を受けた先生に教育される生徒ばかりになり、そのような生徒から生まれた先生がまた、同じ教育システムで教育するから金太郎飴がどんどんと生まれるという状況になる。こういう状況では、日本以外の国が全く違う方向に舵を切ったことに全員が、誰しもが気づかない。切り株を守る現象に陥る。

 1つだけ例を挙げておくとすれば、中国には紀元前960年頃から開封という都市に多くのユダヤ人が住み着いたが、開封のユダヤ人は北宋の皇帝に取り立てられ、地方の行政長官、今で言えば知事職にまで重用されているという史実がある。無論開封のユダや人が漢語で官吏登用試験の科挙試験を受けた結果ではあるが。

 そして、2番目はユダヤ人のような国際的なネットワークとギリシャ哲学の源流となるユダヤ哲学ないし、それに匹敵する哲学の、哲学的思索を深めることのできる人材を数万人規模で日本に移住させ日本の政策決定のメインストリームに昇進させることである。具体的には財務大臣、日銀総裁、内閣総理大臣の特別補佐官などにそういった人材が登用されることである。

 まず第1は巻頭言で述べたギリシャ哲学者ほどの深い思索をめぐらし根源的な問題につき、提言ができる人材を教育する人材の発掘。そして、そのような人材を教育するシンクタンクの整備、並びにそのような人材が生まれるようにするためのMOOC、edXの日本版の早急なる実現。国会図書館を凌駕(りょうが)する大英図書館、アメリカ国会図書館並みの図書館の整備。

 このフグ計画に従い、日本が占領する上海には東ヨーロッパからナチスドイツに追われたユダヤ人約1万5000人が避難民として逃れて定着した。しかしその後、1939年になってソ連がナチスドイツと劇的な不可侵条約を結んだために、ヨーロッパのユダヤ人たちはソ連を通過して満洲に難民として移住することが極めて難しくなる中、例の杉原ビザによって、やっと数千人のユダヤ人がウラジオストクから船で敦賀に逃れてきて、神戸に難民として到着したが、日本占領の満州国に留まることはなかった。しかし日本が真珠湾を攻撃するにおよび、このフグ計画も実質的に消滅しまったのだ。

 しかし第2次世界大戦末期、日本は満洲国や上海にナチスドイツを追われたユダヤ人を数十万人規模で受け入れ、学校病院を建築し、宗教信条の自由を保障し、ユダヤ文化、ユダヤ伝統およびユダヤの独自教育を許す自治区をつくってよいとするフグ計画を実施していたのである。狙いは、ユダヤ人を大量に移住させ、日本の対米政策を後押ししようとしたが、この計画は頓挫した。
 そこから日本の迷走が始まる。エズラ・ボーゲルというユダヤ人教授が戦略的に書いた『Japan as No.1(ジャパン・アズ・ナンバーワン)』という書物に騙され、自分で舵取りができると思い上がったのだ。 もし日本国内に大量のユダヤ人がいれば、ボーゲルの隠された意図を見抜いて騙されないようにアドバイスをしてくれただろうに。

 第2次世界大戦の帰趨を決するのはユダヤ人科学者の研究していた原子爆弾であるという方向感覚の舵取りをしかと踏まえたのは米英である。
 方向感覚なき舵取りで、残るわずかな戦費を巨砲巨艦の戦艦大和の建造にあててしまった日本の過ちは、戦後日本がアメリカの日本版マーシャルプランともいうべき朝鮮戦争特需で経済成長し、アメリカが日本を経済的な敵であるとみなすようになり、舵取りの手綱を手放すようになってから、悲しいかな再び方向感覚なき地上に出たモグラの状態に日本はまたぞろ成り下がってしまっている。

 そして、日英同盟を結んだことは大英帝国イギリスという極めて方向感覚に優れた水先案内人を日本が得ることになった。
 ところが、日英同盟を破棄し、水先案内人たるイギリスを失ってから、日本は地中にいた目の見えないモグラがいきなり地上にほっぽり出されたごとく、方向感覚を失ってしまった。

 日本がロシアの属国になったかも知しれない命運を賭けた日露戦争は、ユダヤ人が日本に対し水先案内人となり、間違った方向に行くことのないよう先導したのである。日本海海戦に必要なほとんど全ての戦艦を調達するための戦費は、高橋是清がユダヤ人の大金融資本家ヤコブ・シフと、彼の後ろに付いていたユダヤ金融資本ロスチャイルドが提供した。
 また、日本海海戦に必要な戦艦の建造の資金及び戦艦建造の能力のなかった日本を手引きしてイギリスの軍艦製造所に発注できるように斡旋したのはヤコブ・シフ、ロスチャイルドグループのユダヤ人たちであった。

 日本民族が徳川幕府の215年の鎖国を脱して世界の国々と一気に競合関係に入ることになったが、それまでの長い鎖国状態ですっかり方向感覚を失ってしまっていた。
 あたかも地中に長く閉じこもって眼が見えなくなったモグラがいきなり地上に飛び出したようなもので、どちらに舵取りすれば間違いないか、その方向感覚がないまま世界の列強と伍して戦うはめになった。眼の見えないモグラ状態は令和になっても続いている。
 つまり、ユダヤでいう頭に尻尾がついた蛇の状態になってしまったのだ。そういう状態の日本だったということがコロナ禍でついにはっきりした。
 気がつけば産業国家としての舵取りを完全に誤り、戦時中の日本が犯したと同じような方向感覚喪失、巨砲巨艦主義が国家の産業政策の方向だと誤り、パンツをはかずに泳ぎ、切り株を守っていたという姿に気づいたのがコロナ禍である。

 2020年夏、香港の難民を大量に受け入れることにより、日本国が将来どのような人材をその香港難民から育てられるか、それを日本国のために活用できるのかということの議論ができる人材を教育する人材がいないという問題点に気づいていないことが問題である。
 観光やカジノ産業だけでは国の防衛はできないことに気づく人材が生まれてこないことが問題であると指摘する人材を教育する人材がいないことが問題なのだ。

操舵者・井伊直弼を生んだ日本に虹はまた輝く

 だが、見方を変えれば国民的総意や場の雰囲気ではなく、それに影響されずに一人の人間が深く真剣に考えて政策決断をすることができる人材を日本が持った史実がある。
 そこにこそ日本に希望がある、と思うのだ。幕末の彦根藩のまったく末席をけがしていた井伊直弼が大老にまで上り詰めた、その教育は直弼自身の自習にあったことをもう一度我々は噛みしめてみる必要がある。

 日本の近代史上唯一日本人自身が、ユダヤ人やイギリス人、アメリカ人の舵取りではなく、自らの手で正しい方向判断をして舵取りをなし得た唯一の例、それも国家の存亡を賭けた国家命運の舵取りを日本人自身の手でなし得た唯一の歴史上の人物とは、若くして江戸幕府の中枢の筆頭にまで登りつめた井伊直弼である。

 彼が成し得た舵取りとは、日米通商友好条約を反対派からの暗殺の脅しにも屈せず、「私の命よりも国家の命運の方が大事である」と直弼の有名な言葉に象徴されるように、日本中の反対、しかもその反対は殺すぞという具体的な暗殺脅迫を受けながらも、頑として開国に舵を切ったその直弼の判断。これはまさにヘブライ聖書のノアに匹敵する。そして、ノアを彷彿とさせる唯一の日本人であったと言える。

 ところが直弼のこの決断力と判断力、貫徹力は決してその当時の公教育、藩校によって育まれたものではなく、自習と独学により育まれたものだ。

 直弼は彦根藩の庶子として生まれ、藩主を継ぐ順位としては14人目という最下位に過ぎなかったので、幼少の頃から彦根城から追い出され、僧院での独学を強いられた。しかし、その独学ゆえに、大勢に流されず、まわりの空気を読むという付和雷同性を身に着けず、確固たる信念を貫き通す「忖度をしない人格」が形成されたのである。まさにヘブライ聖書のノアの再来といってよい。

 不幸にして、まわりに敵をつくるほどの強固な意志の持ち主であったがゆえに暗殺されたが、その暗殺時、直弼は幕府の大老の職にありながら、弱冠45歳という若さであった。丁度オバマがアメリカ大統領になったのが47歳であったから、オバマ並みの若さで国の命運を決める舵取りを誰の助けも受けることなく成し遂げたのである。

 このような人物を井伊直弼以降、日本で探すことは難しい。だからこそ、ピタゴラスをはじめとするギリシャ哲学者のような深い思索と思考を重ね、哲学的アプローチができる人材を生むためには、日本の現在の6-3-3-4制の公教育ではなく、独学自習の道を用意する必要がある。

 直弼は特に物事を深く考えることを追究し、物事の原点に立ち返って真理を追究することを学問の中枢とする彦根藩の藩校弘道館で学んだが、その弘道館は徳川幕府の学問の根幹であった朱子学に反対し、荻生徂徠(おぎゅう・そらい)の徂徠学を対抗学問として教えていたことで知られている。

 要は、物事を原点に立ち返って古典歴史を深く哲学的に考えるという真理追究の哲学教育を行っていたのが彦根藩の弘道館だった。直弼はその弘道館の教育はほどほどにし、むしろ彦根藩の中にあった善照寺の寺侍から西洋学問、科学、政治学、地理などを聞き及び、独学を重ねることで広く深く物事の真理を追究するという気風を身に付けていった。

 ちなみに直弼は彦根藩の藩主の座につくや、教育こそ藩政の要であると著しく教育重視の政策を打ち出し、弘道館の教育改革、教育振興を力を入れて取り組む。彦根藩の庶子14番目の14男として生まれた直弼は何かにつけ不利に扱われ、17歳から30歳近くまで自分自身が、「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けたあばら家で一人独学する日々が続いたのである。

「埋木舎」で自習に自習を重ね、物事の原点と真理を深める哲学的思索にふけっていた直弼の歌に、

「世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」

 というのがある。世間の動きを冷静に立場を変えて眺めている埋れ木のような自分であるが、自分の心までも埋もれてしまったわけではない、という意味だ。
 そして国のため、世のために舵取りを間違ってはいけない、ましてや私利私欲、その地位にとどまるために保身に走ってはいけないという指導者としての心構えを直弼は、

「あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世に こころを くだきぬるかな」

 と詠んでいる。押し寄せる波のように日本国に難問が押し寄せようとも、私の心はその難問を突破するため波を砕いて突き進もうとしていると詠んでいるのである。2020年の日本の官邸にある人間らとは全く違う熱き心を感じる直弼の歌ではある。

 そして、直弼の国家の舵取りを決して間違わないぞ、という決意のほどを詠った歌に、

「咲きかけし たけき心の ひと房は 散りての後ぞ 世に匂ひける」

 がある。命を落としても国のために決断をするという、こういう人間こそノアの方舟のノアであり、コロナ禍に求められる日本の指導者像ではあるまいか。

 井伊直弼を生んだ日本に、また虹(※)が輝くことだろう。

※虹は、ユダヤの神の祝福の象徴。 地上に神の怒りの矢を降らせないと言われ、神の弓を天に向け置かれた形が虹の形とユダヤでは言う。
石角 完爾(いしずみ かんじ)
1947年、京都府出身。通商産業省(現・経済産業省)を経て、ハーバード・ロースクール、ペンシルベニア大学ロースクールを卒業。米国証券取引委員会 General Counsel's Office Trainee、ニューヨークの法律事務所シャーマン・アンド・スターリングを経て、1981年に千代田国際経営法律事務所を開設。現在はイギリスおよびアメリカを中心に教育コンサルタントとして、世界中のボーディングスクールの調査・研究を行っている。著書に『ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!』、『ファイナル・カウントダウン 円安で日本経済はクラッシュする』等多数。

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