湯浅 博:文明の不作法~政冷経熱の「いいとこ取り」は許...

湯浅 博:文明の不作法~政冷経熱の「いいとこ取り」は許されない

人権問題で「政治的に中立」では、むしろ大きなコストを払わされる
 米ソ冷戦真っただ中の1959年、フルシチョフ首相がカリフォルニア州を訪問して、楽しみにしていたディズニーランド訪問を所望した。アメリカ政府当局は、そんな藪から棒に言われても十分な警備ができないと断ったのは有名な話だ。

 怒り心頭のフルシチョフは、「モスクワにもっとでかい遊園地をつくってやる」と頭から湯気を立てて帰国した。実際には、共産主義が大嫌いなウォルト・ディズニーが、「ノー」とか「ニェット」とかいって拒否したと伝えられる。このころの経営者は、「利益」よりも「価値」を重視するだけの余裕があった。

 では、米中新冷戦のいまはどうか。

 スウェーデンの衣料品大手の「H&M」や、米スポーツ用品大手の「ナイキ」が、強制労働が疑われる新疆ウイグル自治区産の綿花を使わないことを表明した。中国共産党がすぐ、この収容所を「ウイグル人のための職業訓練施設だ」とごまかすと、たちまち国内で外国企業製品への不買運動が起きた。

 中国のファッション・ブランドも当局に呼応して、ウイグル産綿花を声高に支持する。愛国心の爆発である。その動機が中国当局の指示によるものなのかまでは分からない。ただ、新しい冷戦の中国市場は、米ソ冷戦時代のソ連市場とは違ってとてつもなく大きく、影響力もケタ違いだ。

 それが職業訓練ではなく、少数民族ウイグル人の強制労働であることは、トランプ前大統領自身が、2019年6月の大阪G20サミットの夕食会で中国側から知らされている。大統領補佐官だったジョン・ボルトン氏が、自身の回顧録に、トランプ氏が習近平国家主席から直接、「自治区に強制収容所を建設する理由を聞かされていた」と書いている。

 困ったことに、この時のトランプ氏は「遠慮なく収容所を建設すべきだ」と答えてしまった。同氏は米中の貿易交渉が続いている間は、中国に制裁を科すべきではないとの思惑があったと回顧録は困惑気味にいう。いずれにしろ、職業訓練所でなく強制収容所であることのもう一つの証拠である。
 いまのバイデン政権は逆に、「人権ファースト、経済セカンド」だから、少数民族を破壊する目的でウイグル人を迫害する中国の全体主義政権を許すわけにはいかない。とりわけ、アメリカ外交を総括するブリンケン国務長官の決意は揺るがないだろう。

 周知のように、ブリンケン氏の義父は、アウシュビッツの強制収容所で過酷な生活を強いられたユダヤ人虐殺(ホロコースト)の生存者の一人である。国務長官に就任した日のメッセージで、「私たちにはホロコーストを阻止する責任がある」と述べ、中国によるジェノサイドをやめさせる義務があることを強調していた。「競合する利害」だけでなく、「競合する価値」の対立は、妥協の余地がなくなる。
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湯浅 博:文明の不作法~政冷経熱の「いいとこ取り」は許されない

ブリンケン国務長官の義父は、ホロコーストの生存者の一人
 欧米と中国の間にはブランド側にも消費者側にも、すでに価値観をめぐるデカップリング(引き離し)が始まっている。米中対立がすべての分野に及んで、日本企業も「政冷経熱」などと、いいとこ取りはできない。ソ連の革命家レーニンは、「資本家は自分を縛り首にする縄さえ、利潤のためには売るものである」といった。そんなことを中国に言わせてよいものか。

 かつての、政治的緊張とは逆に経済関係が深まる「政冷経熱」どころか、前門の虎と後門の狼ににらまれて立ちすくんでいる。フランスの非政府組織(NGO)などが、ウイグル自治区の強制労働や人権に対する罪の隠匿の疑いで、衣料品店「ユニクロ」のフランス法人や「ZARA」のブランドをもつスペインのインディテックス社など衣料、スポーツ品大手の計4社をフランス当局に告発したのだ。

 ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長の「政治的中立」発言が、強制労働を追認していると受け取られ、翌日の株価を大きく下げた。専制主義に与していると受け取られると、大きなコストを払わされるのだ。H&Mやナイキのように、「ウイグル産綿花を使わない」といえば不買運動に見舞われ、態度が曖昧なままなら今度は西側人権NGOからの攻撃を受ける。
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過度の中国依存は危うい
 米中覇権争いの長期化を考えれば、前のめりに中国市場への依存を強めるのは危うい。菅義偉首相の訪米による日米首脳会談で、日本が米中新冷戦の最前線にあることが明らかになった。デカップリングが民主主義と全体主義の価値観の争いで動き始めた以上、日本企業といえどもコスト覚悟で旗幟鮮明にすべきときを迎えている。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。

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