ソウルのロッテワールドタワー

ソウルのロッテワールドタワー

汚れた晩節

 重光武雄こと辛格浩(シン・ギョクホ)氏──日本と韓国にまたがるロッテ財閥を一代で築き上げた実業家だ。日本のロッテは食品メーカーであり、ロッテリアや銀座コージーコーナー、あるいはプロ野球球団を経営する。

 韓国のロッテ財閥も発足は食品だったが、デパート、スーパーマーケットなど流通部門のほか、観光、建設、石油化学、兵器産業も傘下にある。売上高で見れば、日本ロッテの20倍を超え、韓国の財閥としては5位にランクされている。

 1~4位の財閥は、耐久消費財は製造していても、日用品はない。それで「(韓国)ロッテほど韓国人の生活に深いかかわりのある企業ブランドはない」と朝鮮日報(2015年7月30日)は評している。
 それほどの財閥を、辛格浩氏は日本での稼ぎを元手にしてつくり上げたのだ。

「日本で稼いだ金を韓国に持ってきても、韓国での儲けを日本に運んだことはない」と、彼は生前、何度も語っていた。辛格浩とは「用日」(日本を利用して利を上げること)の元祖のような人物だ。

 しかし、汚れた晩節だった。日本で稼いだ金を元手にして韓国で稼いだ金で韓国の土地を買い、傘下の企業に相場の2倍以上で買い取らせた。そして、最初の妻(韓国人)との間に生まれた長女と元「ミスロッテ」の第3夫人とその娘に、株式を密かに生前贈与して贈与税を逃れた。

 結果として「ロッテ創業家一家は違法な手段で財産を移転し、私益のために企業の財産を私物化した」(検察論告)とされ、2017年12月、95歳の時に背任、横領などで懲役4年の実刑判決を受けた。高齢のため収監はされなかったが、まさしく汚れた晩節だった。

 2020年1月、98歳で死去した彼にとって、日本とは何だったのか、韓国とは何だったのだろうか。

普通の日本人

 私は1980年10月、時事通信社の特派員として、ソウルに再赴任した。その年の7月、「時事通信本社の誤報(東京社会部の記事)の責任を、お前に取ってもらう」として特派員追放になったのだが、再び取材ビザが発給されたのだった。
 ところが、そのビザは1カ月更新で、そのビザステイタスでは、当時の法律上、アパートを借りることができなかった。

 やむなく支局から近いロッテホテルに6カ月ほど滞在した。おかげで、さまざまなことを学べた。
 韓国の〝偉い人〟とは、どれほど威張っているのか。そんなことは、仕事で韓国に駐在していれば誰でも分かることだが、酔った〝偉い人〟の実態はなかなか見られない。親しくなったボーイやメイドからも、高級ホテルの従業員でなければ知り得ないような話をたくさん聞けた。

 ホテルは接客のサービス業だ。それなのに、韓国のホテルの従業員にとっては、顧客へのサービスより、経営者や上司にゴマをすることの方が絶対優先なのだ。
 総支配人(当時は日本人だった)が昼にホテルの日本食堂に来て注文した「冷や麦」にスイカが入っていなかったのは誰の責任かをめぐって、板前同士が大ゲンカ。さらに「運んでいく時に気が付かなかったウエートレスが悪い」となり、今度は板前とウエートレスが客をそっちのけで言い合いを始めた。

 不祥事があると、韓国人は常に「私は悪くない」と言う。悪いのは「私以外の人間のせいだ」と。直属の上司にしでかした不祥事(スイカがひと切れ入っていなかったこと)の責任問題は、顧客のことなど素っ飛ばすのだ。
 そうした中で、「会長様」である辛格浩氏とも何度か話す機会があった。〝普通の日本人〟という感じがした。

 韓国で「会長様」と呼ばれる人物は、常にお付きの者を従えている。が、彼が夜、ロッテホテルの中にある日本食堂に来るときは、ほとんど一人だった。彼はロッテホテルを韓国での宿舎としていたから、お付きの者を帰した後だったのかもしれないが、私は「他の会長様とは違う」と思った。

 彼が、日本食堂に入ってくると、ほとんどのウエートレスは、会長が座ったテーブルの周りに立つ。会長は酒をチビチビと飲みながら、ウエートレスに何か話しかける。そのたびに嬌声が上がる。まるで人気芸能人と、追っかけファンが話しているようだ。会長は明らかに、それを楽しんでいた。
 ロッテホテルに6カ月も滞在すれば、これは見慣れた光景になる。

 会長がいる間、ウエートレスは他の客の注文など耳に入らない、いや耳に入れないようだ。注文はカウンターに行き、板前に直接頼むのが早い。板前が酒も料理も運んでくる。

 ある晩、日本人客が「おーい」と、怒気を含んだ声を上げてウエートレスを呼んだ。
 ウエートレスが1人、客のところへ来た。客は注文を告げ、文句も言った。

 ――ウエートレス「あの御方は、このホテルの会長様ですから」
 ――日本人客「俺は客だぞ」
 ――ウエートレス「でも、私たちは会長様から給料をもらっているのですから」と、フーンの表情

 客とウエートレスの話が、会長の耳に届かないはずはない。しかし、会長は悠々と料理をつまみながら、ウエートレスたちの嬌声を楽しみ続けていた。

 日本で事業家として成功した人物なら、そして現にいる場所が接客サービス業であるホテルの食堂ならば、他の韓国人オーナーとは異なる対応を見せるのではないか。そう思って静かに観察していたのだが、結論は「辛格浩はやはり韓国人だ」だった。

指ベラ神話

 この時に見られた「経営者─従業員─顧客」の関係は、ロッテホテルだけのことではない。韓国の企業社会全般がそうだ。従業員に「お客様第一」の精神などない。経営者、あるいは直属の上司に気に入られることこそ絶対優先なのだ。

 なぜなら、韓国企業とは、ほとんどがオーナー経営であり、オーナーはその企業内部では何でも意のままにできる絶対権限を持っている皇帝だからだ。
 直属のチーム長に気に入られれば、チーム内の序列が上がり、オーナーの耳に「優秀な人材」として届く機会も増すのだ。

「指ベラ神話」という言葉がある。料亭での宴会が終わってからのことだ。玄関で役員が靴ベラはないかと目を動かした。その瞬間、ある社員が役員の靴のかかとの部分に指を当て「どうぞ、お履きください」とやった。その社員は同僚たちの嘲笑の的になりながらも、たちまち超特急昇進したというのだ(東亜日報・韓国語サイト/2018年9月9日)。

 いや、企業社会どころか、国全体がそうだ。「大統領─公務員─国民」の関係も同じだ。公務員にとって絶対重要なのは直属の上司であり、高級公務員にとっては大統領だ。
 朴槿惠政権の時、新聞記者との宴席で「国民は犬、豚の類だ」と述べて免職になった教育省幹部がいた。報道されたので免職になったが、その発言は韓国の公務員の本音に近いと思う。
 会長様、オーナー様が絶対権限を持っていれば、その親族も〝絶対に偉い人〟になる。

 こんなことがあったそうだ。

 日本ロッテの出入り業者が、「ロッテの若大将」のところに時候の挨拶に行った。若大将が長男なのか、次男なのかは定かでない。
 執務室に入るなり「あんた、いくつ」と問われた。「○○歳です」と答えると、「俺は△△歳以上の爺さんとは話をしないことにしているんだ。こちらも年寄りじみちゃうからな」と言って、プイと横を向いてしまった。
 業者は名刺を置いただけで退出するしかなかった。

「いくら虫の居所が悪くても、それはないだろう」と、常識ある日本人なら思うだろう。
 しかし、私はこの話を聞いて、「あぁ、息子は日本で生まれ、日本の大学を出たのに、精神的には〝パワハラ当然の韓国企業文化〟の中にいるのだ」と思った。
 親が元気なうちは、親の命令は絶対だ。しかし、親が呆ける、あるいは死亡したら、兄弟ゲンカが始まるのも、「儒教の国」と称する韓国の伝統だ。

 「儒教の国」の元祖である李氏朝鮮の兄弟の乱、サムスン財閥や現代財閥での兄弟入り乱れての経営権争い。日本のロッテも、韓国のロッテも、オーナー一族は精神的に「韓国文化」の中にいるのだから、日韓をまたにかけたロッテの経営権争い(韓国マスコミは「ロッテ兄弟の乱」と呼ぶ)も当たり前のことと言えるのだ。

半チョッパリ財閥

 辛格浩氏が死去すると、韓国の新聞は一斉に、彼の功績を称える記事を掲載した。
「83円をもって日本へ」(中央日報/2020年1月20日)といった具合に。
「大財閥のスタートは、わずか83円だった、すごい人だ」と思い込ませる見出しだが、当時の83円とは、日本本土の巡査の初任給の2倍だ。日本本土に出稼ぎに行く朝鮮人としては並み以上の所持金だったのではあるまいか。

 慶尚南道蔚州郡の農家に五男五女の長男として生まれた彼は1942年、21歳の時に日本に渡った。そして「苦労に苦労を重ねて……」、韓国のメディアが伝える「辛格浩神話」の書き出しは、だいたいこんなものだ。
 それらに目を通していると、韓国マスコミに、皮肉を込めて尋ねたくなる。

 ──その時代に「強制連行」や「強制徴用」でなくて、日本に渡れたのかい。  
 ──日本に渡ってから「徴用」もされず、アルバイトをしながら学校に通えたなんて、ネトウヨが言っている噓に決まっているよね。
 ──彼が事業に失敗して、日本企業の雇員となってから帰国していたら、「強制徴用の被害者」だよね。
 
 日本に渡る時、彼には妻と娘がいた。戦後の日本で事業が成功すると、日本人と結婚して、その妻の姓である「重光」を通名にした。
 1980年代のある時、韓国の警察のキャリアが、大いに飲んだ時に言ったことを思い出す。
「辛だから辛田とでも名乗るのなら、まだ許せるが、重光だなんて華族みたいな通名を使いやがって。俺がもう少し出世したら、重婚罪でしょっ引いてやる!」
 これは、韓国人の偽らざる対ロッテ感情の一端だと思う。

 「チョッパリ」とは「割れた蹄(ひづめ)」という意味で、下駄を履く日本人に対する蔑称(べっしょう)だが、韓国ロッテ財閥は「半チョッパリ財閥」と言われている。
 
 日本に渡った彼は牛乳配達、新聞配達をしながら、早稲田高等工業学校化学科に通った。その配達がきちんと時間を守り誠実そのものだったという。日本の老人がその誠実さに感服して6万円の事業資金を貸してくれた…いうことになっているが、ちょっと待っただ。
 巡査の初任給が45円、かけそばが20銭ほどの時代の6万円とは、今日の貨幣価値で言えば3億円ほどになるだろう。

 日本と韓国に伝わる話を総合すると、その老人は質屋を営んでいたという。資産家だったとしても、担保もない当時の〝朝鮮人アルバイト学生〟に、今日でいえば3億円もの資金を貸すとは、とうてい信じられることではない。
 その資金で旋盤用のオイル製造工場を建て……ここでも、ちょっと待っただ。戦時統制経済の時代だ。工場を建てても原料が入手できたのだろうか。
 工場は空襲で焼け、次に建てた工場も空襲で焼けたとされている。
 それでも、その老人は彼にとって大恩人のはずだ。それなのに、その恩人の氏名を彼が語ったことがないのはなぜだろうか。

 終戦までの彼が日本で何をしていたのか、戦後の創業資金はどうしてつくられたのか。これは辛格浩氏の闇の部分だ。
 戦後、彼は石鹼工場をつくって金を稼いだ。これは、ある意味では合点がいく。石鹼の材料である苛性ソーダは米軍からの供給物資であり、その利権は「第三国人」が握っていたからだ。

日本で稼いだ金を韓国へ

 日本ロッテはチューインガム、チョコレートで当て、菓子メーカーとしての地歩を固めた。そして、「日本で稼いだ金を韓国へ」が始まった。
 当時の韓国は、資金が絶対的に不足していた。資金さえあれば、何をしても上手くいった。政策資金をコネと賄賂を駆使して素早く手に入れた人々こそ、韓国の財閥の初期総帥たちだ。ロッテは政策資金の代わりに、日本で稼いだ資金を使った。
 
そして朴正煕大統領から、国営だった半島ホテルを払い下げるから、外国人観光客を迎え入れられる豪華なホテルをつくるよう命じられた。
 彼はホテル経営など考えたこともなかったから一度は断った。しかし、韓国ロッテのチューインガムから鉄粉が検出されたことを揉み消すという条件に従うほかなかったとされる。

 半島ホテルの用地は狭かった。そこで朴正煕政権は、周辺の土地をホテルに売却した地主には税金を免除する特恵措置まで講じた。
 政権とのズブズブの関係でロッテホテルは完工した。そして、韓国でのロッテ躍進の土台になった。韓国ロッテ財閥の持ち株会社の役割を果たしたのが、ロッテホテルだったのだ。

 彼が日本人特派員全員をロッテホテルに招待して夕食を振る舞ったことがあった。そこに出席した時事通信社の前任特派員から聞いた話だ。
 彼は「韓国の建築資材はどうにもならん」と言い、部屋の大きな鏡を指して「こんな大きさの鏡を韓国でつくらせたら、映った人は顔も体も歪んだお化けになってしまう。これという資材はみんな日本から持ち込んだ」と述べたという。

 彼は、韓国人の記者も、編集局長、論説委員といったレベルごとに夕食に招待していたようだ。
 招待された中堅記者から聞いた。
「ホテルロッテの建設はほんの一部を除いて韓国の技術。内装資材は全部韓国製だそうだ」
 前任特派員の話と、韓国の中堅記者の話と、どちらが正しいかの問題ではない。日本人にはああ言い、韓国人にはこう言う──そういう人物だったということだ。

 それでも、中央日報(2020年1月25日)に載った洪秀煥(ホン・スファン)氏の追悼文は興味深い。
 洪秀煥氏は世界ボクシング協会(WBA)ジュニアフェザー級チャンピオンで、1978年に日本で初防衛戦を行い勝利した。
 追悼文によると、試合の翌日、ロッテの本社に招かれた。

 ――彼は私の拳(こぶし)を触りながら「日本の選手を殴り倒した手」と話した。そばにいた日本人の役員たちが我先にと私の手を触った。封筒に100万円を入れて私にくださった。ソウル開浦洞のマンションが買える巨額だった──

 「韓国人が日本人を殴り倒した」ことが、よほど嬉しかったのだろう。「用日の徒」の「本質反日」が伝わってくる。それにしても、我先に拳を触った「日本人の役員たち」とは、どういう感情の持ち主たちだったのだろうか。
 「本質反日」であればこそ、理解しやすいのが、2013年11月、ソウルのロッテシネマネットカフェが入り口正面に「日本人お断り 独島は韓国のもの」と書いた大横断幕を掲げたことだ。

 2014年7月には、日本大使館が予約していた自衛隊創設60年記念式典の会場を、ロッテホテルが前日昼になってドタキャンした。
 客の側によるドタキャンは、韓国名物みたいなものだ。しかしホテルの側が「会場の予約を取り消します」とドタキャンしたのは前代未聞だ。

 ちょうど安倍内閣による「河野談話の検証」作業が進み、韓国の反日が高潮している時だった。ロッテ財閥に対しては「本当は日本企業だ」といった批判が高まっていた。そして職業的反日団体は自衛隊行事そのものを非難していた(どこの国でも大使館主催のナショナルデーは元首誕生日や国家建国日、それに国軍の記念日と決まっているのだが)。
 
 それで、ロッテホテルは苦渋の選択をしたのだろうとの見方もあるが、私は「ちょうどいい機会だから、本質反日を明確にしよう」という判断だったのだと思う。
 これに関するロッテホテルの談話は「国民の皆様に心配をおかけして申し訳ない」とするだけで、日本側への謝罪がない。自衛隊記念日の式典がロッテホテルで催されるのは毎年のことなのに、「今回の行事も日本大使館レセプションとして予約されており、詳しい内容は知らなかった」とは、日本人には考えつかない大噓説明だ。

熾烈な遺産争い

<span> 2014年夏のことだ。辛格浩氏一族の財産をめぐる裁判があった。
 2005年に辛格浩氏の妹が亡くなった。その時に彼が出した香典の分配をめぐる争いだった。
 妹の子供5人が均等に分けたはずだったが、次女が「私をのけ者にして、4人が山分けにした」と訴えを起こしたのだ。
 
 次女は「香典は50億ウォンだった」と主張し、生活保護を受けていた妹が突然マンションを購入したことなどを証拠として挙げた。
 長男らは「香典は1000万ウォンに過ぎなかった」と主張した。
 辛格浩氏は裁判当時、ソウルにいた。しかし、証人としての出廷要請を拒否して、一族の恥を世間に晒した。おそらく、彼はその時点ですでに認知症が進み、証人喚問に応じられる能力を失っていたのだろう。

 それにしても、「一族の互助」を建前とする自称〝儒教の国〟で、屈指の財閥総帥の姪が生活保護を受けていた。その姪が、ある日マンションを購入した──すごい話、すごい国だ。
 しかし、そうした国の方が、彼には住みやすかったのだろう。

 最後こそ「私益のために企業の財産を私物化した」と断罪されたが、それまでは「会長様」であれば脱法行為のほとんどを見逃してもらえる環境の中で余生を楽しめたのだから。
 ロッテ一族を待ち受けるのは、彼の膨大な遺産をめぐる熾烈な争いだ。


室谷 克実(むろたに かつみ)
1949年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長、「時事解説」「時事評論」編集長などを経て定年退社。著書に『悪韓論』『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)、『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(産経新聞出版)、『なぜ日本人は韓国に嫌悪感を覚えるのか』(飛鳥新社)などがある。

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