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香港情勢解説~どちらが冷戦思考なんだか(『WiLL』10月号)

 香港警察が民主活動家を逮捕し、新聞社を急襲したとき、米ソ冷戦下のチェコで「プラハの春」を踏みにじったソ連軍と少しも変わらないではないか、と頭に血が上った。首都を力で制圧する侵略者や革命勢力は、真っ先に新聞社、放送局などメディアを急襲して情報の目と耳をふさぐ。

 日本批判のときは「軍国主義の復活」という殺し文句で口を封じ、アメリカ批判には「冷戦思考の偏見」で断罪しようとするが、どちらが軍国主義的で、冷戦思考の行動であるかは明らかだ。それどころか、独裁体制を築いた習近平政権はさらに過去へと逆走し、いまや19世紀型の中華帝国主義に近い。

 中国共産党が後ろで糸を引く香港警察は、怪しげな法律を根拠に民主活動家の周庭氏らを逮捕し、反共産党の影響拡大を恐れて新聞社を狙った。民主派支持の論陣をはる「蘋果日報」の創業者、黎智英氏を逮捕すると同時に、200人もの警察官を動員して同社編集局を捜索した。「蘋果日報」がよほど目障りだったのだ。

 2カ月ほど前に、アメリカのオブライエン大統領補佐官が語った言葉とともに、ある情景が鮮明に浮かんできた。補佐官はアリゾナ州での演説で、「中国共産党はマルクス・レーニン主義の組織であり、習近平総書記は自らをスターリンの後継者とみている」と述べて、独裁政権の危険性を指摘していた。

 そのスターリンの後継者ブレジネフが、ソ連の戦車をプラハに送り込むと、真っ先にメディアを黙らせた。1968年当時、プラハのチェテカ通信社で翻訳作業をしていたダグマー・シモバに、ソ連軍が侵略してきた際の、通信社の様子を聞いたことがある。ダグマーはクリントン政権の国務長官、マドレーン・オルブライトの従姉である。

 当時、チェコの共産党指導者ドプチェクは「人間の顔をした社会主義」を掲げ、一般大衆は目を凝らして自由化の許容範囲を見定めていた。何度かのソ連との交渉が物別れに終わり、ある日、突然に戦車が町にやってきた。ダグマーはアメリカの短波放送で、戦車が轟音を立ててプラハに侵入したことを知った。

 数両の戦車が通信社のビルの前で止まると、自動小銃を持つソ連兵4人が2階にある編集局に入るや、スタッフの一部は拘束され、通信機材は破壊された。それ以降は、検閲が厳しくなり、ソ連軍が「正常化の必要」を理由に、1990年までプラハの北に駐留する。

 ダグマーは筆者のインタビューに、チェコにとりNATO加盟は「決定的に重要であり、オルブライトは良い仕事をしてくれた」と、チェコ加盟を実現させてくれた従妹の仕事ぶりを称賛していた。EUは必要条件であるがNATOは絶対条件であり、「生存のためには必要なことなのです」と答えた。

 ソ連が抱いた「プラハの春」への恐怖は、尋常ではなかった。このまま放置しておけば、人々の民主化要求が東欧のほかの衛星国家にまで波及しかねない。それは、まさに中国共産党が抱いた警戒感と少しも違わない。香港の自由を許しておけば、中国本土にまで波及しかねないとの恐怖だ。中南海の共産党エリートにとり最大の命題は、アメリカの軍事力でも周辺国の反発でもない。何より人民による自由への要求こそが悪夢なのだ。

 中国共産党指導部にとって経済は、市民の福祉のためにはなく、党と国家を強化するための手段と考える。先端技術は「軍民融合」であり、民間企業は国家の道具でしかない。

 そうした中国共産党のやり方に疑問を持った現プラハ市長のズデニェク・フジブは、「中国は信頼できるパートナーではなかった」として北京との姉妹都市提携を解消している。北京との協定は2016年に結ばれたが、「一つの中国」原則の順守を示す条項が含まれていたところから、市長は「政治を持ち込むのは不適切」と条項削除を求めた。しかし、北京がこれを拒否したうえ、プラハ交響楽団の中国公演も一方的な中止を通告してきた。

 チェコ政府も経済圏構想の「一帯一路」の協力覚書に調印したものの、期待した中国からの巨大投資はなく、情報機関が中国のサイバー攻撃の脅威を警告したことから不信感が広がっていた。いまやプラハ市は、台北市との姉妹都市提携を結び、近くフジブ市長がチェコ議会上院議長との台湾訪問を計画している。ようやく東欧にも、中国共産党がソ連と同じ全体主義国家であるとの認識が定着した。香港の「自由の戦士たち」の犠牲のうえに。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。最新作に『アフターコロナ 日本の宿命 世界を危機に陥れる習近平中国』(ワック)。

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