ナザレンコ・アンドリー:戦後レジームからの脱却――日本...

ナザレンコ・アンドリー:戦後レジームからの脱却――日本は中韓と戦う「覚悟」を決めよ!

via 写真AC

真の国際平和を願うにふさわしい「靖國神社」

 2021年8月15日は、76回目の終戦記念日だった。しかし残念ながら、今年も首相の参拝は実現せず。これは安倍前首相が掲げた「戦後レジームからの脱却」がまったく達成されていないことを示すし、いまだに日本政府が中韓の意見を自国の戦没者よりも優先的に考えている証拠でもある。感想は「悔しい」の一言に尽きるが、このような感想を抱いているのは私だけではないだろう。

 ちなみに筆者は2014年に来日して以来、終戦記念日は毎年、靖國神社か地元の護国神社に参拝している。いまだに欠かしたことは一度もない。ここで、その理由について述べたいと思う。

 まず「外国人に(靖國神社)は関係ない」という意見を右派からも左派からも耳にすることがある。しかし本当にそうなのだろうか。あまり知られていないが、靖國神社の境内には、元宮の隣に「鎮霊社」という祠がある。そこには日本人のみならず、また民族や国籍、戦った敵味方に関係なく、一般市民を含めて戦争で命を落としたすべての人々が祭られている。「戦争(軍国主義)を美化する神社」と特定の思想を持つ一部の方々から罵られることもあるが、鎮霊社の存在を知っていれば、靖國神社こそ無差別に真の国際平和を願う場所であることは明らかだろう。

 次に、戦争で勝利できなかったとはいえ、現在の日本(の繁栄)がご英霊の犠牲の上に成り立っていることは否定しようのない事実だ。日本に生きるすべての人が意識しようとしまいと、その恩恵を享受しているのであり、日本を守り抜いたご英霊に対し感謝の念を抱くことはごく当たり前の感情であろう。

 なかには「戦犯(戦争犯罪人)を賛美する神社だ」と偏見を持つ方もいる。だが一般兵士から司令官まで、「人を殺したい」との理由から参戦した方は一人もいない。愛する人を守りたい、愛する人が暮らす日本を守りたい、祖国日本の繁栄を成し遂げたいとの強い意志を持って戦場に行かれた方がほとんどだろう。ましてや、一人ひとりは現に生きた人間であり、誰かの大切な父、夫、兄弟だ。76年が経過した今でも敗戦国と戦勝国に区別され、後者のイデオロギーに捕らわれ当事者の犠牲を軽視、蔑視することは倫理的にも、論理的にも間違っていると思う。

 戦争という現実、戦った両国が払った犠牲、当時の時代背景と兵士を突き動かした正義感、戦争で大切な人を失う辛さと彼らを追悼する気持ちを知ることこそ、新たな世界大戦を防げると私は思うし、その感覚を実際に覚えるのに靖國神社以上にふさわしい場所はないと考えている。

 このように日本人が「戦後レジーム」にとらわれているのは、いわゆる歴史戦に負け続けていることを意味しないか。私の出身地であるウクライナのを例に挙げつつ、改めて「戦後レジーム」からの脱却と歴史戦の勝利を提唱したい。
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ナザレンコ・アンドリー:戦後レジームからの脱却――日本は中韓と戦う「覚悟」を決めよ!

左派からは「特攻隊の悲劇を美談にするな」などとトンチンカンな声も聞こえるが、この悲劇はけっして美談などではない。祖国のために命を捧げたことは「美談」ではなく、この上なく「尊い」のだ。
via Wikipedia

脱・共産主義で「誇り」を取り戻したウクライナ

 1991年、ウクライナはソ連から独立したが、ソ連の歴史観を見直すことができなかった。当時のウクライナのトップには元共産党員も多く、なにより国内外に反ウクライナ史観の人も少なくなかったからだ。言うまでもないが、ソ連の歴史教育は完全に共産主義に毒されており、思想統制はGHQ以上に強いものだった。

 しかも共産党の洗脳は、70年にわたって続いてきた。そのため独立後も、ウクライナには各地にソ連共産党の要人の銅像が残っていたし、「革命通り」や「レーニン広場」のようにソ連や共産主義を想起させる名称はあらゆる町にあった。また「国軍の日」と呼ばれる国民の祝日は赤軍創設日(2月23日)に祝われていたし、5月9日には毎年「戦争勝利記念日」を祝うさまざまなイベントも行われていた。当然、第二次世界大戦中だけでなく、その後にソ連と戦ったウクライナ人も、全員戦犯やナチスの協力者として見なされたし、彼らについて肯定的な意見を口にする人もソ連時代には政治犯として、独立してしばらくの間は極右のレッテルが貼られていた。

 ところが、2014年から2017年の間、本当にわずかな期間でウクライナは脱・共産主義化に成功することができた。共産党そのものが禁止され、共産主義の賛美(赤旗の提示やソ連国歌の暗唱を含む)は刑法違反になった。そして共産党関係者の銅像は、博物館以外の場所からは撤去された。またソ連や共産主義関連の名称がつけられた地名や町は、すべてソ連時代以前の歴史的な名称に改名された(私の故郷ハリコフ市だけでも100本以上の通りが改名された)。そして、なにより大事だったのはソ連の歴史観が完全に否定され、ソ連と戦った人々の名誉が回復されたことだ。現在は、国軍の日は赤軍創設日ではなく、1953年までソ連とゲリラ戦を続けてきたウクライナ蜂起軍創設日に祝われるようになったし、「戦争勝利記念日」は廃止された。その代わりに「追悼と和解の日」が導入された。

 つまりウクライナは、自ら戦勝国のステータスを捨て去り、「支配者が変わっただけで実際は何の勝利もしていない。それよりは人類史上、最も大規模かつ残虐な戦争で命を落としたすべての人々を思い、二度と同じ悲劇を繰り返さないことの方が大事だ」という立場になったのだ。

 それから、私が子供だった頃は「ウクライナに栄光あれ!——英雄に栄光あれ」という挨拶は極右かつ過激派の発言とされていて、そのような挨拶を国会議員がすると国会で大喧嘩まで起きていたが、今では駐日ウクライナ大使館が公式のツイッターで当たり前のようにこの挨拶を使用するようになった。お分かりかと思うが、後半の「英雄」は日本語の「英霊」に近い意味で、ソ連の敵だったウクライナ蜂起軍を含め、祖国のために命を懸けて戦ったすべての方々を言い表す言葉だ。

 こうして長年、強制的に植え付けられた偏見と反自国的なプロパガンダと戦うことが、いかに大変なのかよく知っているからこそ、私は祖国ウクライナと重ねるようにして、靖國問題をずっと注視している。
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ナザレンコ・アンドリー:戦後レジームからの脱却――日本は中韓と戦う「覚悟」を決めよ!

ソ連の歴史観から脱却したウクライナと、いつまでも中韓の歴史観に左右される日本。ロシアに領土を奪われた境遇も同じなのに、なぜここまで両国の姿勢は違うのか。

日本に必要なのは中韓と戦う「覚悟」

 この歴史戦に、いまだに日本が勝利していないことが、私は不思議でしょうがない。なぜなら日本は経済、技術、防衛(軍事)、ソフトパワー、どれをとってもウクライナより力を持っていることが明白だからだ。それなのに、ウクライナが成し遂げた歴史観の見直しを、強国である日本はまったく達成できずにいる。では、日本に足りないものは何か。その答えは、たった一つ——「覚悟」だ。

 「中韓との経済関係が…」などと言い訳をする活動家や政治家もいるが、それはハッキリ言って「祖先の名誉を金のために売ります」と口にしていると何一つ変わらない主張だ。靖國神社に祭られているご英霊は、一つしかない尊い命、一度しかない人生を子々孫々のために捧げてまで、この日本を守ってくださったわけだ。それに比べれば、中韓との些細な関係悪化は「犠牲」と呼ぶ価値もないほど、ちっぽけなものだと思わないのか、靖國神社の「遊就館」にある特攻隊員たちの写真を見て、同じことを恥じらいもなく主張できるのか、と中韓に配慮する日本人に問いたい。

 さらに言えば、中韓の反発は過大かつ過剰に取り上げられる傾向にあると思う。靖國問題は慰安婦問題と同様、終戦直後にはまったく問題視されなかった。中韓が一度主張したことで、国内の反日勢力がそれに同調し、また政治家が弱みを見せ、屈してしまったがために、批判が強まっただけである。もし最初から「何を言うのか。誰を日本の英霊として祭るかは我が国の問題だ。あなたたちに言われる筋合いはない」とのスタンスを見せれば、中韓も効果がないと判断し、いずれ黙ったことだろう。

 はたして、中韓の反発を恐れて自分たちの祖先の名誉を守るために立ち上がれない政府が、万が一、中韓とより大きな衝突が起きた場合、自国民を守るために立ち上がることができるのか、大いに疑問である。また〝お決まり〟の事なかれ主義に偏り、戦うことなく日本の国益を譲る可能性の方が高いと心配でならない。逆に言えば、首相が参拝したことではなく、首相が参拝しなかったことが問題であるとして、すべてのマスコミに取り上げられる状態こそ、国際的な視点で見ても正常な状態だと思う。そうして日本を守り抜いたご英霊に敬意を表することができたとき、初めて日本は真の独立を取り戻したことになるだろう。それまで戦後レジームは続いていくことになるのだ。
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世界がアジアで最も信頼・期待しているのは中国でも韓国でもなく日本。民族浄化を進める中国や東京五輪で異常な民族性が露呈した韓国の歴史プロパガンダに遠慮する必要など微塵もない。
ナザレンコ・アンドリー
1995年、ウクライナ東部のハリコフ市生まれ。ハリコフ・ラヂオ・エンジニアリング高等専門学校の「コンピューター・システムとネットワーク・メンテナンス学部」で準学士学位取得。2013年11月~14年2月、首都キエフと出身地のハリコフ市で、「新欧米側学生集団による国民運動に参加。2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするためのボランティア活動に参加。同年8月に来日。日本語学校を経て、大学で経営学を学ぶ。現在は政治評論家、外交評論家として活躍中。ウクライナ語、ロシア語のほか英語と日本語にも堪能。著書に『自由を守る戦い―日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』(明成社)がある。

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