白川司:平成の怪物・松坂大輔の引退に見るスポーツ選手の切なさ

白川司:平成の怪物・松坂大輔の引退に見るスポーツ選手の切なさ

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神がくれた110キロのストライク

 2021年10月19日、松坂大輔投手の引退試合が行われた。大谷翔平が大リーグで160キロを連発する一方で、かつての剛速球を繰り出していたワインドアップモーションから放たれたのは110キロのストレート。結局、フォアボールで降板、松坂の現役時代が終わった。

 試合後のインタビューで松坂は「正直、ブルペンから投げていてもストライクが入るか心配だった。あの1球のストライク。最後の最後で野球の神様がとらせてくれたのかなと思います」と述べた。あの松坂が1球のストライクを「神様がとらせてくれた」と言ったことに、私は少なからずショックを受けた。

 松坂ほどプライドの高い投手が、スローボールのようなストレートしか投げられない自分をマウンドでさらけ出すのに、どれだけ勇気が必要だっただろう。

 どんなに衰えていても、最後の最後にボロボロの自分を見せて、けじめをつけようとしたのだ。
 私は松坂を見るたびに「投げすぎている」と思ってた。

 才能と体力に恵まれていた。いくら投げても壊れない頑強な体だったゆえに、すべてを投げ込みで調整した。

 先発完投を繰り返した。いくら打たれても意地になって自分からはマウンドを降りようとしない負けん気の強さ。大投手だったのに、思春期の子供のような性格だった。また、それが松坂の魅力にもなっていた。

 そんなスター投手の松坂も当時の「飛ぶボール」に翻弄されつづけた。

 先発完投型投手にとって「出会い頭の一発」のある飛ぶボールは天敵。さすがの松坂も「一発病」に泣かされて、投球回数がかさむようになった。知らない間に肩への負担が過ぎたものになっていた。


 2002年の日本シリーズ、松坂は巨人に滅多打ちを食らう。相手の5番は松坂と同じく甲子園、そしてライオンズのスターであった清原和博だった。

 敬愛する西口文也を差しおいて第1戦に投げたが、3回に4点をとられて負ける。そして、第4試合では、好投していた西口を救援して試合を壊して負けた。ライオンズは4連敗で惨敗した。
白川司:平成の怪物・松坂大輔の引退に見るスポーツ選手の切なさ

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2009年WBCで投げる松坂の雄姿

巨人の滅多打ちで、生まれ変わった松坂

 栄光の道を歩いてきた松坂は、精神的にも肉体的にもぼろぼろになってしまっていた。

 墜ちるところまで墜ちた松坂だったが、翌年、そこから這い上がり、まるで別人のように変わっていた。

 そして、かつての闘志むき出しだった頃が信じられないほど、自分を抑えて周りをもり立てるようになった。自分を多少犠牲にしても、勝つことにこだわる。我慢しない松坂が、我慢した。負けず嫌いが表に出ていた松坂が、ポーカーフェイスの投手になった。打たれても涼しい顔をしている。

 前に撃たれた球をもう一度意地になって投げていたような彼が、捕手の指示どおりに組み立てを変えるようになり、抜群の安定感で円熟味のある投球をするようになった。

 彼の変化はおそらく自分の弱点を受け入れるようになったことだろう。常に自分の最大限を追い求めていた姿勢を改めて、現実を受け入れて、その中で最良の選択肢をとるようになった。

 2003年、松坂は16勝を挙げ、最多奪三振とともに最優秀防御率をもぎ取る。球の速さは相変わらずだったが、直球中心からスライダーを中心に緻密に組み立てる「技巧派」ともいえるような投手になっていた。そして、難攻不落の大投手になった。

 この頃の松坂は球場の中心に仁王立ちする独裁者のように球場を支配して、ほかのスター選手を脇役に追いやっていた。若いライオンズの選手は守備のレベルが高くなく、打撃優先で育成されたショートの中島裕之やサードの中村剛也は何度もエラーした。でも、そんな彼らを辛抱強く見守った。

 そして、ライオンズはエラーした選手がバットで返すような、勢いのあるチームになった。この頃のライオンズの魅力は、全盛期の黄金期とは違った活気と若さがあった。まるで松坂が育てているような印象すらあった。
白川司:平成の怪物・松坂大輔の引退に見るスポーツ選手の切なさ

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批判されることも多かったレッドソックス時代

今は本当に「ありがとう」と言いたい

 2006年、日本中が期待されて大リーグに行ったが、大リーグの水は合わなかった。彼は大リーグで活躍するには、あまりに繊細だったからだ。力と力がぶつかる大リーグでやっていくには、日本で業(わざ)と業がぶつかる世界に慣れすぎていた。

 それに大リーグでは投げ込みで調整してきた松坂に、投げ込み禁止が命じられた。大リーグでは契約は絶対だ。何度も投げ込み解禁を訴えたが、ついにかなえられることはなかった。

 松坂という大スターが登場し、大活躍し、アメリカに行き、時には成功はしたが多くは失敗し、叩かれて、衰えて日本に戻ってきた。中日ドラゴンズで一瞬の輝きを見せることはあったが、「あの松坂」を見られることはなくなっていた。

 スター選手にはいつも悲しい終わりが待っている。だが、その悲しい終わりに、私たちはいつも「ありがとう」と感謝して、「お疲れ様」とねぎらう。当然だろう。彼がいたからこそ2000年代の野球が面白かったのだから。晩年に「何をやっている」と罵倒を浴びせられることが多々あったのも、ファンがずっと期待していたゆえだ。

 松坂はいつも苦しんでいた。でも、野球が好きだから投げ続けた。たとえピエロになっても自分を信じることは止めず、もがき苦しみ続ける道を選んだ。

 だがそれは成就することなく、引退試合。プロ野球で輝き続けた「松坂世代」の選手たち。高校時代は目立っていなかったホークスの和田毅投手より、高校時代から大スターだった松坂が先に引退してしまうことになった。

 その一部始終を見られて、幸せだった。そのすべてが美しいドラマだ。「本当にありがとう」と心から言いたい。
白川 司(しらかわ つかさ)
評論家・翻訳家。幅広いフィールドで活躍し、海外メディアや論文などの情報を駆使した国際情勢の分析に定評がある。また、foomii配信のメルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評を博している。

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