ポスト・コロナがもたらす新たな「戦後脳」

ポスト・コロナがもたらす新たな「戦後脳」

戦争を知らない世代

 8月15日、75回目の「終戦の日」を迎えました。蝉が鳴く季節になると戦争を思い出します。僕は平成2年つまり「戦後45年」生まれなので、もちろん戦時体験を思い出せるはずはありません。NHKで放送されていた『映像の世紀』で流れるような、モノクロ映像が脳裏をよぎるのです。夏になるとテレビでは戦争を扱う特番が、書店には関連の書籍コーナーが設けられ、嫌でも夏=敗戦の季節というイメージが刷り込まれます。だいたい、半藤一利氏や保阪正康氏の依って立つ史観に基づいたものですが。

 戦争といえば、石原慎太郎さんに聞いた坂井三郎さんのエピソードが印象的です。

 坂井さんといえば言わずもがな、大東亜戦争におけるエース・パイロット。その武勇が戦場を駆けめぐり、敵味方問わず尊敬を集めた「大空のサムライ」でもあります。坂井さんが平成の世に体験した話は以下のようなもの。

 ある日、坂井さんが中央線下りに乗っていると、目の前に高校生二人組が座って雑談を始めます。
「お前、知ってるか? 日本はアメリカと戦争したんだってよ」
「ウソ、そんなバカな」
「本当の話だ」
「え、マジか……じゃあ、一体どっちが勝ったんだ?」

 ショックを受けた坂井さんは目的地でもない高円寺駅で降車し、気を落ち着かせるためホームで煙草をふかしたとか。

 ふと思ったのが、自分はいつ「かつて日本がアメリカと戦った」ことを知ったのかということです。小学5年生の社会科の授業で何時間もかけて日本の罪を教えられる、いわば自虐史観を押し付けられましたが、当時すでに「そんな悪いことばかりじゃないような気がするんだけど……」と考えていたのを覚えています。幼少期、両親や祖父母から特に戦争の話をされた記憶もないし、一日中ゲームに熱中していた小学生の僕は、もしかすると社会科の授業で戦争を知り、その場で自虐史観への違和感を覚えたのかもしれません。我ながら、子供は鋭い。

 学校で教わる歴史は偏ってしまうので、「戦争を知る=偏った歴史観に染まる」ことは果たして良いことなのか。坂井さんが遭遇した高校生たちはある意味、幸せなのではないかと思ってしまったり、思わなかったり。

いつ「戦後」は終わるのか

 雑誌の企画で長谷川三千子さんと小川榮太郎さんに対談してもらったことがあります。
 対談の冒頭、僕は「戦後はいつ終わるのか」と質問を投げかけました。いまだに戦後の贖罪意識に苛まれている日本人は一体いつ覚醒するのか、といった文脈です。すると長谷川さんは、「新たに戦争が起これば、次の“戦後”によって塗り替えられていくでしょう」と。シンプルな答えに、「なるほど」と感心すると同時に「次の戦争が起こるまで難しいのか」とガッカリする気持ちもあり。

 ところが、思ったより早く「新たな戦争」が始まってしまいました。

 すなわち、人類と新型コロナの戦争、さらに“武漢ウイルス”責任論+香港・ウイグル人権問題+経済交渉その他もろもろで加熱する米中新冷戦は、世界が「次の時代」に足を踏み入れたことを示しています。

 モノクロの真珠湾攻撃とキノコ雲、連日ニュースが情勢を伝える“茶の間”のベトナム戦争、ハリウッド映画と見紛う9.11からのイラク戦争。いま起こっている戦争は既存の類型に属さない「新たな戦争」ですが、長谷川さんはこれを予知していたのか……。

 奇しくも昨年、日本は令和という新たな御代に突入しました。暗いニュースが多い令和の時代ではありますが、ポスト「戦後脳」を手に入れるための荒治療と考えれば、少しは気も楽になるでしょうか。
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山根 真(ヤマネ マコト)
1990年、鳥取県生まれ。中学時代から『WiLL』を読んで育つ。
慶應義塾大学法学部卒業。ロンドン大学(LSE)大学院修了。銀行勤務を経て、現在『WiLL』編集部。
好きなものは広島カープと年上の優しい女性。

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