米欧印豪など自由世界は、凶弾に倒れた安倍晋三元首相に弔意を示し、喪に服してくれた。大陸の中国もまた、外務省が型通りに遺族へのお見舞いの声明を出した。ところが、本音と建前は使い分けるのが、かの国の常である。中国共産党機関紙の人民日報が淡々と事実を報じていたのに対し、系列の環球時報は墓を暴くように愚劣なプロパガンダを織り込んでいた。
「日本の右翼勢力はこの事件を利用して、日本政治の保守的な変革の傾向を推し進める可能性がある」
環球時報はこの記事に対する広範な論評とそれを拡散するツイートを募集した。ネットメディアには、これらの記事に誘導されるように反日感情が溢れ、安倍死去を喜ぶ声がほとばしる。外交誌『ディプロマット』のシャノン・ティエジ編集長は、「多くのコメントが殺人者を『英雄』と呼び、暗殺日を『歴史的な日』として覚えておくべしと示唆していた」と伝える。中国外務省の趙立堅報道官はこれらの投稿を記者に聞かれ、否定するわけでもなく「コメントはしない」としか言わない。
いったい彼らは、安倍元首相の何を恐れていたのか。
「日本の右翼勢力はこの事件を利用して、日本政治の保守的な変革の傾向を推し進める可能性がある」
環球時報はこの記事に対する広範な論評とそれを拡散するツイートを募集した。ネットメディアには、これらの記事に誘導されるように反日感情が溢れ、安倍死去を喜ぶ声がほとばしる。外交誌『ディプロマット』のシャノン・ティエジ編集長は、「多くのコメントが殺人者を『英雄』と呼び、暗殺日を『歴史的な日』として覚えておくべしと示唆していた」と伝える。中国外務省の趙立堅報道官はこれらの投稿を記者に聞かれ、否定するわけでもなく「コメントはしない」としか言わない。
いったい彼らは、安倍元首相の何を恐れていたのか。
実のところ、岸田文雄現政権が推進する「自由で開かれたインド太平洋」戦略も、安全保障の枠組みである日米豪印四カ国戦略対話(クアッド)も、さらに国際公約となった防衛費の国内総生産(GDP)の2%目標も、すべてが安倍元首相のビジョンであったことを中国は知っている。しかも、安倍元首相は「アメリカ・ファースト」で北米に閉じこもりがちなトランプ大統領を巻き込む力量があった。
在任8年以上に及ぶ安倍外交の基軸は、巨大な侵略国を前にした抑止戦略をどう築き上げるかにあった。第一次安倍政権は、初めての訪問先に中国を選び、双方が受け入れやすい「戦略的互恵」をもって冷え込んだ関係を修復した。第二次安倍政権の際は、いきなり地域覇権の台頭に苦慮しなければならなかった。民主党政権が尖閣諸島を国有化して3カ月が経ったばかりで、中国との緊張の真っただ中にあった。
安倍元首相が全体主義と闘う姿勢を強く感じたのは、第二次政権時代の2018年。年末から年始の休暇中に、読書などで過ごすと安倍元首相がフェイスブックに写真を投稿した時のことだ。そこに並べていた3冊に、拙著『全体主義と闘った男 河合栄治郎』が入っていたからである。
東京帝大教授の河合栄治郎は戦前期に、その生涯を「自由の気概」をもって生きた唯一の知識人であった。全体主義は人間の営みに反する一党独裁体制を無理に維持しようとするから、統制を打ち破る自由ほど怖いものはない。河合は昭和初期に、「左の全体主義」であるマルキシズムが論壇を席巻すると、その自由を阻害する危険性を糾弾した。
やがて「右の全体主義」である軍部が台頭すると、身の危険を覚悟で一人これを痛烈に批判した。そして、河合の『ファシズム批判』など4著書が発禁処分になり、危険思想家として有罪判決を受け、病魔に襲われて死去する。
その「独立不羈の精神」は、戦後世界を形成してきた自由、民主主義、法の支配など自由の擁護につながる。従って、自由主義の国際秩序に挑戦する中国の習近平国家主席にとって、『全体主義と闘った男』は排除したい一冊であった。
在任8年以上に及ぶ安倍外交の基軸は、巨大な侵略国を前にした抑止戦略をどう築き上げるかにあった。第一次安倍政権は、初めての訪問先に中国を選び、双方が受け入れやすい「戦略的互恵」をもって冷え込んだ関係を修復した。第二次安倍政権の際は、いきなり地域覇権の台頭に苦慮しなければならなかった。民主党政権が尖閣諸島を国有化して3カ月が経ったばかりで、中国との緊張の真っただ中にあった。
安倍元首相が全体主義と闘う姿勢を強く感じたのは、第二次政権時代の2018年。年末から年始の休暇中に、読書などで過ごすと安倍元首相がフェイスブックに写真を投稿した時のことだ。そこに並べていた3冊に、拙著『全体主義と闘った男 河合栄治郎』が入っていたからである。
東京帝大教授の河合栄治郎は戦前期に、その生涯を「自由の気概」をもって生きた唯一の知識人であった。全体主義は人間の営みに反する一党独裁体制を無理に維持しようとするから、統制を打ち破る自由ほど怖いものはない。河合は昭和初期に、「左の全体主義」であるマルキシズムが論壇を席巻すると、その自由を阻害する危険性を糾弾した。
やがて「右の全体主義」である軍部が台頭すると、身の危険を覚悟で一人これを痛烈に批判した。そして、河合の『ファシズム批判』など4著書が発禁処分になり、危険思想家として有罪判決を受け、病魔に襲われて死去する。
その「独立不羈の精神」は、戦後世界を形成してきた自由、民主主義、法の支配など自由の擁護につながる。従って、自由主義の国際秩序に挑戦する中国の習近平国家主席にとって、『全体主義と闘った男』は排除したい一冊であった。
ただ、忙しい安倍元首相が本当に読む時間があるのだろうかといぶかった。その後、安倍元首相と数人で食事をした際に、元首相の方から全体主義との闘いのさなかに斃れた河合への共感を示されて面食らった記憶がある。
そして安倍元首相もまた、中国という全体主義との闘いのさなかに斃れたとしか思えない。彼は首相の座を退いてなお、岸田首相へのアドバイスをはじめ、米国論壇への投稿『台湾に対する米国の戦略的曖昧さは終わらせなければならない』などにより、対中警戒を怠らぬようバイデン米政権の尻を叩いていたのだ。
その「戦略家・安倍」を失った岸田首相は今後、中国とロシアの全体主義にどう対峙していくのか。あの東日本大震災のさなか、中国は救助隊を派遣したものの一週間足らずで帰国させると、代わりに中国公船を尖閣諸島周辺に派遣した卑劣な国である。
今回もまた、中露軍がいまの政治空白を利用して日本周辺の海空域で威嚇を繰り返し、岸田政権の反応を試すだろう。岸田首相の取り得る道は、安倍元首相が切り開いた外交戦略を受け継ぎ、全体主義と闘う覚悟を持つことである。
そして安倍元首相もまた、中国という全体主義との闘いのさなかに斃れたとしか思えない。彼は首相の座を退いてなお、岸田首相へのアドバイスをはじめ、米国論壇への投稿『台湾に対する米国の戦略的曖昧さは終わらせなければならない』などにより、対中警戒を怠らぬようバイデン米政権の尻を叩いていたのだ。
その「戦略家・安倍」を失った岸田首相は今後、中国とロシアの全体主義にどう対峙していくのか。あの東日本大震災のさなか、中国は救助隊を派遣したものの一週間足らずで帰国させると、代わりに中国公船を尖閣諸島周辺に派遣した卑劣な国である。
今回もまた、中露軍がいまの政治空白を利用して日本周辺の海空域で威嚇を繰り返し、岸田政権の反応を試すだろう。岸田首相の取り得る道は、安倍元首相が切り開いた外交戦略を受け継ぎ、全体主義と闘う覚悟を持つことである。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1984年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、産経新聞特別記者。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。
1984年、東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、産経新聞特別記者。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。