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ファミマ「お母さん食堂」まで標的に――言葉狩りで墓穴を掘るフェミニストの矛盾

「お母さん食堂」が許せないフェミニスト

 「お母さん食堂」をご存じでしょうか。

 コンビニ大手ファミリーマートの総菜ブランドで、「慎吾ママ」ならぬ、昭和のお母さんのような割烹着に扮した香取慎吾さんが、イメージキャラクターを務めています。

 ところが去年の暮れ辺りから、女子高生3人がこの「お母さん食堂」の名前を変えるように訴える署名キャンペーンを始めました。

 フェミニスト、竹下郁子氏による「ファミマ『お母さん食堂』の名前変えたいと女子高校生が署名活動、「料理するのは母親だけですか?」(BUSINESS INSIDER)」の伝えるところによると、彼女らの言い分は以下のような具合です。

 《『お母さんが食事をつくるのが当たり前』というアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を助長しかねません。日本では女性が家事や育児をするものという価値観が強く、仕事を諦めざるを得ない女性も多いのが現状です。『お母さん=料理』というイメージを変え、世の中のお母さんの負担を減らしたい。性別によって役割が決まったり、何かを諦めたりしなければいけない社会は嫌なんです》

 みなさん、いかが思われたでしょうか。

 「お母さん食堂」という(一企業の商標)を第三者が強引に変えろと要求するのはいささか身勝手だし、アンコンシャス・バイアスだの何だのカタカナを並べられても、どこが悪いのかよくわからない――というのが多くの方の率直な意見ではないでしょうか。

 しかし竹下氏の記事が「ジェンダーバイアスの再生産につながり得る商品名、サービス名」への疑問という形で記事を終えていることが象徴するように、本件を報じたネットメディアは軒並み女子高生たちに肯定的。
 
 本件を見て多くの人が感じたであろう違和感は、「女性が家事や育児をするものという価値観」がそこまで、こうしたブランド名すらも強引に変えることが急務であるほどに悪いことなのか、さらに「『お母さん=料理』というイメージを変え」たいといっても、それはこの「お母さん食堂」の名前を変えることで成就されるようなものなのか、といった辺りにあるのではないでしょうか。

主婦は「奴隷」なのか

 実は評論家の赤木智弘氏が、本件について記事を書いていました。

 「ファミマ『お母さん食堂』炎上問題に潜む『フェミニスト』と『アンチフェミ』の深すぎる溝」(現代ビジネス)がそれなのですが、初めから私のような「アンチフェミ」が本件に粘着していた、していた、していた…とひたすら「アンチフェミ」に対する罵詈雑言が並べ立てられるばかりというもの。
 
 この背景には、ここ5、6年、フェミニストたちが美少女キャラクターを登用したポスターなどに「女性差別だ」と文句をつけ、それらが削除されてしまう、といったことが多発し、その横暴に憤る「アンチフェミ」の声が大きくなっていることがあります。

 しかしそこを我慢して読み進めると、赤木氏は「家事は女の仕事」といった価値観、性別役割分業を悪しきことだと断じ、以下のように書いているのです。

 《一見、単なる役割分担に感じられるが、実際には働いて収入を得る男性は、それによりキャリアと金銭的優位性を保つことができるが、家に居る女性は男性の得る収入を頼らずに生きていくことができない。家庭内には経済的格差が存在し、女性は隷属的立場に置かれがちである。こうした問題は、フェミニズムにとってはイロハのイであり、訴えかけようとする内容自体はとても穏当なものである》

 つまりこの運動は全くの正当かつ穏当なものであるというのが、赤木氏の考えであるということです。ともかく「主婦」そのものが決して存在を許してはならぬ「奴隷」である〉、というのがフェミニズムのイロハのイであるようです。

 もっとも日本では(世界でも珍しく)妻が財布の紐を握っているし、何よりコンビニはそうした「家事」の代行業者ともいえ、フェミニズム的には好ましいものなのではないかとか、香取慎吾さんという男性がモデルという点はジェンダーフリー的なのではないかとか(これについては「似非トランスジェンダー」とはけしからぬ、というわけのわからない批判も起こりました)、もう疑問がいくつもいくつも、ツッコミが追いつかないほどに出てくるのですが、彼ら彼女らがそうした疑問に答えてくれることはありません。

「専業主婦」への憧れという矛盾

 事実、一般的なメディアでは女性の社会進出、ジェンダーフリーはよきことという価値観が、疑うことなく前提されています。1986年、均等法が施行されたあたりから、そんなかけ声にはすっかり反対しづらいムードが醸成されてしまいました。

 しかしよくよく考えてみれば、社会に出て働くことが何故そこまでの絶対正義なのか、どうにもわかりません。主婦が夫に隷属しているとするならば、男性だって職場にその程度は(それ以上には)隷属させられているのですから。

 そもそも女性たちは、そこまで社会に進出したがっているのでしょうか。
 
 少し古いデータですが、『日本経済新聞』の2006年1月16日号夕刊には、大学3年生女子516人へアンケートを採ったところ、「結婚してもずっと一線で働きたい」と答えたのは僅か5.2%だったという記事が掲載されていました。

 3年生というからには4年制大学のはずで、短大や高卒を含めると「働きたい」と考える女性の割合はこれ以下だと考えるほかはありません。しかし、驚くべきことにこの新聞記事は、「意識の高い学生は少数派だ」と女子大生たちを悪しざまに罵っています。

 何だかこの二つの事例は、似ているとは思えないでしょうか。

 ともに、「当の女性の多くは社会進出など望んでいないのに、一部の意識の高い人たちが、独善的な正義を振りかざしている」姿が浮かび上がってきます。

 あるいは、赤木氏の名前を知る方はお読みになって、戸惑いを感じられたかもしれません。

 赤木氏といえば、『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』が代表作です。ここでは貧困層へと転落した中間層を放置し、非現実的なイデオロギーごっこに終始する左派への痛烈な批判が展開され、またその鋭い舌鋒はフェミニズムに対しても向かっておりました。

 同書には「どうせ女性は結婚したら退職するのだから」と、ポストを任されないのは女性の責で就業差別などではないともあり、辛辣ではありますが、正論というほかないように思われます。

 ではなぜ、現代ビジネスの記事において、赤木氏はここまで「アンチフェミ」を罵り、フェミニストに与しているのでしょうか。

 いえ、当記事も読み進めると、赤木氏は必ずしもフェミに与しているわけではないことがわかります。バブル崩壊後の不況下にあっては男性も辛いのだ、ところがフェミニズムはそうした男性の格差問題を「男性の自己責任」として突き放した、けしからぬ、と論調が転じていくのです。

 「フェミニズムの守備範囲は女性問題であり、そこには責はない」と言いたい人がいるかもしれません。しかし「男女には絶対的な格差が横たわっており、いついかなる状況下であろうとも男性は絶対的強者、女性は絶対的弱者だ」というのがフェミニズムの世界観であり、いわばバブル崩壊とともに、それがフィクションであったことが露呈した、という意味において、赤木氏の指摘は正しいものです。

 「働くこと」にそこまでの利が感じられなくなり、男性すらもが「働いたら負け」と言い出す状況で、どこまで「女性の社会進出」という正義に意味があるか、ということなのです。

 いや、しかし、確か同記事の前半部では、「主婦は隷属的立場だ」と書かれていたような…。ということはやはり、彼も「女性は絶対的弱者」とのロジックをフェミと共有しているのでは…?

 主婦も仕事のない男性も等しく弱者だ、との理屈も考えられなくもありません。

 フェミニズムの‟成果”として非婚化が進み、「結婚もできず、仕事もない」という‟最弱”の女性も増えていそうですが、しかしそのような女性であっても地域社会や実家とのパイプが強く、例えばホームレスは95~97%までが男性という数字もあります。

 いずれにせよそこまで主婦が弱者だと言い募るのであれば、専業主婦志望の女性がここまで多いことの理由を、赤木氏は――いえ、フェミニストは説明すべきでしょう。

「フェミニズム」から「ジェンダーフリー」へ

 赤木氏は上に続き、フェミニズムが男女平等を標榜するならば、社会的地位の低い男性に対し手を貸すべきだ、と主張しているのですが、はて、具体的にはどのようにしろというのでしょう。具体的な提言が全くないので、想像する他ないのですが、先に挙げた『若者を見殺しにする国』の2章は「私は主夫になりたい!」と題され、ご本人がブログで自分を養ってくれる女性を募集しても、反応が芳しくなかったことを嘆いています。
 
 なるほど、フェミニストは「家事や育児は女性がしろ!」という性別役割分業を取り払いたいと言いながら、一向に自分が(多くは経済的な強者であるにもかかわらず)男性を養おうとはしません。その意味で、赤木氏の嘆きは正しいのですが…あそこまで「主婦」が弱者だというのであれば、「主夫」も弱者で、好ましくないのでは?

 私は同書の初読時、「主夫になりたい」は一種のアイロニー、思考実験として言っているのかと思っていたのですが、しかしこうなると「フェミニストが男性を救うべき」というのは、「主夫の普及に尽力せよ」ということのように思えます(金持ちなのだからカネを配れとか、労働関連の法整備をせよとか言っているわけではないでしょうし、他に可能性が思い至りません)。

 先に、赤木氏の「バブル以降、男性は強者」とのフェミのロジックが崩れた、との指摘をご紹介しました。

 それは大変正しいけれども、ならば「フェミニズムは最初から間違っていた」とするしかない。しかし、赤木氏はどうしてもフェミニズムを根本から否定することができない。そこで「ジェンダーフリー」だけは延命させようとした。「強者となった女性は、主夫というジェンダーフリー的な存在に理解を示し、助けよ」というわけです。
 
 しかしそのため、かえってフェミニズムの抱えた矛盾を露呈させることになってしまった…本件は、そんなふうにまとめられるように思います(これはまた、フェミニストから表現の自由を守ると称する、オタクの中の左派寄りの人たちにも、極めて強く見られる傾向です)。
gettyimages (4600)

フェミは「主夫」をどう考える?

フェミニストの自己満足

 いかにフェミニストたちが膨大な国家予算を投じて女性の社会進出を目指そうとも、不況下で「婚活ブーム」が起こるなど、女性の意識が変わることはありませんでした。「強い男性に惹かれる」のが女性の本能であり、容易なことでそこが変わるとは考えにくい。

 赤木氏や左派寄りの「アンチフェミ」たちは残念ながらそこが理解できず、ただ空疎なジェンダーフリーを振り回します(このジェンダーフリーの根拠となる学説が既にインチキとバレてしまった件については「9歳の少年を去勢?行き過ぎたLGBTはここまで来ている」で述べました)。

 そして――最後になりますが、そのジェンダーフリーの不可能性故に、皮肉にもフェミニストたちはまさに本件のように、企業の広告や漫画などに噛みつき続けているのです。メディアはその大きな影響力で大衆を洗脳し、(本来ありもしない)ジェンダー規範を形作っているのだ、だからそれをトランプのツイート並みに「規制」しなければならない、というのが「ジェンダーフリー」を標榜する者の世界観なのですから。

 人々がジェンダー規範をリセットし、それこそ女性の半分が社会に出てキャリアを目指すような社会が来るまで、広告に、漫画やアニメの女性描写に文句を言い続ける…それこそがフェミニストの戦略です。

 もちろんフェミニストの運動が功を奏し、人々のジェンダー規範が変わることは、これからも永久にないでしょう。美少女キャラクターに心をときめかす心理も、「おふくろの味」に郷愁を感じる気持ちも、女性が頼もしい男性を好む感情も、メディアや為政者によって作られたわけではないのですから――。

 しかしそこを理解できず、フェミニストや赤木氏たちジェンダーフリー推進派たちは、そうした私たちの心そのものが全て否定されるおぞましい社会を作ろうと、今も邁進しているのです。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。

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この記事へのコメント

南斗義竜拳伝承者 2023/10/8 19:10

偏見だと?てめーらジェンダーフリーの血は!何色だ!てめーら人間じゃねー!

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