ネット論客の正体
4月18日、フェミニストで武蔵大学人文学部准教授(現教授)の北村紗衣氏がネット論客である雁琳(がんりん)氏に名誉毀損を受けたとして起こした訴えの判決が、東京地裁で下されました。雁琳氏は北村氏に対して慰謝料及び弁護士費用の合計220万円を支払えというものです。名誉毀損としては桁外れに大きい金額に、ネットに衝撃が走りました。
北村氏は本件に関し、以下のように述べています。
《現在の日本では、ネットで他人に対して誹謗中傷や嫌がらせを行い、被害者から訴訟を起こされるとお金を募って多額の寄付金を集めるという行為が横行し、もはや一種のビジネスモデルと言えるような状態になっています》
『ニューズウィーク日本版』でも本件が採り挙げられ、そこでは批評家の藤崎剛人氏が「この判決は、ネット上の誹謗中傷とその裁判がコンテンツとして収益化される風潮に一石を投じるかもしれない。」などと評しています。
はて、これは一体どういうことでしょうか。
北村氏は上に続き、以下のようにも述べています。
《法の場で責任を問うことはできませんが、こうした中傷を面白がってはやしたてる人たち、ゲームに課金するような感覚でお金を寄付する人たちにも道義上の責任があります。あなた方がやっているのは楽しい遊びではなく、他人の人生への悪質な介入です》
藤崎氏もSNS上でのフェミニスト・フェミニズム叩きが深刻化しているとして、以下のように言います。
《しかし最近では、面白半分で他者を誹謗中傷し、訴えられるとカンパを集め、あるいは訴状などの関連文書をnoteなどの収益化されたブログサービスに公開したり、法廷での様子を含む裁判の経過を面白おかしくネットニュースにしてYouTubeなどの動画サービスで配信したりするなどして金を集めるビジネスモデルが問題になっている》
ここまでを読んで、雁琳氏にどのようなイメージをお持ちになったでしょうか。
「フェミニスト叩き」「面白半分」「面白おかしく」などといったワードを見ていくと、予備知識のない人は、「迷惑系YouTuber」のような存在を想起してしまうのではないでしょうか。例えばですが、道行く女性の姿を隠し撮りし、「ブス」「バカ」などと「誹謗中傷」を「面白おかしく」並べ立てた動画を配信するなど(これはネット黎明期、近いことがあったと記憶しています)。「ビジネスモデル」という言葉からは、配信に伴い、スパチャ(YouTubeのライブ配信時に行われる、配信者への「投げ銭」。スーパーチャット)を受け取っているといった、ふざけた、悪辣(あくらつ)な振る舞いがイメージされるのではないでしょうか。
では果たして、雁琳氏はそうしたことを行っていたのでしょうか。
北村氏は本件に関し、以下のように述べています。
《現在の日本では、ネットで他人に対して誹謗中傷や嫌がらせを行い、被害者から訴訟を起こされるとお金を募って多額の寄付金を集めるという行為が横行し、もはや一種のビジネスモデルと言えるような状態になっています》
『ニューズウィーク日本版』でも本件が採り挙げられ、そこでは批評家の藤崎剛人氏が「この判決は、ネット上の誹謗中傷とその裁判がコンテンツとして収益化される風潮に一石を投じるかもしれない。」などと評しています。
はて、これは一体どういうことでしょうか。
北村氏は上に続き、以下のようにも述べています。
《法の場で責任を問うことはできませんが、こうした中傷を面白がってはやしたてる人たち、ゲームに課金するような感覚でお金を寄付する人たちにも道義上の責任があります。あなた方がやっているのは楽しい遊びではなく、他人の人生への悪質な介入です》
藤崎氏もSNS上でのフェミニスト・フェミニズム叩きが深刻化しているとして、以下のように言います。
《しかし最近では、面白半分で他者を誹謗中傷し、訴えられるとカンパを集め、あるいは訴状などの関連文書をnoteなどの収益化されたブログサービスに公開したり、法廷での様子を含む裁判の経過を面白おかしくネットニュースにしてYouTubeなどの動画サービスで配信したりするなどして金を集めるビジネスモデルが問題になっている》
ここまでを読んで、雁琳氏にどのようなイメージをお持ちになったでしょうか。
「フェミニスト叩き」「面白半分」「面白おかしく」などといったワードを見ていくと、予備知識のない人は、「迷惑系YouTuber」のような存在を想起してしまうのではないでしょうか。例えばですが、道行く女性の姿を隠し撮りし、「ブス」「バカ」などと「誹謗中傷」を「面白おかしく」並べ立てた動画を配信するなど(これはネット黎明期、近いことがあったと記憶しています)。「ビジネスモデル」という言葉からは、配信に伴い、スパチャ(YouTubeのライブ配信時に行われる、配信者への「投げ銭」。スーパーチャット)を受け取っているといった、ふざけた、悪辣(あくらつ)な振る舞いがイメージされるのではないでしょうか。
では果たして、雁琳氏はそうしたことを行っていたのでしょうか。
あまりに不当ではないか
まず、ここでは「ビジネスモデル」などと称されていますが、それは上にも「カンパ」とある通り、あくまで訴訟沙汰に巻き込まれた雁琳氏が広く支援を求め、その結果、寄付が集まったというだけのものなのです。
今回の判決に対し、ネットでは「雁琳カンパ罪」といった言葉が囁(ささや)かれています。まるで「カンパを募ったこと自体がけしからぬ」といった思想が前提されているように思え、それはおかしいというわけです。ネット論客のヒトシンカ氏は以下のように反論します。
《まず雁琳氏は、裁判を起こされて防御的にカンパをしたのであって、「これから北村を攻撃するから!俺が遠慮無くアイツを攻撃できるようにみんなカンパしてねー!」とやったわけではない》
また雁琳氏の北村氏に向けた言動は、本当に非難されるべきものだったのでしょうか。
判決文を見ると、問題になったツイートが記載されているのですが、雁琳氏は北村氏らに対し、「気が狂った連中」「ポリコレリベサヨうんこ学者」「曲学阿世(きょくがくあせい)」などと評し、また北村氏の著作に対し中指を立てた画像を投稿するなど、なるほどなかなか痛烈であり、またいささか品性に欠けた文言が並びます。
しかしそれが220万という額に見あったものかどうかは、やはり疑問です。
さらに見ていくと、以下のようなポストも名誉毀損とされています。
《この問題の根本原因は、北村紗衣の異常性格。鍵アカで批判されただけの話を大騒ぎし、訴訟を起こすと呉座さんに通告したが、名誉毀損に該当しないので、弁護士を入れて和解した。その後で、自分が発起人になって彼を学会から追放しろという「オープンレター」を出した。これは和解違反だ》
確かに「異常性格」というのも強い言葉ですが……実のところこれは、雁琳氏のツイートではありません。実はぼくも当初、ご当人の発言だとばかり思い込んでおりましたが、これはあくまで第三者のツイートであり、雁琳氏はそれをリツイートしたに過ぎません。
判決文にはリツイートを「同一の内容を自らも投稿したものと評価することができる。」とあり、これはネット上で言われる「リツイート罪」なのです。
それだけでも納得しがたいのですが、上の「呉座さん」という言葉を見て、引っかかった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この「呉座さん」とは呉座勇一氏のこと。
実のところ本件のもとをたどれば、呉座氏と北村氏の諍(いさか)いに端を発するものなのです。
呉座氏が北村氏に対する悪口めいたツイートをした。そのことに怒り、北村氏は「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」というサイトを立ち上げたのです。
この「オープンレター」については以前にも記事を書かせていただきました*1。賛同者が名を連ねているだけの(その署名にも偽装が多い)意図不明の、悪く解釈するなら「女子高生が徒党を組んで、嫌いな生徒を村八分している図」にも見えなくもないものである、といった批判をしたかと思います。
そもそも呉座氏もまた、確かに北村氏への結構辛辣(しんらつ)な批判を述べてはいるのですが、それは上に「鍵アカ」とあるように、仲間内以外には見えないよう、内々でなされたものであり、それがそこまで大騒ぎするべきものであるかは、疑問です。
共謀罪成立時には、「居酒屋で上司の悪口を言っただけで逮捕されるのだ」などと言っていた左派が、どうしてこれらに抗議をしないのか、さっぱりわかりません。
いずれにせよこの騒動で呉座氏は職や地位を失っており、雁琳氏の言動は(ぼくの記事同様)この騒動があまりに不当ではないかとの疑問に端を発しているのです。
先の雁琳氏のツイートについては、裁判所は「この時点で呉座氏と北村氏の和解が成立していたかは疑問だ」として真実性、ないし真実相当性(当人が本当のことと考えてもムリのない理由があった)は認められないとしており、正直そのあたりはぼくも判断しかねるのですが、仮にこの部分の裁判所の判断を正しいとしても、いずれにせよあまりに高額な慰謝料を請求した今回の判決は、妥当性のあるものだと言えるのでしょうか。
今回の判決に対し、ネットでは「雁琳カンパ罪」といった言葉が囁(ささや)かれています。まるで「カンパを募ったこと自体がけしからぬ」といった思想が前提されているように思え、それはおかしいというわけです。ネット論客のヒトシンカ氏は以下のように反論します。
《まず雁琳氏は、裁判を起こされて防御的にカンパをしたのであって、「これから北村を攻撃するから!俺が遠慮無くアイツを攻撃できるようにみんなカンパしてねー!」とやったわけではない》
また雁琳氏の北村氏に向けた言動は、本当に非難されるべきものだったのでしょうか。
判決文を見ると、問題になったツイートが記載されているのですが、雁琳氏は北村氏らに対し、「気が狂った連中」「ポリコレリベサヨうんこ学者」「曲学阿世(きょくがくあせい)」などと評し、また北村氏の著作に対し中指を立てた画像を投稿するなど、なるほどなかなか痛烈であり、またいささか品性に欠けた文言が並びます。
しかしそれが220万という額に見あったものかどうかは、やはり疑問です。
さらに見ていくと、以下のようなポストも名誉毀損とされています。
《この問題の根本原因は、北村紗衣の異常性格。鍵アカで批判されただけの話を大騒ぎし、訴訟を起こすと呉座さんに通告したが、名誉毀損に該当しないので、弁護士を入れて和解した。その後で、自分が発起人になって彼を学会から追放しろという「オープンレター」を出した。これは和解違反だ》
確かに「異常性格」というのも強い言葉ですが……実のところこれは、雁琳氏のツイートではありません。実はぼくも当初、ご当人の発言だとばかり思い込んでおりましたが、これはあくまで第三者のツイートであり、雁琳氏はそれをリツイートしたに過ぎません。
判決文にはリツイートを「同一の内容を自らも投稿したものと評価することができる。」とあり、これはネット上で言われる「リツイート罪」なのです。
それだけでも納得しがたいのですが、上の「呉座さん」という言葉を見て、引っかかった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この「呉座さん」とは呉座勇一氏のこと。
実のところ本件のもとをたどれば、呉座氏と北村氏の諍(いさか)いに端を発するものなのです。
呉座氏が北村氏に対する悪口めいたツイートをした。そのことに怒り、北村氏は「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」というサイトを立ち上げたのです。
この「オープンレター」については以前にも記事を書かせていただきました*1。賛同者が名を連ねているだけの(その署名にも偽装が多い)意図不明の、悪く解釈するなら「女子高生が徒党を組んで、嫌いな生徒を村八分している図」にも見えなくもないものである、といった批判をしたかと思います。
そもそも呉座氏もまた、確かに北村氏への結構辛辣(しんらつ)な批判を述べてはいるのですが、それは上に「鍵アカ」とあるように、仲間内以外には見えないよう、内々でなされたものであり、それがそこまで大騒ぎするべきものであるかは、疑問です。
共謀罪成立時には、「居酒屋で上司の悪口を言っただけで逮捕されるのだ」などと言っていた左派が、どうしてこれらに抗議をしないのか、さっぱりわかりません。
いずれにせよこの騒動で呉座氏は職や地位を失っており、雁琳氏の言動は(ぼくの記事同様)この騒動があまりに不当ではないかとの疑問に端を発しているのです。
先の雁琳氏のツイートについては、裁判所は「この時点で呉座氏と北村氏の和解が成立していたかは疑問だ」として真実性、ないし真実相当性(当人が本当のことと考えてもムリのない理由があった)は認められないとしており、正直そのあたりはぼくも判断しかねるのですが、仮にこの部分の裁判所の判断を正しいとしても、いずれにせよあまりに高額な慰謝料を請求した今回の判決は、妥当性のあるものだと言えるのでしょうか。
たまたまカンパが集まっただけ
昨今のキャンセルカルチャーの趨勢を見ると、(多くの場合、カネや力のある者であることの多い)左派が相手を訴えて口を封じさせるという傾向が目立ってきました。
今回の「カンパ罪」は窮余の策としてカンパを募った者の口すらをも、封じさせようという意図を感じないわけにはいかないのです。
もう一つ、この「カンパ」、「収益化」とのワードから、また近い事例を連想しないでしょうか。
そう、前回も書かせていただいた暇空茜氏についてです。
この点は、実は先の藤崎氏も言及しています。
同氏は暇空氏の「Colabo問題」についての主張を誹謗中傷だと決めつけ、以下のように言います。
《しかしその訴訟でさえ、被告側(引用者註・暇空氏)はやはり訴訟費用を上回るカンパを集め、またYouTubeやブログのコンテンツ化をして収益をあげている》
確かに暇空氏は積極的に動画を配信し、ある意味では裁判をコンテンツ化しているということは言えましょう。同氏はそうした、争いをある種のショーとして衆目を集めるプロデュース能力に秀でた人だということは言えるのですが、ではそれが藤崎氏が繰り返し形容するような「面白半分」の「誹謗中傷」かとなると、それは頷(うなず)けません(こちらの件についてはかつての記事をご覧いただき、ご判断いただければ幸いです*2)。
フェミ側は、批判者を「ビジネスで儲けている」とミスリードしていますが、それはフェミ側があまりに横暴で支離滅裂であるがため、恨みを買っているということでもありますし、だからこそ支援者も(多くはなけなしの、であろう)カネを投じているのです。
以前にも書いたことがありますが、ぼくも昔、フェミから訴えられたことがありました。ゲイ雑誌『薔薇族』の編集者である伊藤文学は長年にわたり、読者たちの投書で「小学生と性関係を持っている」といったものを紹介しては「素晴らしい」などと称揚する、児童へのレイプの教唆を行い続けてきた人物なのですが、フェミニストは(何しろゲイを政治利用するのが大好きな人たちですから)それを認めようとせず、ぼくがそこを批判すると弁護士の内容証明で「訴えるぞ」と恫喝(どうかつ)してきたのです。
こちらが反論したらそれきりだったのですが、仮にこれでぼくが裁判に巻き込まれ、カンパを募っていたとしても、おそらく数千円しか集まらなかったのではないでしょうか。ぼくはツイッター上での知名度もありませんし、カネも人脈もあるフェミニストの方が有利に決まっている。雁琳氏や暇空氏はたまたま不幸中の幸いでカンパが集まった例と考えるほかはないのです。
そこをまるで面白がって金儲けをしているかのように書くフェミニスト、そしてその騎士たる左派の卑劣さには、呆れ果てるばかりです。
今回の「カンパ罪」は窮余の策としてカンパを募った者の口すらをも、封じさせようという意図を感じないわけにはいかないのです。
もう一つ、この「カンパ」、「収益化」とのワードから、また近い事例を連想しないでしょうか。
そう、前回も書かせていただいた暇空茜氏についてです。
この点は、実は先の藤崎氏も言及しています。
同氏は暇空氏の「Colabo問題」についての主張を誹謗中傷だと決めつけ、以下のように言います。
《しかしその訴訟でさえ、被告側(引用者註・暇空氏)はやはり訴訟費用を上回るカンパを集め、またYouTubeやブログのコンテンツ化をして収益をあげている》
確かに暇空氏は積極的に動画を配信し、ある意味では裁判をコンテンツ化しているということは言えましょう。同氏はそうした、争いをある種のショーとして衆目を集めるプロデュース能力に秀でた人だということは言えるのですが、ではそれが藤崎氏が繰り返し形容するような「面白半分」の「誹謗中傷」かとなると、それは頷(うなず)けません(こちらの件についてはかつての記事をご覧いただき、ご判断いただければ幸いです*2)。
フェミ側は、批判者を「ビジネスで儲けている」とミスリードしていますが、それはフェミ側があまりに横暴で支離滅裂であるがため、恨みを買っているということでもありますし、だからこそ支援者も(多くはなけなしの、であろう)カネを投じているのです。
以前にも書いたことがありますが、ぼくも昔、フェミから訴えられたことがありました。ゲイ雑誌『薔薇族』の編集者である伊藤文学は長年にわたり、読者たちの投書で「小学生と性関係を持っている」といったものを紹介しては「素晴らしい」などと称揚する、児童へのレイプの教唆を行い続けてきた人物なのですが、フェミニストは(何しろゲイを政治利用するのが大好きな人たちですから)それを認めようとせず、ぼくがそこを批判すると弁護士の内容証明で「訴えるぞ」と恫喝(どうかつ)してきたのです。
こちらが反論したらそれきりだったのですが、仮にこれでぼくが裁判に巻き込まれ、カンパを募っていたとしても、おそらく数千円しか集まらなかったのではないでしょうか。ぼくはツイッター上での知名度もありませんし、カネも人脈もあるフェミニストの方が有利に決まっている。雁琳氏や暇空氏はたまたま不幸中の幸いでカンパが集まった例と考えるほかはないのです。
そこをまるで面白がって金儲けをしているかのように書くフェミニスト、そしてその騎士たる左派の卑劣さには、呆れ果てるばかりです。
有無を言わさぬキャンセル
もう一つ、藤崎氏が似た事例として持ち出しているのが、青識亜論(せいしき あろん)氏に対する石川優実氏の民事訴訟です。
この両名とも、今までもぼくの記事の中で名が挙がったことがありますが*3、青識氏は「表現の自由」を守る運動を積極的に続けているネット論客。基本的にはリベラル寄りの人物(であり、フェミには親和的なので、ぼくとしてはあまり評価できないの)ですが、萌えキャラなどをキャンセルしようとするフェミニストたちとは積極的に戦っていた人物でもあります。
石川氏はセクシーモデルからフェミニズムとなった人物で、#MeToo運動をもじり、#Kutoo運動(女性はハイヒールという「靴」を強いられ「苦痛」であると異議を唱える運動)を展開しており、青識氏とはかつてより因縁のある方です。
この石川氏に対し、青識氏が名誉毀損や侮辱に当たる投稿をしたとのことで、青識氏が33万円を支払うという条件で和解が成立しました。和解といっても、青識氏の負けと言っていいでしょうし、何より同氏は地方自治体の職員なのですが、自治体では同氏を減給2カ月の懲戒処分にし、また、NHKも本件について地方自治体の不祥事のように報じており、同氏は金銭以上のダメージを、本件で受けたということになります。
では青識氏は、そんなに悪辣な投稿を行ったのでしょうか。
これもネット上に判決文があがっているのですが、わかりやすくまとめるならば、また別なフェミニストが萌えキャラに文句をつけたという話題に対し、青識氏が「石川氏からのメッセージです」と称して、石川氏の「横やり失礼します、見なきゃ良くない?笑」、「問題じゃないことを問題かのように扱うのやめれば?」といった、かつてのツイートを画像としてツイートした、ということです。
何のこっちゃ、と思われたでしょうが、これは要するにジョークであり、例えるならば「俺、期末試験で1位だったぞ!」といったツイートに対し、蓮舫議員が「2位じゃダメなんですか」と言っている画像をリプライした、とでもいったことです。それに対し、蓮舫議員が「私は彼にそんなことを言った覚えはないぞ」と怒り狂い、訴訟した……要するにそんな奇妙な話だったのです。
石川氏にしてみれば「その件について言ったのではないぞ」と言いたいのでしょうが、そもそも画像は一目見れば(何しろ日付も記述されているのだから)別件についてのツイートだというのは自明であり、誤解される可能性は極めて少ない。第一、ツイートの内容も過激だったり反社会的なものだったりするわけではない。これで名誉毀損や侮辱(ぶじょく)が成立するというのは、どうにも理解しがたい話です。
しかし藤崎氏は記事を以下のように締めます。
《このビジネスモデルは、多くの人の悪意を幅広く集積することによって成立する。そしてその悪意が向けられるのは、多くの場合、フェミニズムのような、既存の社会に内在する差別を糾弾する少数派の権利獲得運動だ。つまり誹謗中傷の収益化に反対することは、差別に対する戦いの一部でもあるのだ》
青識氏については「ビジネス」が成り立っていたわけではないのですが、ともあれ立て続けに起こった3件の訴訟を見ると、以下のような共通点が浮かび上がってきます。
1.まず、萌えキャラに対する攻撃などで、フェミが恨みを買っていたこと
2.フェミニスト側はアカデミズムやマスコミに属し、権力を持っていること
3.裏腹に、先に「ネット論客」と表現したように、アンチフェミは市井の人間であること
4.フェミニズムへの批判を「名誉毀損」「侮辱」などと称しているが、過激ではあれ批判であること
5.同時に「面白半分」「ゲーム」「ビジネス」など批判を不当に矮小(わいしょう)化していること
6.上のやり方の前提として、フェミ側は言論による対抗を、一切できずにいること
7.しかしながら司法やマスコミを味方につけ、自分たちは無辜の被害者、相手は悪辣であるとのイメージ操作に奔走(ほんそう)していること
――思いつくままに挙げましたが、こんなところでしょうか。
トランス関連もそうですが、「弱者」を神輿(みこし)にかつぐ左派のやり方は思想としては完全に破綻(はたん)し、有無を言わさぬキャンセル以外には、採るべき戦術がなくなっている感があります。
彼ら彼女らは「我こそは弱者に寄り添う者なり」と本気で信じておいでのご様子なのですが、本件からはもっぱら権力を振りかざし、SNSを中心とする市井の者の発言をひたすら封じていることが明らかになりました。
彼ら彼女らの目指す未来は『1984』(ジョージ・オーウェル)で描かれたような全体主義のディストピア以外にはあり得ないことを、ぼくたちはここで心に留めておきましょう。
この両名とも、今までもぼくの記事の中で名が挙がったことがありますが*3、青識氏は「表現の自由」を守る運動を積極的に続けているネット論客。基本的にはリベラル寄りの人物(であり、フェミには親和的なので、ぼくとしてはあまり評価できないの)ですが、萌えキャラなどをキャンセルしようとするフェミニストたちとは積極的に戦っていた人物でもあります。
石川氏はセクシーモデルからフェミニズムとなった人物で、#MeToo運動をもじり、#Kutoo運動(女性はハイヒールという「靴」を強いられ「苦痛」であると異議を唱える運動)を展開しており、青識氏とはかつてより因縁のある方です。
この石川氏に対し、青識氏が名誉毀損や侮辱に当たる投稿をしたとのことで、青識氏が33万円を支払うという条件で和解が成立しました。和解といっても、青識氏の負けと言っていいでしょうし、何より同氏は地方自治体の職員なのですが、自治体では同氏を減給2カ月の懲戒処分にし、また、NHKも本件について地方自治体の不祥事のように報じており、同氏は金銭以上のダメージを、本件で受けたということになります。
では青識氏は、そんなに悪辣な投稿を行ったのでしょうか。
これもネット上に判決文があがっているのですが、わかりやすくまとめるならば、また別なフェミニストが萌えキャラに文句をつけたという話題に対し、青識氏が「石川氏からのメッセージです」と称して、石川氏の「横やり失礼します、見なきゃ良くない?笑」、「問題じゃないことを問題かのように扱うのやめれば?」といった、かつてのツイートを画像としてツイートした、ということです。
何のこっちゃ、と思われたでしょうが、これは要するにジョークであり、例えるならば「俺、期末試験で1位だったぞ!」といったツイートに対し、蓮舫議員が「2位じゃダメなんですか」と言っている画像をリプライした、とでもいったことです。それに対し、蓮舫議員が「私は彼にそんなことを言った覚えはないぞ」と怒り狂い、訴訟した……要するにそんな奇妙な話だったのです。
石川氏にしてみれば「その件について言ったのではないぞ」と言いたいのでしょうが、そもそも画像は一目見れば(何しろ日付も記述されているのだから)別件についてのツイートだというのは自明であり、誤解される可能性は極めて少ない。第一、ツイートの内容も過激だったり反社会的なものだったりするわけではない。これで名誉毀損や侮辱(ぶじょく)が成立するというのは、どうにも理解しがたい話です。
しかし藤崎氏は記事を以下のように締めます。
《このビジネスモデルは、多くの人の悪意を幅広く集積することによって成立する。そしてその悪意が向けられるのは、多くの場合、フェミニズムのような、既存の社会に内在する差別を糾弾する少数派の権利獲得運動だ。つまり誹謗中傷の収益化に反対することは、差別に対する戦いの一部でもあるのだ》
青識氏については「ビジネス」が成り立っていたわけではないのですが、ともあれ立て続けに起こった3件の訴訟を見ると、以下のような共通点が浮かび上がってきます。
1.まず、萌えキャラに対する攻撃などで、フェミが恨みを買っていたこと
2.フェミニスト側はアカデミズムやマスコミに属し、権力を持っていること
3.裏腹に、先に「ネット論客」と表現したように、アンチフェミは市井の人間であること
4.フェミニズムへの批判を「名誉毀損」「侮辱」などと称しているが、過激ではあれ批判であること
5.同時に「面白半分」「ゲーム」「ビジネス」など批判を不当に矮小(わいしょう)化していること
6.上のやり方の前提として、フェミ側は言論による対抗を、一切できずにいること
7.しかしながら司法やマスコミを味方につけ、自分たちは無辜の被害者、相手は悪辣であるとのイメージ操作に奔走(ほんそう)していること
――思いつくままに挙げましたが、こんなところでしょうか。
トランス関連もそうですが、「弱者」を神輿(みこし)にかつぐ左派のやり方は思想としては完全に破綻(はたん)し、有無を言わさぬキャンセル以外には、採るべき戦術がなくなっている感があります。
彼ら彼女らは「我こそは弱者に寄り添う者なり」と本気で信じておいでのご様子なのですが、本件からはもっぱら権力を振りかざし、SNSを中心とする市井の者の発言をひたすら封じていることが明らかになりました。
彼ら彼女らの目指す未来は『1984』(ジョージ・オーウェル)で描かれたような全体主義のディストピア以外にはあり得ないことを、ぼくたちはここで心に留めておきましょう。
*1 呉座勇一氏「炎上」:人の感情まで糾弾する「ミソジニー」(女性嫌悪)論の矛盾
"オープンレター問題"考:「常に被害者でいたい」というフェミの本質
続"オープンレター問題 考" :女性への「批判」すらもはや許されないのか
「オープンレター」問題とは何だったのか~フェミニズム=「強権体質」の象徴的事象か
*2 炎上を続ける「Colabo」問題、その真相
深まる「Colabo」の闇
*3 石川氏については、
《「#KuToo」裁判》に見るフェミのマッチポンプ
女性が後から「性被害」といえば性被害である!と断ずるフェミ理論
青識氏については、
Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェミの「どっちもどっち」
"オープンレター問題"考:「常に被害者でいたい」というフェミの本質
続"オープンレター問題 考" :女性への「批判」すらもはや許されないのか
「オープンレター」問題とは何だったのか~フェミニズム=「強権体質」の象徴的事象か
*2 炎上を続ける「Colabo」問題、その真相
深まる「Colabo」の闇
*3 石川氏については、
《「#KuToo」裁判》に見るフェミのマッチポンプ
女性が後から「性被害」といえば性被害である!と断ずるフェミ理論
青識氏については、
Vチューバ―"戸定梨香"騒動で見えたフェミ・アンチフェミの「どっちもどっち」
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。