この男を権力の座から追い出せ【湯浅博:WiLL HEA...

この男を権力の座から追い出せ【湯浅博:WiLL HEADLINE】

これ以上権力の座にあっていい人物ではない―
 アメリカ東部の港町ボルティモアのハーバーイーストに、巨大な炎が天に昇るような記念碑がある。第二次大戦中、ソ連によって大量虐殺された「カチンの森事件」の犠牲者を追悼するため、ポーランド系アメリカ人を中心に建設された金色の塔だ。

 このモニュメントをつくる話が持ち上がっていたころ、追悼碑委員会のミラン・コムスキ(当時73歳)にワシントンで会ったことがある。コムスキはポーランド東部のリボフ(現在のウクライナ西部のリビウ)で生まれた。しかし、ソ連の独裁者スターリンが1945年2月の「ヤルタ会談」で、米英からこの地の割譲を取り付けたことから、故郷を失って米国にやってきた。

 それより前の1939年、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、二週間後に今度はソ連軍が東側から侵入したため、ポーランド軍は挟み撃ちにあって散り散りになった。コムスキの住んでいた東部リボフ市を中心とするソ連占領地では、1940年春以来、ポーランド将校の捕虜がソ連に連行され、そのまま行方不明になっていた。

 数年後に、ドイツ軍がカチンの森でポーランド人の死体が埋められた虐殺場所の一部を発見した。だが、モスクワはこれらの遺体がゲシュタポの手による宣伝であると反論した。

 やがて、ソ連軍占領地で起きた多くの虐殺事件の証拠が浮かんでくる。他の収容所で殺された人々も含め、虐殺されたのは軍人だけでなく医師、学者、判事など国家の指導層ら二万人以上にのぼる。92年になるとスターリンの署名した銃殺命令書も閲覧可能になった。

 話が虐殺事件に及ぶと、コムスキの目から大粒の涙がこぼれた。
 「ソ連はカチンの森でポーランド人を虐殺し、ワルシャワを見殺しにし、そしてヤルタで東欧のすべてを奪い取ったのです」
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カチンの森
 この事件から70年を迎えた2010年4月、プーチン首相はロシア西部のカチンにポーランド首脳を初めて招いた。ロシアがポーランドと共同で建てた慰霊施設での式典で、プーチンは「スターリン体制の犯罪はどんな形であれ正当化できない。数十年間、カチンの銃殺についての真実を汚そうとするウソが続いてきた」と述べ、改めて虐殺の犠牲者を悼んだ。

 これが反ロシア感情の解消をもくろむプーチンの偽善的なウソであったことは、今のウクライナの惨状を見れば明らかだ。独裁者スターリンはウソつきの極みだったが、その生まれ変わりのようなプーチンはそれに輪をかけている。

 日本にはウソも方便、ウソの効用、ウソは泥棒の始まりという立派な道徳律がある。しかし、独裁者プーチンのウソは見え透いて腹黒く、その行為は残虐非道で許しがたい。自己の野心を実現するためなら平気でウソをつき、平然と人を殺す虚無の血が流れているとしか思えない。

 そのプーチンは裏切られることを恐れ、対話の相手を疑い、信頼できる仲間やアドバイザーからも孤立している。それは滑稽なほど長いテーブルの端に一人で座っている姿が象徴していた。彼のパラノイア的な性格と政権内での立ち位置を視覚化していた。

 ロシア軍が撤退した街に放置されていた遺体の多くは、後ろ手に縛られ、頭を撃ち抜かれていた。とりわけ、首都キーウの郊外の街で、無造作に打ち捨てられたこれらの遺体も、地下で拷問の末に殺されていたのも民間人である。

 この惨状にロシア国防省は、「欧米メディア向けに、ウクライナ側が創作したフェイクだ」と、ウソを重ねる。しかし、ブチャの惨劇は、ロシア軍による民間人虐殺のほんの一部であったことがすぐに明らかになる。
 ウクライナ東部ドネツク州のクラマトルスクでは、ロシア軍の侵攻から逃れようとする人々で混み合う鉄道駅がミサイル攻撃を受けた。子ども5人を含む少なくとも50人が死亡した。ミサイルの残骸の側面には、人間の残虐性を示すかのように「子どもたちのため」と書かれていた。

 この殴り書きについて、欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会のフォンデアライエン委員長は「血も凍るような振る舞いは類を見ない。信じ難い」と激しく非難した。21世紀の今に、「カチンの森」の悪魔がよみがえっているのだ。いずれスターリンのように、プーチンが署名した銃殺命令書が暴露される日が来るだろう。この男を権力の座に座らせておくわけにはいかない。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。

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